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◎6月11日(木)晴 (1日目)
 
成田空港→アムステルダム・スキポール国際空港→ワルシャワ・ショパン空港→ワルシャワ泊

●今日の予定

 きょうはオランダのアムステルダムを経由して、ポーランドの首都ワルシャワへ向かいます。アムステルダムまで11時間55分、ワルシャワまで1時間55分、ざっと14時間のフライト予定です。
 昨夜は成田空港周辺のホテルに前泊。8:10発の送迎バスで空港へ向かいました。梅雨入り2日目の関東地方は、こぬか雨が降っています。

●ざわめき
 8:40、集合場所の第1ターミナル北ウイングGカウンターで、男性添乗員のS・Dさんと初対面。団体チェックインで、座席は24のHとJに決まっていました。今回の参加者は20名でやや多め。名簿を見ると、夫婦連れ4組、他は女性という、圧倒的に女性優位のグループです。
 新型インフルエンザ騒ぎがやや下火になって、海外旅行者が増えたのか、大きな団体がいくつも同乗するようです。大勢が行き交って、ざわめくターミナル。その中に制服姿のクルーたちも見かけました。

●古い機体
 手荷物検査、入国審査など所定の手続きを経て14搭乗口へ。つい先日までマスク姿で埋まっていた空港ですが、今日は100人に1人ほどしか見かけません。10:40、KLMオランダ航空KL862便(11:15発)に搭乗。
 747-400型機でシート配列は3×4×3。私たちは3席の真ん中と通路側、窓際には同じグループの女性が座りました。機体は古く、前方に小さなTVモニターがあるだけ。前席との間隔が狭くて窮屈です。 

●オランダ航空
 KLMオランダ航空機に乗るのは、1999年にシリア・ヨルダンへ出かけたとき以来ですから、本当に久しぶりのことになります。1919年10月に開業し、創設以来ずっと同じ名称で現存する世界でもっとも古参の航空会社。
 アムステルダムのスキポール国際空港を本拠地として、多くの都市に就航。日本には1951年から乗り入れ、成田、関空に就航しています。2004年にエールフランスと経営統合しました。ブルーの機体はお馴染み。尾翼のKLMマークが誇らしげです。

●最悪の席
 11:25、KL862便は雨中に舞いました。すぐに「アムステルダムまで9330km、所要時間11時間10分」の機内放送。予定より少しばかり到着が早まりそうです。
 しかし、座席が最悪。24番席付近はギャレーの部分がはみ出しているため、通路が極端に狭く、カートが通ったり、大きな体の客室乗務員が通る度に肩や肘にゴツン。「快適な空の旅をどうぞ」と言われても、これでは先が思いやられます。機内がじんじん冷えて、セーターを着込みました。

●身近に感じる国
 今回はW社の「ポーランド古都と世界遺産の旅12日間」のツアーです。ポーランドは私の住む町ともちょっぴり縁があり、1度は訪れたい国でした。
 厳しい歴史の中で、シベリアに取り残されたポーランドの孤児らが赤十字社の協力で救い出され、1920年から2年間に約800人が福井県敦賀港に上陸しました。孤児たちは市民の手厚い世話を受けて元気を取り戻し、東京の施設などへ移送されたということです。町には「人道の港 敦賀ムゼウム」という小さな資料館があり、ポーランド大使館との交流もあって、身近に感じる国の一つです。

●明暗の歴史
 近隣諸国の勢力争いに巻き込まれて国を失い、第2次世界大戦時には悪名高いアウシュビッツ強制収容所が設けられるなど、歴史に翻弄され続けた国。ポーランドと聞いただけで「あのアウシュビッツの国ね」と拒絶反応を示す人が多く、暗いイメージが付きまといます。
 しかし、明るい話もあります。ナチス・ドイツ軍攻撃で壊滅的な打撃を受けたワルシャワなどでは、市民の力によって戦前と寸分違わぬ復興が遂げられ、中世の町並みが蘇りました。また、労働者らが自主管理組合の「連帯」を結成して、民主化を成し遂げるなど、凄まじい生き様を見せる国でもあります。

●世界遺産
 ポーランドの世界遺産は11。他にドイツ、ベラルーシとの共同登録が2件あり、それを加えると13になります。今回の旅では、そのうち次の7つを観光する予定です。
 ワルシャワ歴史地区、クラクフ歴史地区、ヴィエリチカ岩塩坑、アウシュビッツ強制収容所、中世都市トルン、マルボルクのドイツ騎士団の城郭、ヤヴォルとシュフィドニーツァの平和教会です。

●機内食
 いつもはにらめっこするフライトデータもなく、前方の小さなTVは映画を流しっぱなし。どの辺りを飛行しているのか、まったく見当がつきません。本を読むのも大儀。ただ目をつぶって耐えています。
 12:40、機内食。肉じゃが風とご飯、うどん、サラダなど。メインの製造日が4月6日。どきっとしましたが、賞味期限が12月16日と表示されていたので、まずはひと安心。真空パックか、冷凍ものだったようです。味はまずまずでした。

