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◎7月30日(水)晴 (4日目)
クライペダ→ニダ→クライペダ泊

●今日の予定
 きょうは朝食後、フェリーでロシアとの国境近くにあるニダの町へ。世界文化遺産のクルシュー砂州を観光します。
 6:30、H・Mさんの案内で、早朝散歩に出かけました。街角のナナカマドは真っ赤な実をつけ、運河には帆船が浮かんでいます。「あの帆船、ビール会社の宣伝です」。H・Mさんはこともなげに言って、先へ進みました。 

●町の風景
 クライペダはあちこちで工事中。港付近も土砂が掘り返されて、護岸の工事が進んでいました。内海のクルシュー潟まで歩く予定でしたが、朝食の時間が迫っています。運河に浮かぶ小型船などをカメラに収めて引き返しました。
 フェリーの発着場は朝から大忙しのよう。次から次へと人や車が乗り場へ吸い込まれていました。公園に帆船をデザインした花壇。いかにも港町らしい光景です。ハンザ同盟都市の特徴である、ぎざぎざ破風の建物も見かけます。ホテル近くのスーパーで水を買うつもりでしたが、開店は8:30。手ぶらで引き上げました。

●騒々しい朝食
 朝食のレストランは大変な混雑。7:40。すでに満席。テーブルの奪い合いのような騒動です。やっと席を確保したと思ったらバイキング用の取り皿がありません。観光客でごった返しているのです。団体客を泊めるのに、レストランが狭すぎます。
 従業員の対応が追いつかないのでしょう。なんとも騒々しく、慌ただしい食事。明朝は一番乗りしてやろうと、早々に切り上げました。

●フェリー
 9:00、出発。10分ほどでクルシュー海(潟)のフェリー発着場に到着。乗用車やRV車の長い列ができています。クルシュー砂州には海水浴場もあるので、レジャー客が殺到するシーズンなのです。
 バスが真っ先に乗船しました。「予約をしていたから」とのことです。9:30、出港。今日も快晴。カモメが見送ってくれました。砂州の港まではわずか10分です。 

●クルシュー砂州
 砂州の北端にあるスミルティスの町から南端のニダの町まで、林の中をドライブです。ところで、クルシューー砂州とは、クライベタからロシアの飛地、カリーニングラード州のサンビア半島に延びる全長98kmの細長い砂州のこと。
 湾曲になった本土側のクルシュー潟とバルト海を仕切るように、弓形に延びています。98kmのうち、北側の52kmがリトアニア側です。砂州の幅は狭いところで500m前後、広いところは4kmもあり、砂丘や漁村、森林が共存しています。

●人工の森
 バスの行く手、左右に広がる樫、松、菩提樹、ナナカマドなどの森は、その大半が人工の植林によるものです。砂州は紀元前3000年には現在の姿になったといわれます。
 当時から森林に覆われた緑豊かな地域で、土着の人々は木像信仰を深め、木と共に生活してきました。

●努力のおかげ
 しかし、産業が活発になるに伴って、16世紀ごろから立木の伐採が急速に拡大。砂漠化が深刻になりました。心痛めた地元の人たちが植林、砂漠化防止に立ち上がったのです。
 現在、12%まで回復し、昔の風景が蘇りつつあるのは、村人たちの努力のおかげというほかありません。真っ赤な実をつけたナナカマドが青空に映えていました。

●白い砂
 男性ガイドの説明を聞きながら、バルト海を見下ろす高台まで来ました。眼下に砂丘が広がっています。パルニッジョ砂丘(白い砂丘)のようです。「かすかに見えるのがロシア側」。ガイドが前方を指さしました。
 白い砂地を踏んで数人が歩いています。「せっかくここまで来たのですから、砂丘を歩いてみましょう」とガイド。躊躇する者もなく、砂の中へ果敢に下りました。観光客の大半は、砂丘展望だけで引き上げるそうです。

●世界遺産
 砂丘の平均高度は35m、高いところは55m以上も。ヨーロッパで最も高低差があり、動きの激しい砂丘といわれています。砂上は焼け付くような暑さ。白く、細かい砂粒は、さらさらときれいです。
 クルシュー砂州は世界文化遺産。浸食や森林破壊などの問題はありますが、人々と共存してきた価値が認められ、2000年に登録されました。砂州は屈強な少女ネリンガによって造られたという伝説があり、地元ではネリンガと呼ぶ人が多いようです。

●雑草や花
 砂丘は砂ばかりではありません。雑草が生え、花も咲いています。ところどころに、ささやかな風紋が描かれています。死の砂丘というのもありました。フランス兵が殺された場所だとか、昔の村が埋まっているからなどの説があるそうです。
 ドイツの文豪トーマス・マンが「北のサハラ」と呼び、いくつもの集落を呑み込んできた砂丘。砂に足を取られ、前の人の長い影を踏みながら、歩いて歩いて再び海岸を見下ろす場所に出ました。

●ニダ
 真っ青な海に帆船が浮かび、ニダの町が見えています。眼下に臨むニダの町は、ロシア国境の町。リトアニア側の砂州には、北から順にスミルティス、アルクスニネ、ヨードクランテ、ペルヴァルカ、プレイラの集落があり、最南端のニダは最大の町です。
 最近はドイツ資本によるリゾート開発が進んで、色とりどりのペンションやレストランが並んでいるそうです。 

