ページ: TOP 10

(文中の赤文字をクリックすると関連のページが開きます)


◎7月29日(火)晴 (3日目)
ビリニュス→トラカイ城→カウナス→クライペダ泊

●今日の予定
 きょうはビリニュス郊外のトラカイ城に立ち寄った後、リトアニア第2の都市、カウナスへ向かいます。到着後、市内観光の予定です。
 5:00に目が覚めたら、小雨が降っていました。ビリニュスは雨の多いところだそうですが、その洗礼を受けたわけです。湖の小島に佇むトラカイ城は、ぜひ青空の下で見たいと思っていたので、がっくり。直後、ビルの谷間に虹が架かりました。ということは、光がある?。

●黄色は琥珀
 朝食は巨体の男女が入り乱れて、席を見つけるのも大変なほどの混雑ぶり。短い夏のバルト3国は、いまが絶好の観光シーズン。宿泊客が多いのもうなずけます。
 9:00、出発。先ほどの雨はどこへやら。願ってもない青空が広がってきました。リトアニア国旗の黄色についてH・Mさんは「特産の琥珀を表現している」と説明しました。

●琥珀の産地
 リトアニアは古くから琥珀の名産地として知られているので、そのような見方もあるな、と思いました。ビリニュスの町歩きでも琥珀を売る土産物店を見かけました。
 琥珀とは、松などの樹脂(ヤニ)が長い歳月をかけて石化したもの。黄褐色の神秘的な光を放ち、良質のものは宝石として重用されます。日本にも輸出され、石の中にハエ、アブ、アリなどの昆虫や植物の葉などが混入したものは、とくに珍重されています。

●花の絨毯
 バスは緑の中に延びる片側2車線の高速道路を、ぽんぽん弾みながら快走。大型車は90km、普通車は130km制限です。沿道の草原は季節の花の競演。白、ピンク、紫、黄、赤…。ところどころに野花の絨毯が広がっています。リンゴの木には小振りの実が鈴なり。
 郊外に出ると、ますます緑が濃くなってきました。森林の国を実感しながら9:45、トラカイ城に到着。ビリニュスから約30kmのドライブでした。 

●トラカイ城
 湖上の小島に浮かぶトラカイ城。バスを降りると、前方の湖畔に赤茶色の優美な姿が佇んでいました。快晴。思い描いていた通りの風景に感激です。
 城の周辺はリトアニア唯一の歴史自然公園。国内有数の観光地として、今日も多くの人が訪れています。城はトラカイ周辺に200もある湖沼の一つ、ガルヴァ湖上の小島に建ち、「島の城」と呼ばれています。東欧ではただ一つの水上城です。

●一時は廃墟に
 築城は14世紀後半から15世紀にかけて。リトアニア大公国のヴィタウタス大公がドイツのチュートン騎士団の攻撃を防御するために築いたもの。城は小島のほとんどを占め、リトアニア大公国の要(かなめ)でした。
 湖上の要塞は騎士団に侵略されることはありませんでしたが、帝政ロシア時代の17世紀に破壊され、廃墟と化してしまいました。ガイドによると、城が現在の姿に再建されたのは1970年。完全に復元されるまで20年もかかったそうです。

●白鳥の親子
 湖畔に並んで全員の集合写真を撮っていたら、10羽ほどの白鳥の親子が近寄ってきました。城と湖と白鳥の親子…。願ってもないシャッターチャンスに全員大喜び。しばらくシャッター音が連発されました。 
 湖上には白い帆を揚げたヨットが浮かび、釣り人の姿も。上半身裸のおじさんは遊覧ボートの手入れ。琥珀や人形を並べた土産物店も店開き。湖畔をのんびり歩きながら、小島に架かる木橋を渡りました。木彫の大きな像が建っていました。トラカイを愛し、町づくりに貢献したヴィタウタス大公です。

●観光客の輪
 木橋は全長100m余り。渡りきったら城の正門です。入城門の両側に建つ監視塔の銃眼が「要塞の城」を証明しています。カメラ撮影料2LT払って、門を潜りました。ビデオカメラは4LT。
 入ったところが広場。左に兵士たちの宿舎(現在は博物館)、前方にヴィタウタス大公の居城、高さ35mの塔などが建っています。すでに観光客の輪がいくつもでき、ガイドの説明を聞き終わったグループが、次々と階段を上って、赤茶色の建物に消えていきました。 

