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◎6月20日(土)晴 (10日目)
 
クラクフ→チェンストホーヴァ→ワルシャワ泊

●今日の予定

 早いもので、もう観光最終日です。きょうはワルシャワへ戻る途中、ポーランド最大の巡礼地チェンストホーヴァに立ち寄ります。クラクフからチェンストホーヴァ間はバスで3時間、ワルシャワまではさらに4時間という、ロングドライブです。
 雨がそぼ降っています。朝食はいまだにライ麦パンとソーセージにはまっています。

●イチゴの直売
 8:30、バスは北約170km のチェンストホーヴァ目ざして発車。雨が止んでくれたようです。沿道では、農家のおじさんが収穫したばかりのイチゴやサクランボを直売。イチゴは1kgが5zlほどだそうです。
 農地でよく見かけるのは牧草のロール。ビニールで梱包された機会巻き、手作業で掻き集めた牧草の小山が点在しています。いずれも家畜の飼料ですが、今年は天候が不順で雨が続いたため、作業が遅れがちという話。

●車窓の眺め
 数人が畑で何かを摘んでいる風景も。イチゴかも知れません。馬の放牧も映し出されて、退屈せずにいます。
 車内ではアリーツィアさんがヤスナ・グラ僧院について、あれこれ説明しています。「日本でいえば伊勢神宮みたいな所。みんなお参りします」との例え話が笑いを誘いました。

●チェンストホーヴァ
 10:30、シロンスク県のチェンストホーヴァに到着。クラクフとワルシャワのほぼ中間に位置し、チェンストホーヴァ郡内で最大の町です。ポーランドを代表するカトリックの巡礼地として、ヤスナ・グラ僧院詣での信者で、いつも賑わっています。
 僧院に併設するチャペルには、国民の守護神と崇められる黒いマリアのイコンが安置されています。

●懺悔の子
 バスを降りたら、前方にヤスナ・グラ僧院の尖塔が聳えていました。駐車場には大型バスがずらり。人気の高さを物語っています。パウロ2世の両親像に迎えられて、僧院へ向かいました。
 周辺には修道士のような衣装を身につけた子供たちが、親に引率されて同じ方角に歩いています。女児は頭に飾りをつけて可愛らしいです。小学2年生の夏休みに、初めて懺悔を体験するのだとか。

●ヤスナ・グラ僧院
 僧院は標高293mの高台に建っています。創建は1382年。ピアスト家のオポルチク公の命で聖パウロ修道会のために建造、その後1632年から1684年にかけて改修されて、いまの姿になりました。現在も100人ほどの修道士が起居しています。
 ヤスナ・グラはポーランド語で「明るく澄んだ山」という意味。僧院の塔からは旧市街が眺望できます。

●門前通り
 城壁に囲まれた僧院には、いくつかの門があります。私たちが進む門前の参道は、両側に各国の国旗がなびき、参拝者が切れ目なく行き交っていました。
 冠をつけた十字架に誘(いざな)われて門を入ると、そこは参拝者のるつぼ。大半は聖地目ざしてはるばるやってきた巡礼団です。

●大勢の巡礼者
 巡礼団のスタイルは様々。襷掛けの黒い制服で旗を掲げたり、可愛らしい民族衣装やケープを纏ったり、聖母マリアの写真を抱いた修道士やシスターに先導されたり…。聖地に巡礼できた喜びにあふれています。
 「聖母マリアはポーランド人の温かい気持ちで大事にされています」。バスの中で聞いたアリーツィアさんの言葉が思い出されました。 

●堂内はバロック
 僧院には、僧院本体と黒いマリアを祀るチャペルの2つの建物があります。聖堂には高さ105mの塔が聳えていますが、緑色の屋根とクリーム色の外観はいたって質素です。
 しかし、内部はバロック様式の装飾で埋まっています。身廊の両側には聖人の像が並び、柱頭部分にも細かな彫刻がいっぱい。

●コルベ神父
 入ってすぐの左側に、コルベ神父の絵画が飾られていました。神父はワルシャワの出身。第2次世界大戦時、反ナチスとの理由で捕らえられ、アウシュビッツ強制収容所に入れられました。囚人番号16670番のコルベ神父は、餓死刑を宣告された男性の身代わりになって、自ら餓死刑を受けて命を絶ち、その男性を助けたそうです。1941年8月14日、享年47歳でした。
 コルベ神父は当時のローマ教皇ヨハネ・パウロ2世から聖人に列せられ、「アウシュビッツの聖者」と讃えられています。神父は1930年、長崎市に滞在して伝道活動をしたこともあります。

●カラスのパン
 コルベ神父の絵画のそばに、パンを咥えたカラスが木の上に止まっているレリーフがありました。その下には洞窟の前で抱き合う聖パウロと聖アントニウス。カトリック教会に伝わる聖人カレンダーの9月2日に登場する「カラスのパン」の場面です。
 パウロは228-341年ごろの修道士。ローマ皇帝デキウスの異教徒迫害を怖れて洞窟に身を隠し、60年間も祈りと苦行の日々を送りました。1羽のカラスが毎日パンを運んで助けたそうです。修道生活の父と呼ばれる聖アントニウスに発見されたとき、パウロは113歳になっていたとか。

