◆安部晴明ゆかりの地

 平安時代後期に活躍した陰陽師、安部晴明ブームが地方にもじわりと浸透してきました。

 近年、小説やコミック誌で紹介され徐々に現代に蘇っていましたが、昨年秋に映画が公開されてブームに火がついた感じでした。

 旅行会社では「安部晴明ゆかりのスポットを訪ねて」などのツアーを企画し、今年の初詣はゆかりの神社がモテモテだったようです。

 「安部晴明」といえば、京都市堀川の晴明神社が人気の筆頭ですが、ゆかりの地はなにも京都ばかりではありません。

 福井県嶺南地方には晴明神社もあれば、土御門暦を発行している社など、いくつものゆかりの場所があります。

 まず敦賀市。晴明が陰陽道の研究に使ったとされる「祈念石」を奉る晴明神社があります。

 「敦賀神社誌」などには、晴明が正暦年間の990年から5年間、市内相生町に住んで陰陽道の研究に勤しんだとの記述が見られます。神社はその住まいの跡に建てられたと伝えられています。

 なぜ敦賀に?。当然の関心事ですが、大陸との交易の玄関口だった敦賀港は中国の情報が入手しやすく、研究にも都合が良かったためではないかといわれています。

 陰陽師といえば、占いや呪術を使う怪しげな人物と思われたりしますが、もともとは古代中国の陰陽五行説を基礎にして発展した陰陽道の研究者のことなのです。

律令制の中務省に属する「陰陽寮」という役所で天文や気象、暦、占いなどを行っていたわけですが、第一人者の安部晴明は藤原道長ら上級貴族のために占いをしたり、陰陽道の様々な行事を取り仕切っていたとされます。

 敦賀の晴明神社には何本もの幟がはためき、拝殿の地下には祈念石が鎮座しています。市民でさえ因縁を知らない人が多かった神社に、最近は県外からの参拝客が増えてきたそうです。

 神社の周辺は市内でも古い町屋、建物、また伝統行事が残る地域です。「晴明の朝市」が開かれたり、1月には「夷子・大黒の綱引き」が行われたり。晴明ブームにあやかるPR作戦も検討されていると聞きます。

 近くの上中町や名田庄村には「天社土御門神道本庁」や晴明の弟子たちの墓、陰陽道の道具を展示する会館などがあり、「晴明の墓」と記した墓標まで立っています。天体観測にちなんだ星祭りなる行事さえ行われ、今年は例年にない盛り上がりを見せたそうです。

 なぜ、福井県嶺南地方にこれほど晴明関連の遺物や行事が多いのか、浅学の我が身にはよくわかりません。交易港、魚介類の運搬を通じて発達していた交通網などが京都と嶺南地方を結びつけていたのかも知れません。

 いずれにせよ、晴明ブームが地方に眠るゆかりの地を目覚めさせたことだけは確かなようです。地域の人々が「あやかり作戦」を練るのも当然のように思われます。