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◎7月28日(月)晴 (2日目)
ビリニュス滞在

●今日の予定
 きょうは終日、ビリニュス市内の観光。ビリニュス大学や聖アンナ教会、聖ペテロとパウロの教会、ゲディミナス城、杉原千畝記念碑などを見て、昼食後はフリータイムです。
 3:30に目が覚めました。到着翌日は、いつものことながら早起きです。上空に三日月が浮かんで、今日も好天のようです。日本を発つ前に調べた天気予報によると、ビリニュスは8月2日まで晴天、あるいは晴れ時々曇りでした。

●ラファエル教会 朝食はバイキング。楽しみにしていたスモークサーモンやニシンの酢漬けはなく、ごくごく普通の品数でした。食後、部屋から見えるラファエル教会まで散歩しました。ファサードの左右に尖塔が聳える教会は、ラファエルを祀っています。
 ラファエルはミカエル、ガブリエルとともに、キリスト教における大天使の1人です。木立に邪魔されて教会の全容を写真に収めることはできませんが、なかなか重厚な建物でした。教会内をちょっとだけ見せてもらい、ホテルへ引き返しました。 

●通勤時間
 教会の前はネリス川。通勤時間とあって、橋を渡る南北線のヴィリニャウス通りにはトロリーバスや路線バスが頻繁に行き交っていました。橋の左右に自由と平和を象徴するブロンズ像が飾られています。
 ホテルに戻る途中で目にしたのは、いずこも同じく、ひどい落書き。教会の石塀や事務所にも、ところかまわずに無意味な落書きがありました。短時間ですが、風が爽やかで心地良い散歩でした。

●ビリニュス
 ビリニュス観光の前に、例によって少しだけの予習です。 町はネリス川とヴィリニャ川の合流点に拓けたリトアニアの首都。バルト海から離れた内陸部に位置しており、城壁に囲まれた旧市街を中心に発展しました。
 ビリニュスの市名はヴィリニャ川に因んで名付けられました。人口は約60万人。

●首都伝説
 ビリニュスがリトアニア大公国の首都に定められた伝説があります。14世紀の半ばのこと。リトアニア大公国のゲディミナス大公が狩猟の野営中、鋼(はがね)の鎧をつけたオオカミが、とてつもない大声で吠えている夢を見ました。
 それは、この丘の上に城を築き、その城を中心に町を造るようにとの啓示。そうすれば、鋼のように強固で、世界に名を轟かせる国になるであろう、というわけ。ゲディミナス大公は啓示に従って、近郊のトラカイからビリニュスに首都を移して築城。周辺国への攻撃の拠点にしたというのです。

●旧市街(世界遺産)
 旧市街には夜明けの門など10の城門が設けられました。城壁の中には、15世紀から16世紀に建造された歴史的な建築物が点在。その多くは近年修復されて、かつての景観を蘇らせています。1994年、ヴィリニュス歴史地区として、世界文化遺産に登録されました。
 旧市街の住人は大半がポーランド人でしたが、第2次世界大戦後、リトアニアがソ連に併合されたため本国へ追放され、その後はリトアニア人とロシア人が多く住むようになったということです。 

●町の見どころ
 ビリニュスは、ネリス川左岸の旧市街と東北側の新市街に2分されています。細い石畳が続く旧市街は中世の面影が色濃く残り、カテドゥロス広場から夜明けの門通りへと続く道路沿いに、見どころとなる歴史的建築物が集中しています。
 昼食後のフリータイムを利用して、夜明けの門通り―ディジョイ通り―ピリエス通りなどを散策したいと思っています。

●快晴の観光
 9:00、バスで観光に出発。まず向かったのは杉原千畝記念碑。ビリニュスの市名のもとになったヴィリニャは、川や雨、波などを意味しており、バルト3国の中でもっとも降雨の確率が高い国といわれています。しかし、きょうは気持ちよく晴れ上がってくれました。
 いつものように、バスの座席は3グループで前、中、後部を日替わりします。25人もいるので、毎日の1人2席は無理。最前列は2人掛けと決まり、自分たちがトップバッターになりました。

●杉原千畝記念碑
 杉原千畝記念碑には10分ほどで到着。ネリス川沿いの草むらの中に、高さ2mほどの茶色の石碑がひっそりと建っていました。石碑には杉原副領事の肖像画のレリーフや写真製版されたビザ、功績を記述したプレートなどが嵌め込まれています。
 碑は母校の早稲田大学が創立100年を記念して、2001年に寄贈したもの。周辺には桜の苗木も植えられました。

