ページ: TOP 10

(文中の赤文字をクリックすると関連のページが開きます)


◎8月2日(土)晴・雨 (7日目)
リガ→ムフ島→サーレマー島・クレッサーレ泊

●今日の予定
 きょうはフェリーでエストニア領サーレマー島の中心地、クレッサーレへ向かいます。途中、ムフ島に立ち寄って野外博物館を見学の予定です。
 ラトビアを去る日。早朝の出発が気になって、早く目が覚めてしまいました。5:30、H・Mさんのモーニングコール。口癖の「元気です」と返事しました。

●早立ち
 当初は7:00の出発予定。バカンスシーズンなのでフェリーが混雑するだろうとの判断で、30分の繰り上げ出発になりました。しかし、スーツケース運搬に手間取って、発車したのは6:45。バスはエストニア国境へ急ぎました。
 乗車後すぐに弁当を広げ、車窓の風景を眺めながらの朝食です。マクドナルド店の前に若者の行列。職場や学校へ向かう人たちでしょう。白樺の林、ゆっくり回転する風車、冬用の薪の準備に追われる農家などが展開しています。ナナカマドが増え、ところどころに菜の花も咲いていました。

●国旗
 8:25、国境まであと1kmほどのガソリンスタンドで休憩。ライダーがいたので、カメラを向けたらラトビアの国旗をかざして応じてくれました。彼らもサーレマー島へ向かう途中です。
 国旗は、えび茶、白、えび茶の横縞2色旗。デザインは13世紀に起こった戦争の際、負傷兵士の血で両端が赤黒く染まった白布を旗印にしたという、古い文献をもとに決められたとのこと。

●まるで廃墟
 5分ほど走って国境に。ラトビア、エストニア側とも係官はいません。まるで廃墟のよう。エストニア側に両替所だけは店開きしています。全員が窓口に並んで、エストニア・クローン(EKK)にチェンジ。1ユーロが15.2クローン、1クローンは11.5円の換算率でした。
 ここでは写真NOの声はかかりません。フリーパスでエストニアに入国。とたんに舗装が良くなり、バルト3国で一番豊かな国の片鱗を見せてくれました。

●エストニア
 エストニアもヨーロッパ北東部の共和国。バルト3国の北に位置し、北はフィンランド湾、西はバルト海とリガ湾に臨み、東はロシア、南はラトビアと国境を接しています。
 面積は4万5230平方km。バルト3国では最小で、北海道の半分ほど。国土の約10%は、沿岸に点在するサーレマー島とヒーウマー島、ムフ島など、1520もの島々が占めています。湖沼も1450あり、最も大きいのはペイプシ湖、次いでヴォルツヤルヴ湖。最高地点は318mのスール・ムナマギ山です。

●アジア系民族
 人口は約135万人。うちエストニア人が70%近く、次いでロシア人の26%。そのほかウクライナ人、ベラルーシ人、フィンランド人など。エストニア人の祖先は、アジア系のフィン・ウゴール族で、フィンランド人と同じです。
 公用語はエストニア語。宗教はプロテスタント・ルーテル派とロシア正教。通貨はクローン。首都はタリンです。国花は矢車菊、国鳥はツバメ。

●農奴の時代も
 国の歩みについても、ちょっとだけ予習しておきます。1915年の第1次世界大戦までは、デンマーク、ドイツ、ロシアの支配を受けたり、農奴に成り下がったり、またスウェーデンとポーランド・リトアニア連合軍が国土を分け合うなどの歴史を刻みました。
 1918年、独立を宣言し、国際連盟に加盟しましたが、1940年にはソ連がバルト3国を併合してしまいました。後はリトアニア、ラトビアと運命共同体のような時代を歩み、1991年に再び独立を回復しました。

●クローン
 両替した通貨クローン(EEK)は紙幣が5、10、25、50、100、500の6種類。表のデザインは歴史上著名な人物の肖像画。硬貨は補助通貨のセントが5、10、20、50の4種、クローンが1と5の2種類です。
 コインには、正面に顔を向けたライオン3頭が縦に並んでいます。エストニアの国章で共通のデザイン。2007年からユーロへ移行の予定でしたが、延期されました。