●夏を謳歌
 私たちは砂の坂を上り、林の中の階段を下って、海岸に辿り着きました。海浜では子供たちのヨット教室が開校中。勢揃いしたヨットの背後に白い砂丘が横たわっていました。
 浜辺ではヨットの手入れをしたり、レストランでくつろぐ人々。国内をはじめドイツ、フィンランド、デンマーク、イギリスなどからやって来たレジャー客が思い思いに夏を謳歌しています。

●海岸通り
 町に入ると、海岸通りにカラフルなペンションやレストランが並んで、海浜リゾートの浮き浮き気分があふれています。世界遺産のモニュメントを見て、先へ進みます。目ざすのはトーマス・マンの博物館。
 休みなしに歩き通し、かなり歩き疲れました。H・Mさんの「もうすぐ」の声だけが励みですが、それらしい建物はなかなか現れません。水辺の鳥やハマナス、レストランの庭に咲く花々を眺めながら、気力を振り絞りました。

●昔の標識
 通りのあちこちで面白い標識?を見かけます。長い丸太の先っぽに幾何学模様や馬、人、家などをあしらった、木製の横長プレートです。昔使われていた標識で、民家の近くに建っていたそうです。
 図柄によって、地区や職業がわかるようになっています。いまは町のアクセサリー。土産物にもなっています。

●トーマス・マン博物館
 「まだですか」、「もう少しです」を繰り返すこと数回。砂丘歩きの疲労が足にきています。ヘロヘロ状態になったところで、さらに階段を上り、12:45、ふうふういいながらトーマス・マン博物館に到着しました。
 バルト海を見下ろす高台に建っています。ニダをこよなく愛したマンの別荘だったところ。ノーベル賞の賞金で購入したといわれます。マンの肖像画や資料が展示されていました。マンは妻がユダヤ人だったのでナチス・ドイツに狙われ、ここで暮らしたのは3年間だけでした。

●数々の木彫
 13:15、ニダの町外れにあるレストランで昼食。人参のスープ、鱈のホイル焼き、チョコレートケーキなどでした。 
 レストランの周辺に奇妙な木彫が点在しています。板面にびっしり文字を刻んだもの、鉈(なた)を手にしたインディアンのような男、人間のような妖怪のようなもの…。これらは土着宗教の信仰を表現しているそうです。

●海水浴場
 バスは帰路につきましたが、リトアニアはバルト海に面している海岸線がもっとも短い国。せっかくだからと、海水浴場に道草しました。水着姿が行き交う林道を進んで海辺に出ました。
 広い砂浜にパラソルの花が咲き、ビーチバレーボールを楽しむ若者の声が弾んでいます。まさに夏満開。バルト海に手を浸して、その場を離れました。

●鵜の生息地
 しばらく走ったところに、世界で2番目の規模という海鵜の生息地があり、そこにも立ち寄りました。階段を上がって展望台に立つと、森の木々が白くなって、枯れています。鵜の糞害によるものです。
 ここに鵜が住み着くようになったのは200年ほど前。一時、姿を消しましたが、1980年代になって増加し、漁業者を悩まし続けています。森林火災で繁殖のペースは落ちているそうですが、周辺は現在も「銀色の森」と呼ばれています。白く枯れ果てた森は不気味でした。

●劇場広場
 クルシュー砂州の多彩な素顔に触れ、16:35発のフェリーでクライペダへ戻りました。気温は23度ですが、それでも暑く感じます。この後は、旧市街の簡単な観光です。
 まず、町の中心にある劇場広場へ。広場を取り囲むのはドラマ劇場やカラフルな家並み。ドラマ劇場は1785年の木像劇場が焼失した跡に再建されました。1938年3月、ヒトラーが2階バルコニーに立ち、メーメル復活の演説をぶった場所として有名です。

●ネズミの像
 劇場前の噴水に少女の像が建っています。クライペダ出身の詩人、シモン・ダッハに捧げられた像。彼の作品「タラウのアンネ」に因み、タラウのアンネ像と市民に親しまれています。
 「ネズミもいますよ」。H・Mさんの後について路地に入ると、台座の上に金色のネズミがちょこんと座っていました。耳や尻尾がピッカピカ。触るとご利益があるそうですが、なんでネズミなの?については、誰からも話がありませんでした。

●琥珀の露店
 劇場広場を占めているのは、琥珀売りの屋台。ネックレス、イヤリング、ブレスレットなどのアクセサリーや飾り物、丹念に琥珀を貼り付けた琥珀絵もあります。夕刻で観光客が引き上げてしまったのか、おじさんたちは手持ちぶさたな様子でした。
 リトアニアの琥珀については、すでに触れました。大時化(しけ)の後など、バルト海の浜辺に打ち上げられることもあるそうです。安いものには偽物もあるので要注意。これはガイドの忠告でした。クライペダは久慈市と姉妹都市です。

●赤煉瓦の建物
 クライペダとメーメル、2つの名を持つ町。旧市街で赤煉瓦の建物をよく見かけます。建築資材はクライペダ城の廃材利用とのこと。入口前に大きなビール樽を掲げたレストランもそうでした。 
 しばらくフリータイム。赤煉瓦のレストラン付近をぶらついていたら、H・Mさんが「夕食会場はここです」と言いました。

●キビナイ
 いったんホテルに戻り、自分だけ大急ぎでシャワーを浴びて、ひと息つきました。夕食の前にホテルの喫茶室で自己紹介。参加者は関東が中心ですが、北海道、九州からの遠来組もいました。
 ビール倉庫を改造したレストランでの夕食は、野菜スープとキビナイ、チキンのグリルと野菜、ケーキなど。キビナイはリトアニアの名物料理。羊肉のパイといった感じでした。

 

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