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◎8月4日(月)曇・雨 (9日目)
タリン滞在

●今日の予定
 きょうはタリン市内の観光。旧市街を中心に回りますが、5年に1度「歌の祭典」が開かれる郊外の歌の原にも足を延ばす予定。午後はフリータイムなので、地図を頼りに旧市街のぶらぶら歩きをするつもりです。
 願いもむなしく、いまにも泣き出しそうな空模様。風が木々を揺すって、寒そうです。6:00、濃霧が覆い、教会群も乳白色にすっぽり包まれてしまいました。エストニアの天気予報は、昨日、今日と的中です。

●日本人客
 左目の瞼が腫れあがっています。昨日の野外博物館の見学中、虫に刺されたようです。大事にならなければいいのですが…。ポルトガル旅行中に瞼をけがした、苦痛の体験が思い出されます。
 700、とうとう雨が落ちてきました。外気温は12度。最悪のタリン観光になりそうです。暗い気持ちで朝食。別の日本人ツアー客も同宿していました。パンにチーズやハムを挟む、いつものやり方で腹を満たしました。

●クルーズ船
 9:00の出発まで、降ったり止んだりが繰り返され、その度に悔やんだり、喜んだり。ホテルの前に数台の観光バス。「雨の観光はみな同じ」と言い聞かせて、バスに乗り込みました。
 今日はクルーズ船が7隻も入港。小さな船でも1隻に1000人は乗っているというので、市内の見どころは、どこも大変な混雑が予想されます。

●旧市街(世界遺産)
 タリンの旧市街について、若干の予習です。人口40万人のタリンは、城塞のある上の町、城壁のある下の町、外郭の新市街の3地区から構成されています。下の町は2.5kmの城壁に囲まれた旧市街です。
 石畳が縦横に延びる旧市街は、ドイツ人によって築かれました。ラエコヤ広場を中心にした路地のあちこちに、旧市庁舎、聖堂、修道院、ギルドハウスなどが点在し、中世の姿をそのまま留めています。城塞のあるトームペアの丘を含めた地域が、タリン歴史地区として1997年、世界文化遺産に登録されました。

●のっぽのヘルマン
 最初の観光地、トームペアの丘にはすぐに到着。麓の道路脇に大型の観光バスがずらり。クルーズ船の客が大挙して押し寄せているようです。見上げる城壁に飛びきり高い塔が聳えています。
 天辺には青、黒、白のエストニア国旗が翩翻(へんぽん)と翻っていました。「のっぽのヘルマン」と呼ばれる高さ約50mの監視塔です。

●トームペア
 「スリに注意」の標識に気持ちを引き締めて、坂道を上りました。旧市街の下の町に対し、上の町と呼ばれる丘は海抜50mほど。石灰岩の丘を高さ10mの城壁がぐるりと取り囲んでいます。その中にトームペア城、大聖堂、アレクサンドル・ネフスキー聖堂、展望台などがあり、観光客の誰もが訪れる人気スポットです。
 トームペア城の前に立ちました。「なんじゃ、こりゃ!」。聖堂前の小さな広場が人で埋まっています。これまで見なかった中国人、韓国人などの東洋系も。クルーズ船から吐き出された観光客のようです。

●タリン発祥地
 タリンの町づくりは、トームペアの丘から始まりました。1219年に上陸したデンマーク軍が丘の上に、キリスト教の聖堂を建てたことは、すでに触れました。
 その後、ハンザ同盟都市として発展。1310年からドイツ騎士団による強固な城塞都市建設が本格化し、トームペアの丘から下の町に通じる道路が放射状に設けられました。トームペアの丘はタリン発祥の地なのです。