●ヴィルツ港
 今日からドライバーが代わりました。初日から世話になったローランドさんとは昨夜、「アチュー(ありがとう)」を言って別れました。いまごろはビリニュスに向かっているはず。
 11:40、フェリーが発着するヴィルツ港に到着。ここからムフ島へ渡ります。すでに乗船を待つ車の長い列ができていました。ナンバープレートは多国籍。エストニア国内はもとより、ラトビア、リトアニア、フィンランド、デンマーク、ドイツ、スウェーデン…。

●ムフ島へ
 到着したフェリーから車が吐き出されるのを待って乗船しました。バカンスシーズンたけなわの土曜日。フェリーは満車、満員。デッキも大変な混雑ぶりです。今日のバルト海は波が穏やか。ムフ島を結ぶフェリーはかき入れ時のフル回転。白い船体が忙しげに行き交っていました。
 遠くに風車を見て進むこと30分。あっけなくムフ島のキヴァツ港に到着しました。自分たちはこの後、島内の野外博物館を見学します。大半の乗客はバスに乗り換えて、陸続きのサーレマー島を目ざしました。

●塩辛い料理
 ムフ島観光の前に腹ごしらえ。12:45、島内のレストランで昼食です。メインはローストポークとジャガイモ、酢漬けのキャベツ。デザートはカマという、はったい粉とヨーグルトを混ぜたもの。
 メインの3種は追加自由ですが、どれも塩辛くて「もうけっこう」でした。どの国でも北の地方になるにつれて、塩辛くなるのは料理の"常道”。とはいっても減塩料理に慣れっこの身には辛すぎました。隣の売店に並ぶシャモジやフォークの木工製品は、ムフ島に多いチューリッパの木が素材だそうです。

●ムフ島
 ムフ島はエストニアに1500余りある島々の一つ。サーレマー島、ヒーウマー島に次ぐ3番目に大きな島で、2000人が暮らしています。海浜リゾートのサーレマー島への玄関口なので、多くのバカンス客は素通りしがちですが、コグヴァという地区には野外博物館があります。
 18世紀から19世紀に建てられた民家が点在。いまも25人が漁業などで生計を立て、昔ながらの生活を営んでいます。

●野外博物館
 石積み塀で囲まれた野外博物館(村落)に入りました。石の壁にがっちりガードされた茅葺きの家。住宅の石積み塀には苔がむして年代を証明しています。煙突がある家とない家。これは冬用と夏用の住宅を使い分けているからです。 
 トタン屋根も見かけますが、倉庫や現在の住み家が多いそうです。小学校もありました。廃校になっていますが、昔は低学年の子供たちが3年間学びました。

●逆さ木船
 民家数軒の石積み塀の上に、古い木船が逆さに置いてありました。引退した漁船です。夏至の日に焼いて、天に返します。
 瓦屋根に蔦が這う家、石垣の間に咲くアザミやキキョウ、庭先で水遊びする女児、リンゴが実る木、ライラック…。「こんな風景、かつては日本にもあったなぁ」。懐かしく見学しました。鮮やかな色合いの民族衣装などを展示した資料館もあります。 

●サーレマー島
 15:15、ムフ島とサーレマー島を結ぶ連絡橋に。橋とはいっても110年も前に造営された、全長3.5kmの土橋です。バルト海を仕切る珍しい橋をカメラに収めた後、バスはあっけなくサーレマー島に入りました。
 サーレマー島は面積約2700平方km。エストニア最大の島、バルト海でも2番目の大きさです。島内の人口は約2万7000人。そのうち1万5000人が中心の町クレッサーレで暮らしています。石灰岩の採掘や漁業、牧畜が主な産業。島の南側は海浜リゾートとして、バカンス客に人気があります。