●敦賀上陸
 ユダヤ人難民に命のビザを発給した「日本のシンドラー」を顕彰するモニュメントですが、いまでは、日本人観光客の誰もが訪れる名所になっています。昨年(2007年)5月26日には天皇、皇后両陛下も訪問されました。
 ビザには「敦賀上陸」と明記されています。ビザを手にしたユダヤ人たちは、シベリア鉄道に乗り、ウラジオストック(ロシア)で定期連絡船に乗り継いで敦賀港に上陸したのです。感慨深く碑を見つめました。

●スギハラ通り
 リトアニアは1991年に日本と国交を回復しました。その記念に、ビリニュス西北の住宅街にある通りを「スギハラ通り」と命名しています。聞くところによると、杉原千畝の名を刻んだ小さな記念碑が建っているそうです。
 午後のフリータイムにでも出かけてみようと、ガイドに尋ねたら「どの辺り、と説明するのが難しい」といわれました。杉原千畝さんについては、後日、カウナスの領事館跡を訪れる予定なので、その時に詳しく触れることにします。

●聖ペテロとパウロの教会
 次に訪れたのは、同じ新市街に建つ聖ペテロとパウロ教会。建設が始まったのは1668年6月29日の聖パウロとペテロの日だそうです。建物の完成までに7年かかり、内装がすべて終了したのは30年後といわれます。
 建物はファサードの左右に尖塔を持つ、ありふれたスタイル。入口の上部に施された軍人バヌアツの紋章がバロックの片鱗を伺わせる程度ですが、数多くの漆喰彫刻が教会内の天井や壁を飾っているそうです。バヌアツは教会の建設資金を出した人物。

●装飾に圧倒
 ガイドの説明を聞いて、教会内に入りました。その瞬間、身廊が真っ白に塗りつぶされているのでは、と思いました。目が慣れてくるにつれて、天井や壁、礼拝堂…、いたるところを彫刻やレリーフが埋め尽くしています。
 聖人もいれば天使もいます。聖書や神話に登場する人物が次々に現れ、想像上の動物や悪魔もいます。目もくらむばかりのデコレーション。「おぉ、バロック!」と、叫びたくなるような装飾の数々。2000体以上はあるだろうとのこと。

●ペテロとパウロ
 教会に祀られている聖ペテロは漁夫の出身。イエス・キリストに仕えて12使徒のリーダー格になりました。ピエトロ、あるいはペトロとも呼ばれています。彼の墓の上にサン・ピエトロ寺院が建てられたといわれ、カトリック教会の初代教皇でもあります。
 一方のパウロは、「目から鱗が落ちた」の語源で有名な聖人。12使徒ではありませんが、ペトロと同じ6月29日が記念日です。当初はユダヤ教を信仰していましたが、キリストに出会って、盲目が快癒。それ以後、キリスト教に帰依するようになったことから「パウロの回心」と表現されています。

●宙づり帆船
 これでもか、これでもかと、目に飛び込む装飾の数々は、イタリアの彫刻家と地元の職人たち数百人が仕上げた「バロックの町・ビリニュス」の代表選手です。
 祭壇の前に真っ黒い帆船が宙づりにされています。「聖ペテロが漁夫の出身だったから」と、ガイドのダリアさんが説明しました。

●ケーブルカー
 しばらくは新市街を観光するようで、次に訪れたのはゲディミナス城でした。ゲディミナス大公がオオカミが吠える夢の啓示に従って、丘の上に建てたといわれる、あの城です。
 城には坂道を歩いても行けますが、私たちはケーブルカーで上りました。搭乗口付近の窪みにリタス紙幣やコインがたくさん投げ入れられていました。何かの験担ぎ?、と思いましたが、とくに説明はありません。 

●ゲディミナス城
 丘にはすでに13世紀に建造された木造の城があり、ゲディミナス大公はそこに赤煉瓦の城を築きました。城は現在、廃墟と化していますが、城を取り囲んでいた監視塔の一つが残っています。
 塔の周辺は町を一望できるすばらしいビューポイント。赤茶色の甍(いらか)の中に、いくつもの尖塔が聳えています。旧市街の観光はこれからなので、それぞれの尖塔がどの教会のものかわかりませんが、一見の価値ある絶景です。

