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◎7月31日(木)晴 (5日目)
クライペダ→十字架の丘→ルンダーレ宮殿→リガ泊

●今日の予定
 きょうは田園風景を楽しみながら、ラトビアの首都リガへ。途中、大小無数の十字架が建ち並ぶ十字架の丘、バルトのヴェルサイユといわれるルンダーレ宮殿に立ち寄ります。 
 6:30、朝食に一番乗り。今朝はスモークサーモンやニシンの酢漬けもありました。大きな団体客が引き上げたのか、お客はまばら。ゆっくり食事ができて満足でした。

●穏やか風景
 8:15、バスは十字架の丘を目ざして東進。麦秋の畑は、あちこちで刈り取りが終わり、牛や馬の飼料になる牧草のロールが転がっています。
 「あっ、コウノトリ」の叫び。畑の中に7羽の集団。とっさにシャッターを切ったら、なんとか捉えられました。ファミリーで朝の食事中だったのでしょうか。放牧牛ものんびり。穏やかな風景が車窓に流れます。

●麦秋の畑
 電柱や民家の煙突に巣を構えるコウノトリを何度か見かけました。赤ちゃんが育っている巣もあります。ぜひ写真を、と頑張りますが、疾走するバスからでは無理。遠ざかるのを恨めしげに眺めるしかありません。
 9:25、休憩。カプチーノで元気をもらいました。バスはその後も東進。麦秋の畑がどこまでも続いています。平坦地が多いリトアニアならではの風景です。

●十字架の丘
 11:00、十字架の丘に到着。こんもり盛り上がった小さな丘に、あるは、あるは…。丘全体が十字架で埋まっていました。多数の参拝者が丘の真ん中に設けられた階段を上下しています。
 高さ5m以上あるものから、ロザリオまで大小さまざま。もちろん形もいろいろです。いったい、何本あるのでしょう。「リトアニア国民の数より多い」などといわれ、誰にもわかりません。

●処刑・流刑
 十字架はロシアに抵抗して処刑された人たちを慰霊するため、建てられるようになりました。丘は土着の人々の祈りの場として、14世紀ごろから十字架が建っていたらしいといわれます。
 そこに十字架が増えだしたのは1831年と1863年。侵攻したロシア軍によるカトリック教会弾圧、リトアニア語禁止令など、ロシア化政策の強要にたまりかねたリトアニア人が抵抗を繰り返し、その度に多くの犠牲者を出し、あるいはシベリアなどへ流刑されました。

●破壊・撤去
 目の前に林立する十字架は、遺族や信者たちが慰霊、鎮魂…の思いをこめて建てたもの。しかし、ソ連に併合されてからKGB(ソ連国家保安委員会)や軍隊によって何度も破壊、撤去されました。それでも「愛国心の証」の十字架が丘から消えることはありませんでした。
 軍隊などの目を盗んで建て替える根気が、ソ連崩壊まで続いたのです。十字架はいまも増加の一途。1993年にはローマ法王ヨハネ・パウロ2世も訪れ、記念のモニュメントがありました。

●芸術性豊か
 丘を見上げて驚くばかり。大きな十字架の下部に、小さな十字架が無数に吊り下げられています。近くに売店があるので、教徒や観光客がお供えしていくのでしょう。
 十字架には繊細な彫刻を施した芸術性の高いものがあり、キリストの表情も個性豊かに彫られています。マリア像の回りには、必ずロザリオがかけられていました。木の香がする真新しい十字架がいくつもあり、これからも、どんどん増え続けるのでしょう。

●十字架の国
 リトアニアは国民の大多数がカトリックを信仰しています。敬虔な信者たちが建てた十字架の数が多いところから「十字架の国」と呼ばれるほど。これまでも、沿道や公園で十字架の小さな林を見かけました。
 圧倒されるような思いで眺めた林立の丘は、十字架の国の象徴ともいえる祈りの場でした。これでリトアニアの観光がすべて終了。11:20、バスは北東に進路を取って、ラトビア国境へと向かいました。