●城内へ
 私たちも同じように階段を上り、お濠に架かる跳ね橋を渡って城内へ。階段の下に罪人を断罪するギロチンがあってギョッと。建物が中庭を取り囲み、階上に通じる階段が螺旋状に何カ所も設けられていました。階段は最高所の監視塔に通じ、哨戒兵は敵を発見すると、狼煙で急を告げたとか。
 煉瓦の壁や石壁が崩れ落ちていて、要塞建築の傑作は古城の雰囲気を醸しています。当時の様子をイメージして復元されたようです。

●部屋を見学
 最初に見学したのはレセプションルーム。ヴィタウタス大公が戴冠式をしたかった場所だそうです。シンプルな部屋ですが、築城当時は内壁にフレスコ画が飾られていたとの説明でした。
 その後は、螺旋状の木製階段をぐるぐる。いくつかの部屋を巡回し、武具や生活用品、宝飾品などを見学しました。狭い部屋は観光客で満員。人気のほどがうかがえました。

●青空に映え  
 城内見学は11:00に終了。再び木橋を渡りました。振り返ったトラカイ城は、真っ青なリトアニアの夏空に映え、見事なコントラストを見せていました。
 11:30、カウナスへ発車。車窓には黄金色が波打つ麦畑、川に浸かって水浴を楽しむ男女、十字架の林…などの風景が目まぐるしく展開し、退屈させません。

●農家点在
 沿道に点在する農家はどれも小さな造り。屋根に木材を簾のように並べた家も目立ちます。屋根に積もった雪が大量に落ちるのを防ぐ工夫でしょうか。
 3つの窓がある小さな家を見つけました。ヴィタウタス大公の時代から住んでいる少数民族、カライム人の家かも知れません。道路に面した壁に3つの窓がある家があったら彼らの家、と何かで読んだことがあるからです。カライム人とは、クリミア半島から連れてこられた傭兵の子孫。現在は周辺地域に300家族が住んでいるそうです。

●バカンス
 バスが向かっているカウナスは、杉原千畝さんがユダヤ人に命のビザを発給した日本領事館があったところ。H・Mさんがポーランド少年の体験記「奇跡の査証(ビザ)」を読み、聞かせてくれています。
 外気温25度の表示がありました。地元の人はバカンスを満喫できる貴重なシーズン。25度でも水浴を楽しむ気持ちがわかります。

●コウドゥナイ
 13:00、カウナスに到着し、まずはレストランで昼食。マッシュルームのスープに続いて、リトアニア風の水餃子、コウドゥナイが登場しました。やや小型なので、つるんつるんと入ってしまいます。自分には少し脂濃いように感じられましたが、美味しかったです。
 デザートはアップルパイとアイスクリーム。リトアニアは乳製品が豊富なので、デザートにアイスクリームのパターンが多いようです。昨日の昼食もそうでした。水は0.5g入りが4LT。

●カウナス
 昼食後は市内観光。その前に、例によって少しばかりの予習です。カウナスはリトアニアの中央部にある国内第2の都市。ネマン川とネリス川の合流点にあり、36万人が住んでいます。
 河口港があって、商工業や金属、機械、食品加工などの工業が盛んです。14世紀のカウナス城をはじめ、15世紀のビタウタス教会、17世紀のパジャイスリス修道院などの歴史的な見どころ、また、命のビザの旧日本領事館があります。市内に14の博物館が開設されているのも自慢です。

●ハンザ同盟都市
 13世紀にドイツ騎士団の侵略から町を守る砦(カウナス城)が築かれ、15世紀にハンザ同盟の仲間になって大きく発展。しかし、ナポレオン軍の侵攻、ロシアへの移譲、ペストの流行などで荒廃しました。
 町が息を吹き返したのは1920年。リトアニアの首都だったビルニュスがポーランドに占領されたため、カウナスに遷都されたからです。第2次世界大戦までは工業都市として飛躍。戦時中にドイツ軍に占領され、住民の大半が殺害される悲運も。その後はソ連併合、独立の道を歩み、ビルニュスに首都を明け渡して今日に至っています。