●トームペア城
 トームペア城とアレクサンドル・ネフスキー聖堂は、ロッシ広場を挟んで向き合っています。トームペア城はドイツ騎士団が造営した要塞。目の前に建つ城は、城塞には似つかわしくないピンクの外観。入口上部にライオン3頭が縦に並んだ国章が掲げられていました。
 ロシアの女帝、エカテリーナ2世が離宮にするため、18世紀にバロック様式に改築したそうです。いつの時代にピンク色になったのかは聞き漏らしましたが、城のそばに建つ「のっぽのヘルマン」の厳つさとはあまりにも対照的でした。現在は国会議事堂として使われ、常時100人の職員が働いています。

●アレクサンドル・ネフスキー聖堂
 アレクサンドル・ネフスキー聖堂はロシア正教の聖堂。1901年、エストニアの英雄の墓の上に建てられたといわれます。赤煉瓦と石灰岩を巧みに組み合わせた大胆なデザイン。5つある黒いねぎ坊主のキューポラには、金色のロシア十字が光っています。
 聖堂は1242年、ロシア国境付近で繰り広げられた「チュド湖上の戦い」で、ドイツ・エストニア連合軍を破った英雄アレクサンドル・ネフスキーを祀るために建立されました。

●ミサ中
 大勢の人の後について、聖堂内に入りました。祭壇の前にイコンが並ぶロシア正教会独特の造り。金ぴかのイコノスタシス(聖障)もありました。ちょうどミサ中。人に揉まれるようにして退散しました。
 聖堂内には日露戦争で戦死した多数のエストニア人の慰霊碑があります。傭兵として狩り出された犠牲者です。堂内の写真撮影は禁止なので、入口の外から望遠で撮ってみました。美しい教会ですが、ロシア統治時代の置き土産なので、エストニア人の心情は複雑と聞きました。

●瀟洒な建物
 ありがたいことに、観光が始まるころには雨が止んでくれました。しかし、かなり肌寒いです。ポストカードやガイドブックを売るおねえさんは、ロングのマントに身をくるみ、観光客もウィンドブレーカーなどを着込んでいます。 
 石畳の路地が入り組む上の町。瀟洒な建物が並んでいます。昔は住人の大半が貴族や修道士、あるいは特別な職人だけに限られていたそうです。

●大聖堂
 路地を100mほど歩いたところに、大聖堂が建っていました。デンマーク軍がタリンに上陸して間もない1223年に建てたエストニア最古の教会です。トームペアのトームは聖堂(ドーム)に由来しています。
 14世紀にゴシック様式に改築、さらに1684年から100年かけた大改修によって、多数の建築様式が混在しています。現在はプロテスタント教会。白壁に黒い屋根、黒い尖塔という、シックな建物です。

●「足」の通り
 下り坂の路地に入りました。小さな門があり、観光客が坂道を上って来ます。下の町を結ぶリュヒケ・ヤルク通り。通称「短い足」の通りですが、現地ではショート・ブーツの通りと呼ぶこともあるとか。
 左折したら、今度は「長い足」と呼ばれるピック・ヤルク通りです。整然と敷き詰められた石畳。瀟洒な建物が並んで、落ち着いた雰囲気です。ちょっと路地に入っただけで、広場の喧噪が嘘のように感じられます。

●黒いブーツ
 「長い足」の坂を下ると旧市街に通じ、1380年に設けられたゲートに突き当たります。私たちは坂を上って、再び丘の上に。やや広い「長い足」の通りは、貴族や修道僧が通る道。狭い「短い足」は、庶民が行き来する道だったそうです。
 ロング・ブーツ通りなので、建物の壁に大きな黒いブーツが飾ってありました。アレクサンドル・ネフスキー聖堂の周辺は、先ほどの混雑がやや和らいだようです。

●商店の飾り
 「展望台へ行きましょう」という、ガイドに従って路地をてくてく。お姉さんたちがガイドブックや酒の売り込み。稼ぎ時とあって真剣です。
 なんという通りか知りませんが、商店の木製シャッターがなかなかユニーク。紋章入りの盾を手にした鎧や木彫を貼り付けた飾りが、目を楽しませてくれます。屋根の上まで蔦が這う家もありました。