●眼下の眺望
 塔は博物館と展望台になっており、4リタスで屋上に上ることができます。私たち夫婦を含め、かなりの人が階段上りに挑戦しました。塔は5階建てビルに相当する高さ。搭上から眺める風景は、また趣が異なります。
 旧市街ばかりでなく、ネリス河畔の新市街も一望できます。発展著しいベストウェスタン周辺の高層ビル群も手に取るよう。遠くにはテレビタワー、緑色のねぎ坊主を光らせるロシア正教の教会も見えました。

●国旗
 塔の天辺に黄、緑、赤3色のリトアニアの国旗が翻っています。1918年から掲揚されましたが、ソ連併合時代はリトアニア・ソビエト共和国旗に変わりました。3色国旗が監視塔の上に再び姿を見せたのは、国が主権を宣言し、独立の気運が高揚した1988年のこと。
 横縞模様の黄色は光と太陽、緑色は自然、赤色は祖国のための流血を表現しています。盛夏の風になびく国旗は自由と独立の象徴。リトアニアは来年(2009年)、歴史的な文書に初登場してから100年を迎え、盛大な建都祭が計画されています。

●下の城
 丘を下って旧市街へ。これからは徒歩での観光になります。向かうのは大聖堂。この辺りは下の城といわれる地域。上の城と呼ばれるゲディミナス築城の後に、ゲディミナス公の公邸が設けられました。当時は1kmほどの城壁が取り囲んでいたそうですが、いまは跡形もありません。
 大聖堂の周辺は、もともと雷神ペルクーナスを祀る自然信仰の聖地。いまは、国木の樫(カシ)が繁る公園で、土着信仰のモニュメントを見かけました。

●大聖堂
 目ざす大聖堂は公園の先にありました。カテドウロス広場に建つ白亜の聖堂が青空に映えています。土着信仰の地に、ロマネスク様式の教会が創建されたのは1251年。リトアニア初代大公のミンダウガスの時代でした。ドイツの十字軍騎士団に屈してキリスト教を受け入れ、その証に建てたといわれます。
 その後、14世紀にゴシック様式に改築されたり、火災で焼失するなどして、現在の建物は18世紀後半に再建されたネオ・クラシカル(新古典)様式です。

●聖ヘレナ像
 堂内にはバロック様式の聖礼拝堂があり、リトアニアの守護神、聖カジミエルの遺骨が銀製の棺に納められています。また、地下には16世紀に在位した国王と王妃の棺が安置されているそうです。
 屋根の上に3聖人の像が飾られています。中央で十字架を掲げているのは聖ヘレナの像。ローマ帝国・コンスタンティヌス大帝の母で、聖墳墓教会の生みの親です。ソ連時代、大聖堂はトラクター工場にされ、聖ヘレナ像も撤去されていましたが、1996年に復活しました。

●大鐘楼
 大聖堂の前に大きな塔が建っています。かつての大公邸跡に建設された高さ53mの大鐘楼。基礎の部分に13世紀の城壁の一部が使われています。 
 大鐘楼付近の広場は、また独立の扉を開いた「人間の鎖」の起点でもあります。1989年8月23日、旧ソ連の支配下にあったバルト3国の有志200万余人が参加して、独立運動の「人間の鎖」をつないだ場所です。リトアニアからラトビア、エストニアまで650kmに及んだ結束のデモンストレーションでした。

●大統領官邸
 「大聖堂の後ろにゲディミナス城の監視塔が見えるでしょう。昔は上と下の城が廊下で繋がっていました」。ダリアさんの説明を聞きながら、大統領官邸まで南下してきました。白亜の2階建て。国旗が掲げてあれば、大統領が執務中とのこと。官邸につきものの衛兵がいません。実は官邸内で監視に当たり、外部は監視カメラに任せているそうです。
 現在の大統領は2004年7月に就任したヴァルダス・アダムクス氏。5年任期なので、来年選挙を迎えます。

●ビリニュス大学
 官邸と道路を隔てて、ビリニュス大学が建っています。1579年に開校した名門校。法律、経済、数学、医学、人文など13学部に約2万2000人が学んでいます。うち30%が奨学生。2階の窓枠周辺に観測器具のような装飾がある建物を、添乗員のH・Mさんは「図書館です」といいました。
 ビリニュス大学には1753年、ヨーロッパで4番目に古い天文台が設けられ、イギリスのグリニッジ王立天文台と双璧をなすとまでいわれました。現在も天文学が有名。窓枠周辺の装飾も天文学に関連がありそうです。 

