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◎8月3日(日)雨・曇 (8日目)
クレッサーレ→アングラ→タリン泊

●今日の予定
 きょうはサーレマー島のアングラ風車群を観光した後、船とバスを乗り継いで、エストニアの首都タリンへ向かいます。
 小やみになったり、落ちてきたり。雨はまだ降り続いています。昨夜、賑やかだった公園も眠ったまま。6:30、H・Mさんとクレッサーレ城の周辺を散歩する予定でしたが、雨が強くなってきたのでパス。10人ほどが傘を差して出かけて行きました。

●冷たい風
 朝食後、小雨の中を少しだけ散歩。冷たい風が吹いて肌寒く、落ち込む朝です。リトアニアやラトビアで体感した夏はどこへやら。バルト3国でもっとも北にある国とはいえ、気候の変わりように驚くばかりです。
 8:30、出発。島のほぼ中央を北上し、アングラ地区に残された風車群へ向かいました。雨は降り続いています。 

●アングラ風車群
 30分ほどで到着。アングラ風車群は傘を差しての観光になりました。現在残っている風車は5基。いずれも粉挽き用の木造風車で、いまも活躍中の現役です。
 20世紀の初め、サーレマー島内には約800基の風車があり、アングラ地区では12戸の農家が19基を保有していました。当時はいつもどこかで風車が回る風景が見られたわけで、農家の暮らしぶりを伝える貴重な建造物です。

●2つの様式
 5基とも田園の道路沿いに並んでいました。4基は石積みの上に小屋が建つ三角屋根のエストニア様式、真ん中の1基は頭が丸形のオランダ様式です。エストニア様式は小屋全体を手動回転できる仕組み。取っ手を持ち、風の方向に向きを調整できるようになっています。
 1基は最近建て替えられたばかり。実用性を重視した風車はシンプルそのもの。似たような風車がロシアのスズダリやキジ島にもあったのを、思い出しながら眺めました。   

●本土へ
 島内には紀元前700年ごろに衝突したと推定される、カーリ湖の隕石クレーター群という見どころがあります。訪れたい観光名所ですが、今回は見学の予定はありません。バスは土手の土橋を渡ってムフ島のキヴァツ港へ。浅瀬に無数の水鳥がくつろいでいました。
 バカンスを終えて、本土側に戻る車が長い、長い列をつくっています。地元の人は「夏のサーレマー島はフィンランドの領地」と言うそうですが、車はフィンランド国籍が目立ちました。

●標識の数々
 フェリーは11:00に出港。積み残しの車もかなりありました。30分でヴィルツ港に到着。バスはタリン目ざして直行。道路にトナカイ、シカ、乗馬、倒木、ランニングの人に注意など、様々な標識が見られます。カラスに注意もありました。
 11:50、タリンまで112kmの表示。道路の両サイドは広大な農地で、コウノトリの姿も見かけます。やっと、雨が止んでくれました。

●タリン
 首都タリンはエストニアの政治、文化の中心地。バルト海最大の港湾都市でもあります。タリンは1000年前にエストニア人が拓き、その後、デンマーク人によって町の体裁が整いました。ハンザ同盟に加盟後は、バルト海の重要な交易地として発展しました。
 1219年、デンマークのヴァルデマール2世に率いられた大艦隊が上陸して、先住民を追い払い、トームペアの丘に教会を築いたのが、町としてのスタートといわれます。タリンとはエストニア語で「デンマーク人の町」という意味です。それ以前の町名は、ドイツ語のレーファルでした。

●ハンザ都市
 13世紀後半にはドイツ人の町になり、下町にはドイツ商人街ができました。1285年にハンザ同盟に加盟。ロシアとヨーロッパの中継貿易港という重要な地位を占めました。
 しかし、その後も他国の支配を受け続け、16世紀にはスウェーデン領に、18世紀にはロシア帝国の支配下に入ったりしました。20世紀に入ってからの命運は、バルト3国の項で触れた通りです。

●カラフルな通り
 13:20、タリンの旧市街に到着。トームペアの丘の麓でバスを降りました。丘の展望台に大勢の人。手摺りにもたれて、旧市街の眺望を楽しんでいます。長袖シャツに夏物ベスト姿ではやや寒さを感じます。欧米の観光客は厚手の半コートを着込んでいました。
 カラフルな通りを歩いて、聖オレフ教会近くのレストランへ。入口が閉められていて戸惑いましたが、男性の1人がチャイムを押したら、店員が出てきて店内に入れてくれました。