●北側展望台
 展望台は丘の北側と東側にあり、まず北側からの眺望を楽しみました。赤茶色の屋根が波打つ旧市街。聖オレフ教会の青い尖塔や聖ニコラス教会の黒い尖塔が聳えています。
 幸いなことに、上空がやや明るくなって、タリン湾に停泊中の大型クルーズ船も望めます。ここも押すな押すなの大盛況。タリン・サダム(港)からフィンランドまでは約80km。高速フェリーなら1時間30分で行ける距離です。

●東側展望台
 几帳面に敷かれた石畳をぶらぶら歩きしながら、東側の展望台に。ここからは旧市街が一望です。狭い空間に聖ニコラス教会、旧市庁舎、聖霊教会、聖オレフ教会、城壁の塔…が勢揃いしていました。
 高みの見物をすると、丘から旧市街へと放射状に延びる道路の様子が鳥瞰でき、町の発展の様子が少しばかりわかってきました。ここで「はい、チーズ」の集合写真を撮って、坂道を下りました。

●キーク・イン・デ・キョク
 「あれがキーク・イン・デ・キョクです」とガイドの声。右下に石積みの塔が建っていました。円錐形の塔は高さ45m。1478年から1481年にかけて造営された監視塔です。ロシア軍の攻撃で破壊された後の16世紀初めに改修されました。現在は博物館になっており、古い武器や模型などが展示されています。
 舌を噛みそうな名前ですが、隣の塔にある「台所を覗け」という意味だそうです。そばに建つ四角い塔はネイツィトルン。中世には売春婦の牢獄でした。

●階段下る
 これでトームペアの丘の観光は終了。先ほどまで、大混雑していた丘は静けさを取り戻しています。クルーズ船の観光客が下の町へ移動したようです。「水が引いたよう」とは、このような状況を言うのでしょうか。
 今度は階段を下りました。丘の縁(へり)ぎりぎりに張り巡らされた城壁は、タリン周辺に豊富な石灰岩で造られています。その状態がよくわかりました。

●タリン港  
 次は郊外の「歌の原」へ向かいます。その前にクルーズ船が停泊しているタリン港でトイレを借りました。待合室には船便を待つ乗客が大勢。乗船口に並ぶ列も見かけます。 
 対岸のフィンランドの首都・ヘルシンキまでは、客数2000人という豪華客船も行き来しています。ヘルシンキにはタリンの1日ツアーもあるそうです。停泊中の豪華船を間近で見たいと思いましたが、船着き場までは出られませんでした。

●歌の原
 バルト海を見下ろす「歌の原」にやって来ました。海から吹きつける風が冷たく、売店のおばさんは毛皮の帽子を被って防寒しています。ウィンドブレーカーを着込んでいても「おお、寒っ」と言いたくなる冷たさ。
 広い原っぱに風変わりなデザインのステージが建っています。まるでクジラがパックと口を開けたような形。ここが「歌で独立を勝ち取った」といわれる歌の原です。  

●歌の革命
 第2次世界大戦後、ソ連に併合されていたエストニア。ソ連の崩壊が現実味を帯び、独立の気運が高まってきた1988年9月、ここ歌の原に約30万人が集いました。ステージに立った3万人もの歌い手が、ソ連によって禁止されていた国歌を大合唱し、自由と独立を求めたのです。参加者30万人は、全国民の3分の1でした。
 これをきっかけに国民の意識は、ますます盛り上がり、翌1989年8月の「人間の鎖」へと繋がりました。1991年には悲願の独立を宣言。歌の原は「歌による革命」の舞台になったというわけです。