●執念の1枚
 麦秋の畑、牛の放牧、牧草ロールが転がる田園風景が道連れです。コウノトリの巣も頻繁に見かけます。
 見つける度に大騒ぎした車内も慣れっこになったのか、声が出なくなりました。私はワンショットでもものにしたいと、ファインダーを覗き、狙いを定めています。高速バスの中からやっと撮れたのがこの1枚です。

●ラトビア国境
 12:30、リトアニアの国境を越えて、2番目の訪問国ラトビアに入りました。どちらの国境も事務所が閉鎖され、誰もいません。以前はあったという両替所やトイレも閉鎖されたまま。まったくのフリーパスです。
 両国とも2004年にEUに加盟。今年5月半ばから国境の事務が廃止されたそうです。無人の国境というのは、なんとも寂しいもの。それでもH・Mさんは「写真を撮らないでください」と注意していました。

●移民に神経質
 ラトビアに入ったからといって、風景が一変するわけではなし、同じような田園風景を眺めながら北東のルンダーレ宮殿を目ざしています。道路の舗装がリトアニアよりはやや劣るよう。がたがたと小刻みに弾みます。
 車内ではH・Mさんがラトビアの現状について説明。人口に占めるラトビア人の数が少ないので、移民には神経質になっており、ラトビア語を話せない人には市民権を与えない方針だそうです。2012年からユーロ制導入の予定、平均寿命は58歳―などが主な内容でした。

●宮殿で昼食
 13:00、ルンダーレ宮殿に到着。鐘の音が迎えてくれました。宮殿内の台所を改造したというレストランで昼食です。メニューは野菜サラダ、ビーフのグリル、チョコムースなど。ミックスジュースは3ユーロ。20ユーロ紙幣を出したら。お釣りは現地通貨のラッツでした。両替前だったので、初めてのご対面です。
 女性の1人が体調不良を訴えました。どうやら熱中症の症状。昨日、かんかん照りの下で砂丘を歩き回ったので、疲労がたまっていたのでしょう。

●ラトビア
 入国したラトビアは、ヨーロッパ北東部にある共和国。バルト3国の真ん中に位置します。面積はリトアニアよりやや小さい6万4590平方km。エストニア、ロシア、ベラルーシ、リトアニアと国境を接し、西はバルト海とリガ湾に臨んでいます。
 1917年、ドイツ軍に占領されましたが、翌年にはロシア軍に取って代わられ、その時、1度ラトビア国民会議として独立を宣言しています。1940年からのソ連併合時代はラトビア・ソビエト社会主義共和国でした。ソ連の崩壊に伴って、1991年9月に再独立を宣言。首都は国内最大都市のリガです。

●森と湖沼
 人口は約240万人。そのうち、ラトビア人が60%近く、次いでロシア人約30% ベラルーシ人約4%など。ラトビア人の祖先はインド・ヨーロッパ語族のバルト語派です。
 宗教はプロテスタント・ルーテル派が主流ですが、東部に行くにつれてカトリック教徒が多くなります。公用語はラトビア語。ロシア語やドイツ語を話す人も多いです。通貨はラッツ。
 主な産業は農漁業、重・軽工業など。国土の大部分は平坦な低地で、半分近くは森林地帯です。1000以上もの湖沼や湿原があり、最高所は中央ビゼム丘陵の311m。国花はマーガレット、国鳥は白セキレイ。

●リボニア
 国の歩みについて、少しばかりの予習です。ラトビアは13世紀以降、ドイツやポーランド、ロシアに次々と支配されました。ドイツ騎士団に征服されて、隣国のエストニアとともにリボニアと命名されたり、1561年からはポーランドの支配下、1795年からはロシア領に組み入れられるなどしました。
 20世紀になってもドイツ人やロシア人の支配が続きましたが、次第に民族意識が高まり、1918年11月に独立共和国を宣言しました。しかし、第2次世界大戦後、再びロシア軍が駐留し、1991年に独立を果たすまで屈辱の時代を経ました。