●ヴィエニベス広場
 昼食後、最初に訪れたのは新市街の北側にあるヴィエニベス(自由、共存)広場。リトアニア独立のため犠牲になった英雄たちの記念碑、旗を掲げた自由の天使像など、いくつもの碑が建っています。 
 広場の端に、平和の火を灯し続けている三角形の石積みの建物がありました。無名戦士の遺骨を納めた独立記念碑。石は戦闘が行われた地域から集められたもの。背後は十字架の林になっていました。

●英雄の碑
 独立記念碑に至る参道、あるいは記念碑のそばに胸像が十数基並んでいます。独立運動に関わった英雄たちです。後方の厳つい建物は軍事博物館。戸外にも大砲や戦車が展示されていました。
 カウナスでは結婚式を挙げた新郎新婦が広場を訪れ、独立記念碑に献花するのが習わしになっているそうです。

●旧日本領事館
 バスで新市街の東側にある旧日本領事館へ。バスは高級住宅が並ぶ狭い通りを四苦八苦しながら進んで、やっと辿り着きました。国を代表する領事館なので、もっと広い通りに面しているものとばかり思っていたので意外です。
 建物は民家と見間違えてしまうほどの大きさ。ベージュの外壁の2階建てで、面積は約130平方m。地下もあります。現在は杉原記念館とカウナスマグヌス大学が同居。外壁に記念館入り口の小さな表示がありました。 

●杉原記念館 
 入口は階段を下りた目立たない場所に。地下部分と2階が杉原記念館、1階が大学の校舎に利用されています。入口に「杉原―命の外交官基金 杉原記念館」のプレートが掲げられていました。
 入館すると、右側に杉原千畝副領事の執務室があり、入口の壁に査証を大写しにしたコピーを掲示しています。ビリニュスの記念碑で見たのとは違うビザでした。

●執務室
 まず、隣室でDVDを鑑賞したり、写真やパネルを見て、杉原千畝(以下、敬称略)の生い立ちなどを予習。その後、執務室を見学しました。白壁と板張りの床。それに机と椅子、小さな本棚…。日の丸の旗がなければ、書斎か会社の重役室と変わりません。
 机の上には当時使用していたインク壷や電話。ここでユダヤ人難民へのビザを必死に書いたのかと思うと、やはり感動を覚えます。椅子に座し、ペンを手に、ポーズして記念撮影する男性もいました。

●ドイツ人難民
 杉原千畝については、さまざまなメディアで語り尽くされています。副領事時代の1939年(昭和14年)、ナチス・ドイツに占領されたポーランドからリトアニアへ逃れた、多くのユダヤ人に日本通過のビザを発給し、6000人もの命を救った人道外交官「日本のシンドラー」というのが、大方の紹介です。
 それには次のような背景があるので、簡単に触れておきます。ヨーロッパへの逃避路もドイツ軍によって塞がれ、彼らに残された生きるための道は、ただ一つしかありませんでした。それはシベリア鉄道を経由して日本へ、そこから第3国へ出国するという方法でした。

●ビザ発給
 そのため、日本通過のビザを求める難民たちが領事館に殺到。当時、日本はドイツと防共協定を結んでおり、ユダヤ人難民に対するビザ発給には反対でした。しかし、難民たちの窮状を見かねた杉原千畝は、本国政府の意向に逆らって、ビザを書き続けたといいます。
 ほぼ1か月間、夜を徹して発給を続け、その数は1600枚にのぼるそうです。子供にはビザは必要なかったといいます。

●命からがら
 ビザを手にしたユダヤ人たちは、シベリア鉄道でウラジオストック(ロシア)へ。そこから定期連絡船で福井県敦賀港に上陸しました。途中でロシアの秘密警察に金品を奪われるなどし、命からがらの逃避行だったそうです。
 敦賀の人々は親切に迎えました。ビザは日本通過のためのもの。滞在期間は10日間、しかも日本政府の目が光っているので長居はできません。慌ただしく、神戸港や横浜港から新天地を求めて船出していきました。