●歌の祭典
 歌の原は1960年に完成した歌の祭典会場。ステージは間口が120mもあり、最高3万人が一緒に歌うことができます。原っぱの観客席には20万人以上を収容できるそうです。現在も5年に1度、歌の祭典が開かれて賑わいます。次回は来年(2009年)6月です。
 会場の後背はバルト海。大型客船が何隻も停泊していました。訪れる人は少数ですが、土産売りのおばちゃんたちは精いっぱいの防寒対策をして、頑張っていました。

●音楽家の像
 ステージを見下ろす斜面に、腰を下ろした銅像がありました。エストニアの第2国歌をつくった音楽家、グスタク・エグレンサツです。また、入口に「1869 1969」と刻んだ石碑がぽつんと建っていましたが、なんの石碑か、聞きそびれました。歌の祭典についての案内板も見かけました。
 冬は子供用のスキー場になったり、ビール祭りの会場に利用されたりしますが、他に見るべきものはありません。冷たい風にたまらず、早々とバスに退散。タリンへ引き返しました。

●ピリタ 
 歌の原から少し戻った海岸に多数のヨットが係留し、小さな岩礁にカモメや鵜がいっぱい。タリンから東6kmにあるピリタです。海水浴場もありますが、さすがのマリンリゾートもこの寒さなので、1人も見かけません。
 ピリタはモスクワ五輪のヨット競技場。ヨットハーバーは、その際に整備されました。ピリタ修道院の遺跡もありますが、見学はせずにタリンへ直行します。

●ヴィル門
 11:00、下の町の観光が始まりました。城壁に設けられたヴィル門を潜って旧市街へ。城壁は高さが10mもある堅牢な造り。
 全長2.6kmで旧市街を取り囲んでいましたが、現在残っているのは1.85kmだけ。11の塔と8つの城門が設けられ、ヴィル門はその一つです。

●セーター通り
 ヴィル門からメイン通りのヴィル通りを真っ直ぐに進めば、旧市街の中心であるラエコヤ広場に出られます。私たちは門を潜ってすぐに右折。城壁を利用した商店街を歩きました。
 手編みのセーターや靴下などを並べた店が軒を連ねる、通称セーター通りです。お土産を求める観光客でごった返しています。H・Mさんが折りたたみ傘を掲げ、「ここには戻りません。迷子にならないように」と叫んでいました。

●カタリーナの小径
 さらに先へ進んで、石壁に挟まれた狭い通りに出ました。カタリーナの小径と呼ばれる路地。ドミニカ修道院の壁に沿って延びており、壁の一部に石棺の蓋らしい石板が並んでいました。修道院は1246年に建造。エストニアのキリスト教布教の拠点でした。16世紀に火災で焼失。再建され、現在は博物館に。
 通りを抜けたら、おしゃれな建物がひしめく繁華街。そぞろ歩く観光客で埋まっています。どこをどう歩いたのかわからないままに、ラエコヤ広場に出ました。

●ラエコヤ広場
 ラエコヤ広場は旧市街の中心。旧市庁舎や聖ニコラス教会、市議会薬局などの著名な建物、カラフルなレストランやカフェなど18世紀から19世紀に建てられた石造、木造建築が周囲を取り巻いています。
 旧市庁舎広場ともいい、かつては市場でした。現在も市が開かれており、市民が憩い、観光客が集まる人気の場所です。広場の一角にある丸い敷石に立つと、旧市庁舎、聖霊教会、大聖堂、聖ニコラス教会、聖オレフ教会の5つの尖塔が見えました。

●旧市庁舎
 ラエコヤ広場の主人公は旧市庁舎。1371年から1404年にかけて建造され、現在は市民ホールとして利用されています。北ヨーロッパに現存する唯一のゴシック様式の市庁舎といわれ、議会の間や市民の間などがあります。緑色のドラゴンの雨どいが2本、にょきっと突き出していました。
 観光客がにこやかに見上げるのは、高さ65mの尖塔の天辺に立つ風見の「トーマスおじいさん」。腰に剣を下げた老兵は1404年に改築されたときに取り付けられたそうです。しかし、これはレプリカ。オリジナルは市博物館に保存されています。