●近隣国の支配
 穏やかな表情を見せる島ですが、かつては近隣諸国の支配を受けました。1227年にドイツ騎士修道会によって占領され、1561年にはデンマークに、1645年にはスウェーデンに、1710年にはロシアに、1940年にはソ連に、といった具合です。
 ソ連時代、サーレマー島やムフ島への立ち入りが厳しく制限され、エストニア人でもビザが必要でした。  

●クレッサーレ城
 島内観光の手始めは、島の南側に残るクレッサーレ城。14世紀にドイツ騎士団が建てた僧院型の要塞です。15世紀から18世紀に造営された星形の稜堡に囲まれています。
 サーレマー島は海上交通の要衝として、近隣諸国や海賊に狙われました。要塞は支配者が代わる度に防備を強化。デンマークの支配下時代には砲台が増強されました。

●結婚の祝砲 
 上空に雲が広がってきました。ガイドが「嫌いな雲。あれが出たら必ず雨になります」と渋い顔。まだ、青空が見えるので、当分は大丈夫でしょう。何はともあれ、お濠の橋を渡り、城門を潜って城内に。
 城の入口に向かって歩いていたら、突如「ドッカ〜ン」の大轟音。一瞬、足がすくみました。同時に拍手が起こり、笑い声が聞こえました。結婚式の祝砲だったのです。旧式の軍服を着たおじさんが砲手。新郎新婦は大勢の友人や観光客に取り囲まれ、祝福を受けました。 

●陰気な城
 木製の器具が展示されている広場を横目に、建物の中に入りました。小さな部屋が入り組んで迷路のようです。最初に見たのは洞窟を思わせる暗い部屋。青年層の遺骨の部屋だとか。遺骨らしいものは見当たりませんでしたが、不気味な空間でした。 
 その後は台所やヒーティングルーム、騎士たちの寝室、牢獄、謁見室、隠し階段、大司教の寝室などを見学。歴史資料や近代絵画が展示されたり、フレスコ画が残る部屋もありましたが、何となく陰気な城です。

●牢獄
 度肝を抜かれたのは、ライオンのうなり声が響く牢獄。鉄柵の中に穴があり、罪人を突き落とすと、10mほど下には腹を空かせたライオンが待ち構えて、人間様をぱくり。残酷な説明に胸が苦しくなってきました。城は2004年、世界文化遺産に推薦されたことがあります。
 塔にも上りました。優しい外観に似合わない骨太の城。そんなイメージを焼き付けて戸外に。さっと吹き抜ける一陣の風。爽やかな空気を吸って気分を直しました。

●スパホテル
 今日予定されていたサーレマー島は、お城見物だけで終わり。17:30、クレッサーレ城にほど近いスパ(温泉)ホテル・メリにチェックインしました。ホテルは横長の3階建て。部屋には海側と山側があるので、今夜も抽選でした。
 リガではずれだった私たちは、優先的に海側2階の部屋。3つ星ホテルでバスタブはありません。どの国や地域でも、旅行中はほとんどシャワーで過ごすので、まったく問題なしです。ただ、ベッドの幅が狭いので、落っこちないか心配ですが…。

●ヨットハーバー
 ホテルの前は内海のよう。夕食前に散歩しました。ヨットハーバーがあり、向かいの公園からはイベントの音響が響いています。キャンピングカーもあちこちに。林の中にクレッサーレ城も姿を見せています。
 ガイドが嫌がっていた雨はまだ降っていません。そぞろ歩くバカンス客は、北欧からと思われる白人が多数。みんなにこにこ顔で、夏が嬉しくてたまらないといった表情でした。

●土砂降り
 19:30、ホテルのレストランで夕食。メインはサーモンでしたが、焼きたてのパンが人気。「マイツェプ(おいしい)」と追加注文が相次ぎました。デザートのシャーベットも美味しかったです。
 食事中に雨になりました。それも土砂降り。明日からの天気が心配になってきました。部屋に戻ったら「ドカン、ドカン」と打ち上げ花火の音。音はすれども姿は見えず。今朝は早立ちだったので疲れました。

 

ページ: TOP 10