◆いるいる自己チュー

 「自己チュー」。若い人たちの会話で、こんな言葉を耳にしました。

 どうやら、自己中心、つまり手前勝手な友人を揶揄しての造語らしいのですが、最近は「自己チュー」輩が身の回りにウヨウヨしています。

 その中から私が気になるのは、身勝手なドライバーと愛犬家。今回はその数例を。

 まず、ドライバー。
 薄暮になってもライトをつけない車、トンネル内で点灯しない車、また右折、左折の際にウインカーを出さない車が目立ちます。

 なぜでしょう。

 バッテリーの消耗を気にしての「ケチ根性」から?。まさか。

 暗がりでのライトは、自分のためでもあると同時に、対向車や歩行者のためでもあることは、ドライバーなら百も承知のことです。
 
 まして黒っぽい車ならなおさらです。

 私は毎夜、ウオーキングをしていますが、ライトなしの車が接近すると「この車は、自分を認識してくれているのだろうか」と、怖ろしさを感じます。

 他人に迷惑をかけてまで、点灯しない理由が他にもあるのでしょうか。
 私もドライバーの端くれなのですが、まるでわかりません。
 
 北欧やカナダ、スロベニアなどの国々では、事故防止のために日中でも点灯が義務づけられています。

 スーパーなどの駐車場にも「自己チュー」がいます。

 停車位置の白線をまたいで止めたり、線ぎりぎりに止める車のなんと多いことでしょう。

 そのために隣のコーナーは使い物にならず、3台駐車できるところを2台しか止められない、という無駄が生じます。

 このような身勝手な車は以前からありましたが、最近では若い女性でも平気で白線またぎをやらかします。

 そう言えば「運転は譲り合って」なんて、標語も見かけなくなりました。

 次は愛犬家。
 最近は糞処理のための袋やグッズを持ち歩く人が増えてきたようで、それはそれで嬉しいことなのですが、「けしからん」輩もまだまだいます。

 私は、自宅前の通りが殺風景なので、街路樹のそばにアジサイを数本植えています。

 通りかがりの人やドライバーが少しでも気休めをしてくれたら、との思いもあります。

 ところが、犬の糞害にたびたび憤慨させられます。

 丈の低い西洋アジサイもひと株あるのですが、満開の花の上に糞をさせて始末もしない、そんなときもありました。

 「花がかわいそうです。犬の糞をさせないで」。小さな板を立てましたが、その横にも堂々と大盛りがありました。

 手ぶらで犬を散歩させている人が、いまだに目に付きます。

 日頃しつけてあっても「犬はそれを我慢できない」。そんな場合だってあるはずです。

 この人たちは、そのような場合に遭遇したときどうように糞を処理するのでしょうか。

 結果は見え見えです。

 糞害の腹立たしさを持ち合わせている友人が言っていました。

 「犬は我慢できないのだ。街路樹回りは公共の場ではないか」。咎めた相手の返答だったそうです。

 なにおかいわんや、です。

 いまでは、糞処理を義務づける市条例でも制定してくれることを願うばかりです。