●凍結の大地
 がたがた、ぎしぎしと機体がよく揺れます。その度に操縦席から「ご用心を」と注意が流れ、シートベルト着用のサインが点滅。窓際の女性は、前方の男女と「座席の背もたれを断りなしに倒した」と揉め始めるし、何だか落ち着かない時間が過ぎていきます。
 窓越しに凍てついた氷の大地が見え隠れ。シベリアの上空を飛行中のようです。時間からみて、ウラル山脈が近くなったように思います。

        
《以下、マイナス7時間のポーランド時間で表記》

●あと3900km

 10:50、前方のTVモニターにフライトデータが表示されました。想像した通り、機はウラル山脈の手前に差し掛かっています。あと3900kmほど。到着まで約5時間になりました。凍てつく大地はまだ続いています。シベリアの夏は苛酷です。
 男性乗務員が私からカメラを取り上げ、「お2人のツーショットをどうぞ」といって撮影してくれました。最悪の座席、間近でのもめ事などで塞ぎがちだった気分が、少しばかり晴れた思いです。 

●跳ね橋
 14:15、2度目の機内食。パスタとサラダ、フルーツなどやや軽めの内容です。疲れも出てきて食欲半減。大半を残してしまいました。
 バルト海を抜けた機は、やがて徐々に高度を下げ、大地も緑に変わってきました。縦横に延びる運河、跳ね橋も見えて15:37、アムステルダム・スキポール国際空港に着陸。定刻より30分も早い到着でした。

●EU入国審査
 ワルシャワ行きのKL1369便は20:00発の予定。4時間以上の待ち時間があります。同乗していた他の団体はスペイン、ハンガリー、フランスなどへ向かうようです。
 私たちはEU加盟国への入国審査を受け、若い係官の「元気ですか」の声に送られてD62搭乗口へ進みました。ここで入国審査をすませたら、ポーランドの入国はフリーパスになります。

●EUの玄関
 スキポール国際空港に降りたのは10年ぶり。当時はあちこちで改修工事中でした。いまはEUの空の玄関として、堂々の体裁を整えています。しばらく、免税店をうろうろして時間つぶし。
 着陸時に降っていた雨が止み、みるみる青空が広がって、オランダも爽やかな季節です。出発前に見たワルシャワの天気予報は傘マークの連続。この天候なら青空が見られるかも、との期待が持てます。

●一瞬の風景
 簡単な手荷物検査を受け、KL1369便に搭乗。737-400型機で座席は3×3で満席。今度は18のAとB。窓側と中央でした。アムステルダムまで別便でやって来た女性4人組が加わり、参加者全員が揃いました。
 私たち一行のほかに、日本人の乗客は見当たりません。機はほぼ定刻の20:05に離陸。中欧の空はまだ明るさが残っています。眼下に広がるアムステルダム郊外の風景は、一瞬で雲海に没しました。

●ショパン空港
 間もなくサンドイッチが配られました。しかし、日本時間は日付が変わって12日2:00。疲れがたまって、喉を通りませんでした。やがて機窓に大きな町の灯りが広がって21:35、ワルシャワのフレデリック・ショパン空港に着陸しました。
 ワルシャワはきれいな夕焼け雲。明日の観光が楽しみです。ポーランド出身の有名人といえば、真っ先に挙げられるのがキュリー夫人、パウロ2世、コペルニクス、ショパン。政治家の名をつけた空港はいくつもありますが、作曲家・ピアニストの名前は珍しいです。

●スルーガイド
 乗り継ぎ便で心配なのは、スーツケースが無事に届くかどうかです。今回は全員の21個がターンテーブルに流れてやれやれ。ポーターがバスまで運んでくれました。
 到着口で迎えてくれたのは、小柄なポーランド女性のアリーツィアさん。全行程を付き合ってくれるスルーガイドです。ワルシャワ大学の日本語学科を卒業したというだけに、きれいな日本語で「ようこそポーランドへ」と挨拶しました。 

●文化科学宮殿
 ホテルへ向かう車内で、現地旅行会社から水とポストカードがプレゼントされ、旅行中の心得について諸々の説明がありました。①水は飲めるが、ミネラルウオーターがお薦め、②ホテルでの枕チップは不要、③現地通貨への両替はユーロかドルで―など。
 バスは20分ほどで市内の中心部に入り、ライトアップされた建物を眺めながら22:35、ホテルに到着しました。建物はワルシャワ中央駅の近くに聳える文化科学宮殿でした。

●今夜のホテル
 今夜から2連泊するホテル「ソフィテル・ビクトリア」は、空港から10kmあまり。インター・コンチネンタル系列の5つ星です。330ある客室は最新の設備を誇っています。
 ワルシャワ歴史地区のサスキ公園の南側に位置し、聖十字架教会やクラシンスキ宮殿(美術アカデミー)、ワルシャワ大学もすぐそば。観光に便利な立地です。