●市議会薬局
 広場の北側に、ヘビの看板を掲げた白壁の建物がありました。1422年からブルハルト家の一族が経営し、北欧最古の薬局といわれる市議会薬局です。現在も営業しており、店内を覗くと、棚に多数の薬瓶が並んでいました。ヘビは薬局のマーク。 
 店は3棟続き。真ん中が最初に開店したところ。ヘビマークには、営業開始の「1422年」が誇らしげに記されていました。

●おしゃれ通り
 聖霊教会へ続く路地には、中世の雰囲気が詰まっています。通りの両側にはピンクやベージュ、黄色などパステルカラーの家並みがびっしり。厳つい石積みのアーチの奥を覗けば、ピンクの小さな家がちょこんと建っていたりします。
 店の看板や木製の扉もなかなかおしゃれ。見上げる軒下に目玉焼きのフライパン、ゾウ、ツバメ、ビール樽…。シャッター用の扉にはカラフルな絵が描かれていて、視線が定まりません。

●聖霊教会
 聖霊教会はすぐ近く。14世紀初め、ドイツ人居住者以外の人たちのために建てられたプロテスタント教会です。15世紀の祭壇や木彫りの彫像、17世紀の説教壇などがあるそうですが、中に入る時間はありません。
 タリンに現存する最古のゴシック様式の教会で、かつては下町の貧困者を助ける救貧院を兼ねていたそうです。尖塔下の外壁に、木製の大時計が嵌め込まれています。1684年製で、タリンでは初めての公共時計でした。

●呼び込み合戦
 教会の周辺は狭い路地。建物が密集しているので、手持ちのカメラで全容を撮影するのは困難です。「教会は現在、美術館やコンサートホールに利用されています」というH・Mさんの声が耳に当てたイヤホンに聞こえてきました。
 昼時になりました。通りのレストランでは、民族衣装の店員が表に出て呼び込み合戦。防寒着に身を包んでお客を誘うオープンカフェの娘さんもいました。私たちもラエコヤ広場付近に戻って昼食です。

●古い建物
 レストランは広場近くの古い建物。漆喰の壁に赤瓦の屋根。最上階の壁から太い角材が突き出しています。滑車を利用して荷物を上げ下ろしした当時の名残。赤い袋がぶら下がっていました。
 料理はトマトスープやポークチョップなど。熱々のスープが冷えた身体を温めてくれました。セリャンカという名物だとか。メインのポークには、お決まりの酢漬けのキャベツとジャガイモ。塩辛いのはエストニア特有の味付けのようです。デザートのシャーベットが格別美味しく感じられました。 

●愛想良し
 食後はフリータイムですが、H・Mさんが旧市街の北側を案内してくれるというので、全員が一緒することになりました。曇天ながら雨は降りそうにありません。
 広場には屋台も出ています。娘さんが練ったアーモンドの味見を薦めていました。「写真OK?」とカメラを向けたら、2人並んでニッコリ微笑んでくれました。タリンの女性は愛想良しです。

●ブラックヘッドのギルド
 賑やかな通りをきょろきょろしながら、少しばかり歩いたところに、ブラックヘッドのギルドが建っていました。14世紀に創建、1597年から1600年にかけて再建されたギルドの会館。入口の扉の上にブラックヘッドの紋章が施されています。
 ラトビアのリガは煌びやかなギルドでしたが、こちらはやや地味。建物のどこも黒くないのに、なぜブラックヘッドなの?。エチオピア生まれの聖人マリティウスを守護聖人として崇めているからとのことです。

●グレート・ギルドハウス
 ブラックヘッドのギルドは、未婚の若い商人たちがグレード・ギルドに加わるまで、所属したところ。これはリガも共通です。
 近くに若者たち憧れのグレート・ギルドハウスがあります。1410年に建てられ、現在はエストニア歴史博物館に。グレート・ギルドは貿易商人や船主ら市内最高の裕福層の集まり。メンバーでないと市会議員になれませんでした。

