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◎8月5日(火)雨 (10日目)
タリン空港→ヘルシンキ→機中泊

●今日の予定
 きょうは午後の便でタリン空港を出発し、帰国の途につきます。空港へ向かう13:00まではフリータイム。H・Mさんは希望者を、郊外のカドリオルク公園へ案内する計画です。私たちは天気次第。まだ未定です。
 空模様が気になって、3:30に目覚めてしまいました。ああ無情!。強い雨です。しかも大木がゆさゆさ揺れる強風。観光どころの話ではありません。

●ただいま10度
 7:00、朝食。いつものように朝はたっぷり食べました。強風はおさまりそうにありません。横殴りの風。通勤者は傘をさせず、濡れるにまかせています。見るからに寒そう。玄関前に掲げた国旗もばたばたと、忙しげです。民家の煙突が煙を吐き出していました。 
 ホテルの気温表示は10度。カドリオルク公園へは9人が出かけたそうです。18世紀の初め、ロシアのピョートル大帝が王妃エカテリーナのために造らせた公園と離宮。離宮は現在、エストニア美術館に。

●宿泊有名人
 青空なら、もう1度トームペアの丘に上ろうか、との思いは無残にも打ち砕かれて、ホテルで時間つぶしです。丘の教会も煙っています。きょうもクルーズ船が多数入港したようなので、観光客はお気の毒なことです。
 ロビーの壁にクリントン元アメリカ大統領、ピアニストのリチャード・グレーダーマン、歌手のキリテ・カナワら有名人の写真が並んでいました。ホテル自慢の著名宿泊者たちです。

●夏終わる
 退屈な時間を過ごして13:00、空港へ。玄関前でバスに乗り込む際に、かなり濡れてしまいました。タリン空港(ウレミステ空港)は、市の中心部から5kmほどのウレミステ湖の東岸にあります。10分で到着しました。こぢんまりした空港です。
 気温は12度。見送りの現地旅行会社の女性社員は、「3日ほど前までは17度くらいあったのですが…。エストニアの夏はもう終わりました」と寂しそうでした。

●プロペラ機
 手荷物検査を受けて搭乗口へ。ヘルシンキ・ヴァンター空港行きフィンランド航空AY8644便の搭乗待合室へ。出国手続きがないのでパスポートは不要。国内線並の扱いです。
 ATR72-500型という2×2のプロペラ機。自由席ですが妻と同席できました。14:40、離陸。直後から小さな機体がよく揺れるので、不安でなりません。

●小さな島々
 水平飛行に入っても落ち着きません。酔いそうな気分です。慣れっこになっている女性乗務員は、平気な顔でチョコレートをサービスしてくれました。
 眼下にはバルト海の小さな島々が無数に浮かんでいます。タリン―ヘルシンキ間はあっという間の飛行。15:00には着陸しました。

●100%満席
 ヘルシンキ上空に青空がのぞき、タリンよりも北なのに気温は17度。暖かくさえ感じます。バルト海をひと跨ぎしただけなのにこの違い。タリンの大荒れが嘘のようです。
 ここで出国審査がありました。成田行き31搭乗口には日本人ツアー客がいっぱい。100%の満席を告げられました。タリンのホテルで買ってきたパンで遅い昼食。関空行きは3時間遅れの表示。いまのところ成田は定刻の予定です。

●最悪の席
 フィンランド航空AY073便はA-340型。シートは2×4×2で、一行の大半は窓側2席でした。しかし、私たちはトイレ前の中央4人掛けに。最悪の席になってしまいました。 
 座席前のインフォメーション画面に、成田まで7837km、飛行時間8時間55分の表示。17:35、離陸。辛抱の時間の始まりです。

●機内食
 機内食は2種類。私はチキンの照り焼き、妻はビーフストロガノフを選びました。搭乗の前にパンを食べたばかり。食欲がありません。
 食事のざわめき、食後のトイレタイムが終わって、やや静かになりました。後は睡魔が来てくれるのを待つばかりです。



◎8月6日(火) (11日目)
帰国

●男性乗務員
 いつの間にか眠ってしまい、目が覚めたらちょうど0:00でした。機はシベリア上空11125mをハバロフスクへ向かって飛行中です。

   《以下、プラス6時間の日本時間で表記》

 6:50、朝の軽食が配られました。乗務員は日本女性2人のほかは男性ばかり。かいがいしいサービスぶりです。私たちは食事をパス。この方が胃を休めるのに効果的に思います。あと1355km。間もなく日本海上空に達しました。

●暑い日本
 815、高度が5420mまで下がり、20分後に到着との機長報告。シートベルトの着用サインが出て、いよいよ旅も終わりです。
 8:35、無事に着陸。薄曇りで、むっとする暑さ。西日本は猛暑日が続いているとか。涼しい国から猛暑の日本へ。これからの体調管理が大変です。

●増幅した疑問
 帰宅までには成田エクスプレス、新幹線を乗り継がなければなりません。車中で今回の旅を振り返ってみました。
 北海道にも満たない小さな国でしたが、まさに3者3様。ドイツやロシアなど近隣国の利害に振り回された歴史に触れ、支配国が残した町の様子もしっかり観光できました。今回もまた「行って良かった」の旅でした。
 疑問も増幅しました。杉原千畝が発給したビザを持つユダヤ人難民が、敦賀上陸を許されたのはなぜか。日本国政府はビザ発給に反対だったのです。また、ロシアがシベリア鉄道の乗車を黙認したのも疑問です。研究者の成果を期待したいと思います。

●レポート
 E旅行社の添乗員は、ほぼ毎朝、A4サイズのレポートを渡してくれます。前日観光した場所や食事などをイラスト入りで記述。添乗員によって、レイアウトや表現の仕方が異なるのは当然ですが、旅行記をまとめるうえで、参考になることも多く、助かります。
 H・Mさんは観光した聖堂や教会などについて、建造年代などを詳細に記述。読みやすいレポートです。毎日の夜なべ仕事。さぞかし大変だったろうと、感謝しました。


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