●苦難の歴史も
 校内には入りませんでしたが、言語学部の2階ホールは土着宗教時代の生活ぶりを描いたフレスコ画「四季」で彩られ、19世紀初めの装飾が見られる古書室なども同居しているそうです。
 ロシア帝国の治世下やドイツの占領下で閉鎖されたり、多くの教授が収容所に移送されるなどの苦難の歴史も秘めています。

●聖ヨハネ教会
 ビリニュス大学のキャンパス内に、後期バロック様式の聖ヨハネ教会が建っています。リトアニアがキリスト教を受け入れた直後の14世紀後半に建造され、火災後に現在の姿に再建されました。旧市街でもっとも高い68mの鐘楼が聳え、18世紀に大学の教会になりました。
 ソ連の占領時にはワイン倉庫に使われたこともあります。また、フレスコ画も大半が破壊され、その後、修復されました。午後のフリータイムに内部を見たいと思っています。

●聖アンナ教会
 聖ヨハネ通りの「灯ともす像」を眺めながら、旧市街の東はずれにあるゴシック様式の聖アンナ教会にやって来ました。ファサード(正面)に33種類もの違った形の赤煉瓦が使われているので有名です。
 教会は14世紀の初頭に創建し、現在の姿に改築されたのは1501年。逆光のため、赤煉瓦のファサードがくすんでいましたが、3本の尖塔が聳える姿は優美そのもの。透かし彫刻も施され、装飾にこだわった建物です。

●高い芸術性
 場所を変えて、反逆光の位置から眺めてみました。様々な形の煉瓦が巧みに組み合わされているのがわかります。聖母マリアの母、アンナの名を冠した教会は芸術品そのもの。かのナポレオンが「フランスに持ち帰りたい」といった逸話を信じる気持ちになりました。
 ナポレオンはロシア遠征途上の1812年に教会を訪れました。その麗しい姿にひと目惚れし、「我が手に収めて、フランスに持ち帰りたい」といったという話です。

●冷たいスープ
 これで、予定の観光は終了。12:00、旧市街のレストラン「ネリンガ」で昼食です。赤カブのスープ、白身魚のソテーとご飯、アップルパイなど。これからずっと昼食と夕食にはコーヒーか紅茶がサービスされるそうです。
 赤カブのスープはシャルティバシチェという、リトアニアの家庭料理。冷やしてあるので、口当たりが爽やかでした。ポーランドでも親しまれている料理だそうです。昼食時から2人が加わって25名に。ロシアからバルト3国へと、2つのツアーをハシゴしたそうです。

●検札で騒動
 昼食後はフリータイム。いったんホテルに戻り、希望者だけがトロリーバスでビリニュスの鉄道駅まで行き、そこから旧市街の南側を観光することになりました。私も途中まで一緒することに決め、5番線に同乗。
 車内に検札用パンチがあり、チケットを挿入したら、いくつかの穴が刻印されました。終点の駅前で下車するとき、女性の検札係がクレームをつけて、ひと騒動が勃発。パンチをしなかった数人が「チケットは不正。追加料金を」と要求され、しぶしぶ2LTを支払っていました。

●ビリニュス駅
 ビリニュスの鉄道駅は、リトアニア国有鉄道の拠点。ピンク系の外観がきれいな建物です。ビリニュス―カウナス間に17往復、ヴィリニュス―トラカイ間に10往復など、国内に旅客列車を運行しています。
 しかし、国内の旅客輸送全体に占める割合は、まだ1割程度。運用実績はEU諸国で最低だそうです。

●夜明けの門
 駅からぶらぶら歩いて、夜明けの門(曙の門)へ。かつて城壁に設けられていた10の城門の一つ。16世紀初頭に建造されたルネッサンス様式で、現在残っている唯一の門です。
 レンガ造りの古風な館やカラフルな建物が並ぶ先方に、白い建物が口を開けています。後方には教会の塔。聖テレサ教会でしょうか。