●3人姉妹の家
 1249年建造の聖ミカエル修道院を左手に眺め、北へと歩を進めます。ライ通りに3人兄弟の家。同じような造りの3棟が寄り添っていました。色褪せ、壁も一部剥がれていますが、いずれも貴重な中世の住宅です。
 さらに進んだ旧市街の北はずれに、3人姉妹の家が残っています。15世紀に建てられた商家3棟が慎ましやかに並んでいました。2003年に改装して5つ星の「スリー・シスターズ」というホテルになっています。兄弟と姉妹の区別は、ファサードが男性的か、女性的かで決められたそうです。

●ふとっちょマルガレータ
 H・Mさんが最後に案内したのは「ふとっちょのマルガレータ」。1529年、旧市街最北端の城壁に設けられた砲塔です。タリン湾からの侵入者を防御するために建てられた重要な軍事施設。直径24m、壁の厚さ4.7m。ところどころに砲撃用の穴が開いていました。
 帝政ロシア時代には監獄や兵舎、倉庫などに利用され、1917年に焼失しましたが、その後、再建されて、現在は海洋博物館として利用されています。  

●ネーミング
 ふとっちょマルガレータは、監獄に使われていた時代、愛嬌者でみんなに好かれていた、太った食事係の女性マルガレータにちなんで名付けられたといいます。砲台の高さは聞きそびれましたが、確かにずんぐりむっくりでした。隣には北門のグレート・コーストゲイトがあります。
 タリンの人は茶目っ気があるのか、のっぽのヘルマン、カタリーナの小径、トーマスおじいさんなど、人名にかかわる面白いネーミングが多いです。寒いけど、なかなか愉快な町です。

●別行動
 ここで解散。大半の人はH・Mさんとショッピングモールへ。私たち夫婦は「アイタ(さよなら)」して別行動。ふとっちょマルガレータの城門を潜って、再び旧市街に戻りました。北西にある塔の広場へ行ってみたかったからです。
 旧市街は現在も1.85kmの城壁が残っています。そのうち、昔の威容をそのままに見せてくれるのがラポラトーリウミ通りということなので、「スリに注意」の標識に気を引き締め、地図を頼りに歩きました。

●石の壁
 初めは城壁に沿った電車通りを歩きましたが、公園に入ることはできません。しかし、円錐形の塔が並ぶ風景は見られました。振り出しに戻って、城壁の内側伝いの通りに。これがラポラトーリウミ通りのようです。 
 狭い通りに続く石の壁。威圧されるようです。ここまで足を延ばす観光客は少なく、通りはひっそり。同じように地図やガイドブックを広げる人を見かけるとほっとします。

●塔が集中
 塔の広場は、通りが途切れたところにありました。城壁に沿った緑豊かな公園。周辺の城壁にヌンナデタグネ、 クイスマエなど10の塔が集中しているので、この名がついたようです。
 トームペアの展望台からは、みな同じように見えた塔ですが、近くで眺めると塔の形にそれれぞれ個性がありました。「来て良かったね」。妻と話しながらラエコヤ広場の方向を目ざしました。

●聖レオフ教会 
 城壁越しに聳える青い尖塔は、昨日も見た聖オレフ教会です。1267年に創建された後、、何度か焼失し、現在の建物は1880年に改修されたもの。
 曇天を突きさすように聳える尖塔。完成時には159mあって、ヨーロッパで最も高い塔でした。しかし、落雷による火災などで崩落し、現在は高さは123.7m。それでも旧市街では最高の高さ。200段余りの階段を上ると、旧市街を一望できます。

