◆「雪印」にがっかり

 食中毒事件を起こした雪印乳業に、厚生省の「安全宣言」が出ました。
 
 閉鎖される大阪工場を除いて、生産が再開され、社員の方々もほっとされていることでしょう。

 でも、私には「雪印の不祥事」は、ことのほか残念でたまりませんでした。

 私は北海道生まれです。高校生まで生活していました。

 「雪印乳業」と「北海道拓殖銀行」の名は、幼いときから馴染みのものとなっていました。

 特に、雪印に関しては、親父から創業者の苦労話などを物語として聞かされ、子供心にも憧れのような親しみを覚えていました。

 大学卒業後の就職先の候補にも当然のように「雪印」を加えました。
 「情熱のみなぎる会社で、自分の情熱をたぎらせてみたい」。
 若さゆえの気概でした。

 関西の企業を優先させたために、雪印の就職試験は受けませんでしたが、社会人になっても信頼は失せるものではありません。

 牛乳はもとより、チーズ、ヨーグルト…、我が家の乳製品はことごとく雪印でした。

 それがです。こともあろうに、食品会社としてもっとも恥ずべき食中毒事件を起こしてしまったのです。
 その後の対応もお粗末きわまるものでした。

 それよりも何よりも、幼いころからの私の信頼がうち砕かれたのは「人が食するものを生産している」との認識が、全社的に失せていたことでした。
 
 報道によると、売れ残りで回収した牛乳を、炎天下の屋外で再利用のための作業をしていた、というではありませんか。

 「安全食品を提供する」という創業の理念が、利益至上の御旗の元にどこかへ置き忘れてしまっていた、といわざるを得ません。

 全工場の生産停止が伝えられたとき、涙を流す社員がテレビに映し出されていました。
 その時、思いました。この涙は誰に対しての涙なのか、と。

 サラリーマンは弱いもの。上司の命令には楯突かないのが優秀な社員、といわれる組織の一員です。
 
 だからといって、違法まがいの生産に自らも荷担していたことに違いはありません。
 
 その涙は、消費者に向かって「申し訳ないことでした」の謝罪だったに違いない、そう思うことで、やりきれなさをうち消そうとしました。

 新社長が「社会と社風には大きな隔たりがあった」と述べています。
 その通りだったと思います。


 しかし、その社風は利益至上の名の下に、いつしかねじ曲げられてしまったもので、根深いはずです。一朝一夕に改められるとは思いません。

 雪印問題は一片の「安全宣言」通達で終止符を打ったわけではありません。
 信頼を取り戻すまでの道のりは容易ではありません。
 
 初心に返り、社員一丸となって頑張るしか解決の道はない、と断言できます。
 
 雪印は大きな会社です。社史の編纂も行われているはずです。
 
 全社員といはいいませんが、少なくとも管理職にある人たちは、今一度、紐解いて創業者たちの情熱に、そして自社の来し方に思いをいたすべきではないでしょうか。

 絶対の信頼を裏切られた男の嘆き節でしたが、「雪印」の製品が私の手に再び戻る日が一日も早からんことを期待しています。
 
 そして、食品の製造に携わる人々は、それを食するのは家畜ではなく、人間であることを、いつまでも肝に銘じていてほしいと願うばかりです。