●聖母イコン
 近づくと、正面の上部に白い騎馬像のレリーフ。リトアニアの紋章です。門の2階には1671年に設けられたチャペル(礼拝堂)があります。聖母マリアのイコンが、さまざまな願い事を叶えてくれるというので、参拝者が絶えません。
 イコンは隣接する聖テレサ教会にあったもの。1993年9月には、ヨハネ・パウロ2世が訪れました。イコンは外敵から町を守る守護神として、市民に崇(あが)められています。

●教会群
 夜明け門を潜れば、バロックの世界。ここからは別行動で、夜明け門通り、ティジョイ通りなどをぶらつきました。真っ先に姿を見せたのは、先ほど夜明け門の後方に塔が見えた聖テレサ教会。17世紀に建造されたバロック様式の可愛らしい教会でした。
 右に左に教会が続きます。右側のピンクの入口を潜れば、ロシア正教の聖霊教会。左に大きな門があるのは聖三位一体教会です。教会と修道院として使われています。 

●聖カジエミル教会
 さらに北へ進んで、目ざすのは聖カジエミル教会。ピンクの外観が素晴らしいと聞いています。天辺に十字架を乗せた王冠のような塔が家並み越しに見えます。脇道からの方が近いように思い、路地に入ったのが運の尽き。教会の周辺をぐるぐる彷徨う結果になりました。
 なんとか正面に出られて眺めた教会は、想像通りの優美さ。1604年に建造されたバロック様式。現在の姿になったのは19世紀です。

●鮮やかな外観
 リトアニアの守護聖人、聖カジエミルを祀る教会は、パステル調の色彩が鮮やかです。ファサードの一部が工事中でしたが、観光客に人気があるようで大きな団体が訪れていました。
 この教会にも苦難の歴史があります。目印にした塔の王冠が帝政ロシア時代に玉ねぎ形に代えられたり、ソ連時代には博物館に利用されたりしました。

●ロシア正教会
 近くに市庁舎広場があります。旧市街の中心ですが、18世紀に建てられた市庁舎以外に見るべきものはありません。古い市庁舎は戦災で破壊されたそうです。ここから北に延びるのはティジョイ通り。さらにピリエス通りへと続きます。この道を辿ってみることにしました。
 前方に赤茶色とピンクの教会。ロシア正教会です。中に入ると、祭壇にイコンがずらり。写真撮影は禁止でした。その先にもロシア正教が。町並の中にいくつもの尖塔が見えます。周辺には聖母マリア教会、聖ニコラス教会、聖ミカエル教会などもあるので、それらのものと思われます。

●聖ヨハネ教会再訪 
 ピリエス通り沿いにあるビリニュス大学まできました。受付に女性がいて、5LTで見学できるといいます。中庭を挟んで、大学と聖ヨハネ教会が建っていました。
 教会の中に入ると、祭壇は天然の大理石をぶんだんに使った豪華な造り。フレスコ画もきれいに蘇って、これぞバロックの趣でした。ステンドグラスも素晴らしいです。

●店の看板
 キャンパスを出て、大統領官邸付近をうろうろしていたら、またもとの受付に戻ってしまいました。「また、無駄歩きしたね」と妻と話ながら、観光客で賑わうピリエス通りを北上。疲れてきましたが、そぞろ歩きは楽し!、です。
 レストランや商店の軒先に吊された看板に目を奪われます。店のコマーシャルですが、動物がいたり、鍵があったり、本があったり…。きょろきょろしながら大聖堂まで戻ってきました。

●大公の像
 午前中は賑わっていたカテドウロス広場に、人影が少なくなっていました。一角に鎧に身を固めたゲディミナス大公が馬を従えた像が建っています。
 予定ではホテルまで歩くつもりでしたが、体力を使い果たしました。地図を見ると、まだかなりの距離がありそう。添乗員のH・Mさんは「駅からホテルまでは1.5km。十分歩けます」といっていたのですが…。

●タクシー
 市内にはベルナンディン教会、円形城塞、国会議事堂、3つの十字架など他にも見どころはありますが。もう限界です。タクシーに乗りました。ちょっと遠回りをされた感じですが、ビリニュスは一方通行の多い町。あるいは規制に引っかかったのかも知れません。料金は20LTでした。
 無口な中年ドライバーでしたが、別れ際に「アチュー(ありがとう)」といったら、にっこり笑っていました。夕食はフリーでしたが、再び外出する余力はゼロ。持参の日本食で部屋食にしました。

 

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