●城門に回廊
 ぶらぶらと南に下って、西側の城門まで来ました。観光客が半円をつくり、修道僧のような男性が聖書を読む姿に見入っています。その時、城壁の上の木製回廊から若い男性が声を張り上げて地上に下り、何か叫びました。ショータイムだったようです。 
 ずっと城壁を眺めてきましたが、城門の上に回廊のあるのは珍しいです。しばらく見上げていました。

●聖ニコラス聖堂
 路地を彷徨っているうちに、ラエコヤ広場を通り越して、聖ニコラス聖堂まで来てしまいました。13世紀建造のバシリカ式聖堂です。ドイツ商人が船乗りの守護神、聖ニコラウスを祀るために建てました。
 ロシア軍による爆撃で崩壊した後、1984年に改修され、現在は博物館やコンサートホールに使われています。絵画「死の舞踊」という有名な絵画が展示されているそうです。午前の観光でも訪れました。その時はクルーズ船の客が優先で入場禁止。今度も扉が閉ざされていて残念。「海の守護神だから仕方ないね」と諦めました。

●階段上り
 14:40、ラエコヤ広場は観光客が少なくなっていました。市庁舎の塔にも上ることができます。旧市街の眺望が素晴らしいと聞いていたので、1人30クローンを払って挑戦しました。薄暗い螺旋階段は、狭くて急、そのうえ段差がきつくて大変です。
 壁に取り付けたロープの助けを借りながら、1段1段慎重に上りました。身長172cmの私でも1段上がるのに苦労します。上に行くほど段差が高くなって40cmはありそうです。妻は20段ほど残してとうとう断念。

●塔からの展望
 「ここまで来たら」。私は年甲斐もなく意地の挑戦を続行。「よいしょ、よいしょ」の掛け声で己(おのれ)を励ましながら、やっとの思いで展望台に到達しました。同時に頭上の鐘がガ〜ン、ガ〜ン。15:00でした。
 フロアも狭く、写真を撮るのもひと苦労。足を踏み外さないように気をつけながら、シャッターを押しました。トームペアの展望台とは、またひと味違った旧市街の顔を見ることができました。

●恐る恐る
 階段を下りるのも恐る恐る。転げ落ちないように気をつけるあまり、何段あったのか、数えるのを忘れ、写真を撮るのも忘れてしまいました。厳しい階段が100段はあったように思います。
 市庁舎のカフェでひと休み。カプチーノの美味かったこと。「ザイルを張った登山のよう。年寄りには厳しすぎたね」と反省しながら、ホテルへの道を辿りました。

●聖ヨハネ教会
 ホテルは新市街の東南に位置しています。ドラマ劇場やエストニア劇場などの外観を眺めながら進み、聖ヨハネ教会まで南下しました。13世紀に建てられた教会は、観光客の姿もなく、ひっそり。教会の前では遺跡の発掘が行われていました。
 きれいな「花の塔」が飾られた公園では、市民がのんびり午後のひとときを過ごしていました。

●セグウェイ
 町でよく見かけるのは、 セグウェイやローラースケートの若者たち。石畳の上を器用に乗りこなしていました。セグウェイはアメリカの発明家が開発した立ち乗り式の電動2輪車。狭い道路が入り組んでいるタリンでは、有効な交通手段なのかも知れません。
 よく歩きました。市庁舎の階段上りが響いて、膝ががくがく。かなり遠回りをしてしまいましたが、16:20、ホテルに戻りました。

●治安は良好
 ありがたいことに、雨に降られずに観光ができました。部屋から眺めるトームペアの丘もまだはっきり見えます。17:00の気温は13度。タリンは秋を通り過ぎて、初冬を迎えたような感じでした。あちこちにスリ注意の標識がありましたが、治安は良好。なんの心配もありませんでした。
 夕食はフリー。H・Mさんがエストニア料理の店に案内してくれるということでしたが、塩辛いキャベツの酢漬けやジャガイモ…を想像してパス。持参した日本食で満足の夕食でした。

 

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