●ルンダーレ宮殿
 昼食後は宮殿の観光です。宮殿は50年あまりの歳月をかけ、1768年に完成しました。建てたのは、この地を治めていたクールランド公国のビロン大公。設計者はエルミタージュ美術館(サンクト・ペテルブルグの冬の宮殿)を手がけた、ロシア・バロックの巨匠ラストゥレリです。
 ビロン大公はロシア女帝アンナの庇護を受け、公国は栄えました。バロックとロココ調の内装は豪華絢爛。当時の繁栄ぶりを偲ばせるバロック建築の白眉といわれ、「バルトのヴェルサイユ」などと称賛されています。

●22部屋公開
 宮殿は1812年、ナポレオン軍の略奪被害を受け、ソ連時代には学校や体育館に使われるなどしました。現在はすっかり修復され、全133部屋のうち22部屋が一般に公開されています。
 さっそく、内部の観光です。黄金の間(レセプションルーム)、白い間(ダンスホール)、薔薇の間(王のプライベートルーム)、ドイツ人の間などを順に見て回りました。カメラ撮影料は1ラッツ(250円)。フラッシュもOK。  

●色彩別
 部屋は色彩によって特徴付けられています。ロココ様式の黄金の間は金箔の彫刻で飾られ、白い間は壁も天井も真っ白な漆喰彫刻で埋め尽くされていました。ピアノにいたるまですべて真っ白。ドレスが華やかに見えるようにとの配慮だそうです。 
 壁や絨毯、天井のフレスコ画や装飾を見るのも楽しいですが、各部屋に設えられた暖炉も見応えがあります。自然、生活風景など1つ1つのデザインが異なっていて、見飽きません。

●写真
 さりげなく置かれている調度品はどれも豪華。ビロン大公や息子のピーター、大公を寵愛した女王アンナの肖像画、代々の当主の肖像画を展示した部屋もあります。
 狭い部屋は、次々に訪れる観光客でたちまち満員に。押されるように次の部屋へ移らなければならず、やや慌ただしかったのが残念です。

●宮殿の主
 宮殿の主であるビロン大公がここに住むことはありませんでした。女王アンナの死後、大公はシベリアに流されてしまったのです。そのころ宮殿は、まだ未完成でした。
 代わって宮殿の主になったのは、ロシアの女帝エカテリーナ2世の最後の愛人といわれるズーボラでした。エカテリーナ2世は100人の愛人を持っていたといわれ、とくにオルロフ、ポチョムキンが有名です。

●広い庭園
 庭園に出ました。広大な庭園をバックに建つ黄色い建物。オーストリア・ウィーンのシェーンブルク宮殿のそっくりさんです。薔薇はやや開花期を過ぎていましたが、ところどころに薄紫の花も見られてきれいです。
 庭園はとても広く、ブドウ棚のトンネルがあり、大きな噴水もありました。豪華な内部、美しい庭園。ルンダーレ宮殿は見どころの多い宮殿です。

●間近で
 庭園を出て、駐車場に向かう途中、宮殿を振り返ったら煙突の上にコウノトリが2羽。初めて近くで姿を捉えられました。
 16:00、首都リガへ。約70kmのドライブです。体調を崩していた女性も回復したようです。沿道のリンゴの木には色づいた実が鈴なり。宮殿の農園でも見かけました。

●キャンピングカー
 みなさんのシエスタが始まって、車内は静か。小刻みな揺れに身を任せてぼんやり車窓を眺めています。80万都市リガが近くなって、交通量が増えてきました。バスもあまりスピードを出せないようです。
 前方をイタリアのキャンピングカーが列をなして走行中。全部で8台。フィンランドやデンマークなど北欧からは陽光を求めてのバカンスですが、イタリアからなら避暑でしょうか。