●食べ放題
 レストランは地下。店内のいたるところに蝋燭が灯って、まるで蝋燭の館のよう。私には馴染めない暗さで、陰気な店です。熱々の野菜スープが身体を温めてくれました。
 メインは3種類のソーセージとジャガイモ、キャベツの酢漬け。ムフ島での昼食と同じように塩辛かったです。メインは食べ放題、デザートのアイスクリームも大皿から好きなだけいただく、ボリュームたっぷりでした。

●城壁と城門
 現地の女性ガイド、エリーナさんが同行し、これから郊外の野外博物館へ向かいます。駐車場へ向かう道すがら、旧市街を取り巻く城壁や城門を見かけました。
 城壁には17世紀末までに11の塔、8つの城門、27の堡塁が築かれ、いまもドイツの雰囲気を漂わせています。 旧市街については、明日の観光の際に触れることにします。

●エストニア野外博物館
 タリンの郊外、ロッカ・アル・マーレにあるエストニア野外博物館には、旧市街から20分ほどで到着しました。また、小雨が降り出し、先着の観光団が傘を差し、コート姿で説明板を囲んでいました。
 博物館は1964年に開設され、エストニアの各地から移築された木造建築が展示されています。博物館があるのは、19世紀のタリン市長の別荘跡。海と森に囲まれた広大なエリアで、ロッカ・アル・マーレは別荘の名前だったそうです。

●79戸展示
 博物館には、72の集落から移築された家屋79戸が展示されています。いずれも17世紀から20世紀初頭にかけて造られた伝統的な木造家屋。入口から森の中の小径を進むと、茅葺きやトタン葺きの民家が点在していました。
 西部の家、北部の家のコーナーを順路に沿って辿ります。茅葺き屋根の家には案山子、井戸の釣瓶、薪…。がっちり組み合わされた丸太の家には、北国の風雪を耐え抜いた風格が漂っていました。

●風車や教会
 「昔の日本の農村風景にそっくり」の声も聞かれます。風車もあり、教会もあります。時々は中をのぞき込んで、農機具や機織り機、台所用品、民族衣装などに当時の生活を偲びました。
 展示家屋のところどころに、案内や監視を兼ねた女性がいます。中には機織りの実演を見せてくれるおばさんも。カメラを向けると、にこにこ顔で応じてくれるのが嬉しいです。

●豚や山羊も
 さらに島々の家、水車、消防署、学校などを見て、締めくくりは南部の家のコーナーです。北部の家にはフィンランド式のサウナがあり、建て方もがっちりしていましたが、南部の家は小さくて、建材の丸太もやや細かったです。
 博物館には豚や山羊がいて、当時の農村風景を再現。学校には小さなオルガンもあって、子供のころを思い出しました。

●ホテル「オリンピア」
 心配していた雨は、ときどきぽつりと落ちただけ。楽しい時間が過ごせました。今日の観光はこれでお終い。バスはタリンへ引き返しました。 
 17:30、新市街のホテル「オリンピア」にチェックイン。客室400余りの高層4つ星ホテルです。タリンは1980年に開催された第22回モスクワ五輪のヨット競技場になり、選手たちの宿舎として建てられました。1997年に改修し、元米大統領夫人のヒラリー・クリントンさんら多くの有名人が宿泊しています。

●ビューポイント
 部屋は11階。トームペアの丘に建つアレクサンドルネフスキー教会や聖ニコラス教会、大聖堂の尖塔などが望めます。曇天なのは残念ですが、絶好のビューポイントです。
 夕食はホテルのレストランで。ポテトスープ、七面鳥のペンネ、アップルのタルトなどでした。全員そろっての夕食は今夜が最後。旅も帰国日を含めてあと3日です。25人の大人数なので、まだ挨拶程度の会話だけの人もいます。

●国旗
 ホテルの玄関前に、エストニアの国旗がはためいていました。青、黒、白3色の横縞模様。青色は中世エストニアの紋章の色で、空・湖・海と自由を表しています。黒色は独立と祖国や大地への愛着を、また白色は人々の幸ある未来を表現しているそうです。
 1881年にエストニア学生会のシンボルとして制定されたのが始まり。その後、国旗に採用されました。ソ連併合時代は別の国旗を強いられましたが、1988年に復活。

●ライトアップ
 早めにベッドに潜りましたが、明日の空模様が気になって、なかなか寝付かれません。23:30、戸外を覗いたら、教会がささやかにライトアップされていました。雨は止んだようです。
 今日は曇、雨、曇の繰り返し。明日も同じ天気予報。ウィンドブレーカーを着込むことにしました。

 

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