●敦賀ムゼウム
 敦賀港には、当時の様子を記録した「人道の港 敦賀ムゼウム」という資料館が開設されています。展示されている当時の新聞記事などによると、難民が上陸したのは、1940年(昭和15年)8月13日から翌年6月14日にかけて。その間に約6000人のユダヤ人が上陸したと伝えられています。
 私がバルト3国へ発つ前日(7月26日)、敦賀ムゼウム開設を記念したシンポジウムが催され、杉原千畝の長男弘樹さんの美智夫人や「真相・杉原ビザ」の作者、渡辺勝正らが参加しました。

●資金不足
 執務室そばの廊下に、日本地図が張ってあります。訪問者が自分の地域に赤い画鋲を差す仕組み。私の町にはすでに1本刺してありました。
 ところで、2階は当時、家族の住宅でした。記念館の展示室にするため修復、改修を進めていますが、資金不足のため捗っていないということです。

●パジャイスリス修道院
 感動さめやらぬ一行を乗せたバスが次に向かったのは、郊外に建つパジャイスリス修道院でした。17世紀に創建されたシンメトリー(左右対称)のバロック様式。
 奇跡を起こすと伝えられる聖母マリアのイコン、フレスコ画や漆喰彫刻、赤と黒の大理石を使用した装飾などが見られましたが、内部の撮影は禁止です。

●旧市庁舎
 旧市街にやってきました。カウナスは博物館が14、大学が7つもある学術都市。その中心が旧市街です。見どころは、ロトゥシェス広場周辺に集中しています。
 塔が聳える白亜の建物は旧市庁舎。1775年に改築され、バロック様式になりました。白鳥に例えられる美しい建物ですが、帝政ロシア時代には政治犯の牢獄や別荘などにも使われました。現在は結婚式場や婚姻登録所として親しまれています。

●大聖堂
 2本の塔が建つシンメトリーの教会はヴィタウタス教会。ヴィタウタス大公が戦場で奇跡的に難を逃れられたのに感謝して、15世紀に建造されたといわれます。
 赤煉瓦の建物は15世紀の大聖堂。内部は工事中ですが、見学ができました。祭壇周辺は囲いがしてあって近寄ることはできませんが、漆喰彫刻が多用され、フレスコ画も見事でした。聖母マリアの奇跡から400年の行事があるらしく、入口にポスターを掲げていました。

●カウナス城
 カウナス観光の締めくくりは、ネリス川沿いに残るカウナス城。ドイツ騎士団に対抗するため、13世紀に築かれた城塞です。現在残されているのは、修復された塔と城壁の一部だけ。築城当時は厚さ2m、高さ13mの城壁が城を取り囲み、塔も4つあったそうです。
 あいにくの逆光。全体がぼやけていましたが、それがかえって古城らしく、強者どもの夢の跡を感じることができました。

●コウノトリ
 17:15、クライペダを目ざして発車。カウナス郊外で牛の放牧風景を見ました。川で水浴する人々も。トイレ休憩で立ち寄った給油所近くの草むらにコウノトリが1羽。リトアニアの国鳥ですが、これまでお目にかかれませんでした。
 無警戒の様子なので近寄って写真を、と思うのですが、足もとが悪くて断念。遠くから望遠で撮りました。南の地方から子育てに戻っている時期なので、これからも見られるでしょう。

●オーバーブッキング
 20:00、クライペダに到着、「ラディソンSAS」にチェックインしました。夕食はホテルで。野菜サラダ、七面鳥のグリル、チェリーパイなど。部屋は広いスペース。スーツケースを広げるのに十分でした。
 ただ、予約の取りすぎ、オーバーブッキングで添乗員H・Mさんの部屋がないとか。「別のホテルに回されるかも」と言っていました。

●クライペダ
 クライペダは、リトアニア国内で唯一バルト海に面した海港都市。漁業や造船が盛んで、20万人近くが住んでいます。スウェーデンやデンマーク、ドイツ、ポーランドを結ぶ主要なフェリー港でもあります。国内第3の都市は、かつてドイツに属し、メーメルと呼ばれていました。
 クルシュー砂州やリゾート地のバランガヘの観光拠点でもあり、私たちは明日午後に市内観光の予定です。


ページ: TOP 10