●長い廊下
 廊下が長くてロシアのホテルを思い出させます。4階の部屋はスーツケースを2個広げられるスペースがあり、設備も清潔です。部屋にはガスなしの500mlボトル2本がサービスされていました。日本時間は12日7:00を回っています。くつろぐ余裕もなく、シャワーを浴びて、ばたんきゅーでした。
 思ったほど寒くはありませんが、明日の天気予報は雨模様とのこと。人々の魂が結集して蘇ったワルシャワの町は、なんとしても晴天のもとで眺めたいものです。

●ポーランドという国
 明日からの観光に備えて、少しばかりの予習です。
 ポーランドは中央ヨーロッパにある共和国。北はバルト海に面し、北から東ではリトアニア、ベラルーシ、ウクライナ、ロシアの飛び地カリーニングラード、南はチェコ、スロバキア、西はドイツと国境を接しています。首都はワルシャワ。
 面積は32.3万平方kmで、日本の約5分の4。よく言われる例えは、「本州と北海道を合わせたほどの大きさ」です。国土の30%がトウヒとマツを主体にした森林。人口は約3800万人で、そのうち97%がポーランド人。公用語はラテン語系のポーランド語です。

●カトリック信仰
 宗教は国民の90%以上がカトリック教、その他はプロテスタント、ロシア正教会など。ピアスト朝が966年にキリスト教を受け入れ、それ以来、人々の厚い信仰が保たれています。
 2004年にEUに加盟しましたが、通貨は従来のズオーティを使用。時差は日本より8時間遅れですが、3月29日から10月25日までは夏時間を採用しているので、現在はマイナス7時間です。

●地理と気候
 国土は平均標高が175mという低地。もっとも高いのはタトラ山地のリシ山(2499m)、最低点はヴィスワ川デルタ地帯(マイナス1.8m)。北部は低地となだらかな丘陵、南部は起伏が多い地域です。
 気候は大陸性で、四季がはっきりしています。東京よりも各月の平均気温は10℃ほど低め。夏は湿度が低いので過ごしやすいそうです。

●国の歩み
 国の歩みについても、少しばかりの予備知識を得たいと思います。
 国の基礎が築かれたのは9世紀半ば。ヴィスワ川やオドラ川(オーデル川)沿いの低地に、スラブ人のポラニエ族(平原の人)が住み着いたのが始まりです。960年ごろ、ポラニエ族ピアスト朝のミエシュコ1世がスラブ民族を統一して、ポーランド王国が誕生しました。
 ピアスト朝後は、隣国リトアニアと連携したヤギエウォ朝(1386-1572)に変わり、王国は農業と岩塩の採掘、交易などで繁栄。その当時バルト海沿岸を支配していたドイツ騎士団を破ってプロイセン公国を従え、東ヨーロッパ屈指の大国に発展しました。

●国の消滅
 モンゴルの攻撃からも立ち直って王国を維持しましたが、その後は貴族間の権力闘争などで次第に国力が衰退。18世紀になるとロシア、プロイセン(ドイツ)、オーストリアの強国の餌食になり、1772年、1793年、そして1795年の3度、領土の分割が行われました。最後の分割でポーランドの領土は完全に失われ、王国は消滅しました。
 「ポーランドが世界地図から消えた」と表現される屈辱は、3度目の分割を指しています。それ以後、120年以上もの長い間、外国の支配下におかれるという苦難と屈辱の時代に入りました。

●独立の回復
 ポーランドはフランスを頼みにしましたが、ナポレオンがロシアに敗北して、ロシア皇帝が国王を兼ねるポーランド王国が造られました。愛国者たちは完全独立を叫んで何度も蜂起しましたが、その度に鎮圧されて多くの犠牲者を出しました。
 独立を回復したのは、第1次世界大戦中の1918年11月。革命によってロシア帝国が崩壊、ドイツも大戦に敗れ、勢力を増したアメリカが独立を支持しました。

●苦境からの復興
 しかし、1939年9月にはナチス・ドイツのポーランド侵攻がきっかけで第2次世界大戦が勃発。国内の主要地はドイツに占領され、アウシュビッツ強制収容所ではユダヤ人らの虐殺が行われました。
 大戦の後半には、米英の連合軍がポーランド国内に駐屯するドイツ軍を殲滅するため、徹底的な攻撃を加え、そのため国土の大半が焦土と化しました。戦後、人々の不屈の魂で忠実に復元し、現在に至っています。戦後続いた共産主義体制は自主管理労働組合「連帯」を足がかりに、民主国家に生まれ変わりました。

●ワルシャワ
 ワルシャワはポーランドの首都。国内最大の都市で、マゾフシェ県の県都でもあります。国内最長のヴィスワ川の両岸に拓けた政治、経済、交通の要衝。第2次世界大戦時にナチス・ドイツの空爆で町の大半が荒廃しましたが、戦後、「北のパリ」といわれた往時の町並が回復しました。
 現在は人口約170万人の工業都市として発展、製造業、鉄鋼業、電機産業、自動車産業などが盛んです。また、ワルシャワ大学を中核に高等教育機関が集中し、国立劇場やワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団を有する文化都市の一面も備えています。浜松市と姉妹都市です。



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