◆汚れた神の手 


 宮城県上高森遺跡のねつ造騒ぎには衝撃を通り越して、憤りさえ感じます。
 
 発掘責任者である東北旧石器文化研究所(民間団体)の副理事長が、こともあろうに自分で埋めた石器を掘り出して「世紀の大発見」を装っていたのですから…。

 新聞の報道によりますと、上高森遺跡の石器は93年に40万年前、95年に50万年前の埋納遺構、98年に60万年前、そして99年には70万年前のものが発掘されたことになっています。

 それが上高森遺跡を一躍世界的な遺跡にのし上げました。

 60万年前といえば北京原人の時代です。考古学には疎い私ですが、発掘のニュースに接したときはいささかの興奮を覚えたものです。

 このように年代を追って報じられると、やはりきな臭さが漂います。
 「どうもおかしい」という声は、研究者の間でも早くからあったそうですから、共同で発掘作業に当たっていた研究者たちも疑問に感じたことはあったはずです。

 その疑問を質せなかったところに「考古学そのものの見直し」が問われるまでに波紋が広がったといえます。

 素人目にもおかしなことと思われるのは、当の副理事長がなぜ60個以上もの石器を個人的に持ち得たのか、ということです。

 ねつ造に使われた石器は研究のプロをも騙せるほどだったのですから、それなりの年代物だったと思われます。

 個人で採集した石器といわれても「ああそうですか」とは信じがたい話しです。
 どこかの遺跡から発掘された石器を個人所有していたとすれば、また別の問題が生じるのではないでしょうか。

 「魔がさした」と弁解していましたが、貴重な遺産を掘り当てる「ゴッド・ハンドを持つ男」と持ち上げられ、期待されて「何か、あっと言わせるものを」と焦ったのでしょう。

 実力以上に評価され、功名心に駆られ男の哀れさを思わずにはいれられません。

 研究というものは本来、薄皮を1枚1枚はぐような地味で、根気のいる作業です。

 功を焦った「神の手」の愚行は、あまりに罪深く、計り知れない傷を残してしまいました。