●ダウガワ川
 17:00、リガの郊外に。間もなく、逆光を浴びて煌めくダウガワ川沿いに出ました。アーチを連ねた鉄道橋が架かり、橋脚を潜って白い船舶が行き交っています。青空に突き刺さるように聳える細い塔は、テレビ塔でしょうか。
 川向こうに、何本もの尖塔が迫ってきました。黒い塔は大聖堂?。遠望する旧市街はドイツの町を見ているようです。

●並ぶ尖塔
 17:20、2連泊するホテル「ラディソンSAS」にチェックイン。新市街に建つホテルはダウガワ川に沿う運河の前。川と運河を挟んだ向かい側には、大聖堂や聖母受難教会など旧市街の見どころが尖塔を並べていました。
 展望のいい北側と、そうでない南側の部屋があるというので、部屋割りは抽選に。残念ながら、はずれでした。

●クルーズ船
 すぐホテルを出て、旧市街のレストランへ。旧市街までアクメンス橋を渡ればすぐですが、バスが走ってくれました。車窓からも聖ペテロ教会の青い尖塔、ダウガワ川に停泊しているクルーズ船などの風景が楽しめました。
 バスを降りて、レストランへの路地は石畳。大小の石を丹念に敷き詰めています。リガも石畳が多い町と聞いています。

●ツーカス・リビニャス
 レストランは地下の倉庫跡のよう。メニューは「ツーカス・リビニャス」という豚のリブステーキがメインでした。ラトビアにはドイツ風の豚肉料理が多く、ジャガイモや酢漬けキャベツのザワークラフトを添えて出されます。今夜もそうでした。
 他にもポーク・リブのスモーク「クービナス・リビニャス」、ゆでた黒豆に炒めた玉ねぎとベーコンをかけた「ズィルニ」などが代表的といわれます。

●交通規制
 ホテルへ戻るのが大変でした。どこを走っても左折禁止のマークばかり。ドライバーのローランドさんはリトアニアの人。張り巡らされた交通規制に不慣れなので、あっちを走ったり、こっちを走ったり。気の毒になりました。
 歩いて戻れる距離なのに20分以上も彷徨い、20:50、ホテルに帰還。「やっと着いたわね」の声に、H・Mさんは「新市街の夜のドライブを楽しみました」と、ローランドさんを気遣っていました。

●カジノで両替
 ホテルのロビーカウンターで、現地通貨に両替しようとしたら18:00でシャットアウト。やむを得ず、隣のカジノでチェンジしてもらいました。パスポートを提示し、そのうえ顔写真を撮られるなど、ややこしい両替。
 1ユーロが0.68ラッツ。高い、高いといわれるユーロをはるかにしのぐ貨幣価値。日本円に換算すると1ラッツは250円ほどになります。

●ラッツ
 ラッツ(LS)は1922年にラトビア・ルーブルに代わって採用された現地通貨。ソ連時代にルーブルに戻されましたが、独立後の1993年から再び使用されています。紙幣と硬貨があり、硬貨は8種類のうち6種類がサンティムスという補助通貨です。1ラッツは100サンティムス。
 紙幣は5、10、20、50、100、500ラッツ、硬貨は1、2、5、10、20、50サンティムスと1、2ラッツ。手にした5、10ラッツ紙幣は樹木、海岸風景のシンプルなデザイン。裏面には国章があしらわれていました。

●リガ夕景
 部屋から見えるのはアパートだけ。廊下に出たら、吊り橋風のヴァンシュ橋の周辺が赤く染まって、きれいな夕景です。22:00すぎ、リガはようやく夕暮れを迎えました。川向こうに建ち並ぶ尖塔は黒ずんでいます。ライトアップはされないようです。
 明日は新市街と世界遺産の旧市街の観光。好天を願って、ベッドに潜り込みました。

 

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