●マリア・チャペル
 いよいよ黒いマリアとのご対面です。大聖堂横のマリア・チャペルは入場を待つ列が出来るほどの大人気。ミサの最中なので、礼拝堂は超満員。初めて懺悔する子供たちも神妙な面持ちです。
 マリアのイコンを眺めるだけに訪れた観光客は、堂内の左側通路から祭壇の裏側を回って右側へと一巡し、その間に聖母マリアに対面できるようになっています。通路にも長い行列が出来ていました。 

●壁に金細工
 ローカルガイドの女性が特別な計らいをしてくれたようで、私たちを優先して列に割り込ませてくれました。堂内の壁がロザリオなどの金細工で煌びやかに埋め尽くされています。
 当初は願いが叶った、病気が治ったと感謝の気持ちで指輪やネックレスを寄進していましたが、その後は貴族や有名人も寄進するようになり、数が増えたといいます。

●黒いマリア
 牛歩の行進で祭壇に近づくと、バロック祭壇の中央に金色の衣装を纏った「黒いマリアのイコン」が鎮座していました。イコンは毎年衣装替えをするそうで、今年は琥珀の衣装です。
 イコンは1384年にパウロ神学者たちが寄進。聖母を拝めば禁煙の誓いが叶えられたり、目が見えるようになったり、病が治るなどと口コミで広がり、国民の篤い信仰を集めるようになりました。

●守護神
 また、イコンは奇跡を呼び起こす守護神と崇められています。奇跡というのは、1655年のスウェーデン軍侵攻にまつわる伝説。
 ポーランドを侵略したスウェーデン軍は、ワルシャワやクラクフを占領し、チェンストホーヴァも攻撃しました。しかし、ヤスナ・グラ僧院のあるチェンストホーヴァだけは猛攻に屈しませんでした。人々は「黒いマリアの加護によるもの」と驚き、町を守った奇跡として、後世に語り継がれています。

●顔に切り傷
 イコンは、絵画史上の傑作と高く評価されていますが、右の頬に切り傷が2か所あります。言い伝えによると、侵攻したモンゴル軍がイコンを略奪しようとしたところ、鉄のように重くなって持ち上げることが出来ず、腹立ち紛れに引っ掻いた傷と伝えられています。
 これも奇跡伝説の一つですが、実際は1430年、僧院に押し入った盗賊が傷つけたそうです。顔の色が黒いのは、僧院の火災で煤けたためということでした。

●ミサの最中
 イコンの左右に金のバラと太いベルトとが飾られていました。ベルトはパウロ2世が愛用していたものを寄進したそうです。
 イコンを見られるのはミサの時だけ。普段は布で覆われています。僧院を埋めた観光客は、そのチャンスを狙っていたというわけです。ミサには神父や修道士、それに懺悔の子供たちが参列、他の信者はその後ろからお祈りしていました。大勢の観光客の視線を浴びながらのミサ。神父さんたち、よく気が散らないものです。

●煌びやかな衣装
 僧院内には宝物館や記念館などもあります。1982年開設の600周年記念館には、イコンの衣装などが展示されていました。衣装はイコンそっくりにかたどった人形が着ていますが、宝石を散りばめるなど、煌びやかなものばかり。
 宝物館にはキリスト教関連の装飾品の数々やキュリー夫人が贈った長いロザリオ、ヨハネ・パウロ2世の肖像、ワレサ元大統領から贈られたノーベル平和賞のメダル、昔の武具などが展示されています。ジョン・ケネディ元米大統領から寄進された指輪は修理中ということでした。

●懺悔台
 芸術性の高い展示品が多い宝物館でしたが、記念館ともども内部の写真撮影は禁止です。戸外に出ると、懺悔の順番を待つ信者たちの列が出来ています。列の先には懺悔台があり、神妙に心を清めていました。
 これでガイド付きの観光は終わり、しばらくフリータイムに。妻と別行動で敷地内をうろうろしました。

●カラスのモザイク
 僧院入口の正面にある2つの門を先へ進んだら広場に出ました。石畳の空間に「カラスのパン」のモザイクが描かれ、人々はそれを踏んで僧院へ入っていきます。門の上には必ず聖母マリアのイコンが嵌め込まれていました。
 その後、階段を上って大鐘や群像が見える場所にも行ってみましたが、どこも大勢の人でざわめいています。僧院の内外で「MARIA」の文字を何度かみかけました。これは僧院のシンボルマークだそうです。

●聖母マリア信仰
 巡礼者や観光客はますます増えて、僧院の入口は人、人、人で埋まっています。966年にミエシュコ1世がカトリックを受け入れたポーランドは、聖母マリア信仰がとくに篤い国です。以前からあった女神信仰が聖母マリア信仰へと引き継がれてきたのでは、という説もあります。
 僧院には年間400万人が訪れるそうですが、毎年8月15日の聖母被昇天の日には、ポーランド各地から巡礼者が殺到します。

●ボルシチ
 11日から始まったポーランドの観光は、ヤスナ・グラ僧院を最後にすべて終了。正味9日間の観光は、あっという間に過ぎました。
 12:40、僧院そばのレストラン「Viking」で昼食。メニューはボルシチ、ポーク、ケシの実入りのケーキでした。ボルシチはウクライナからロシアに伝わった伝統的な家庭料理。牛肉と野菜のスープで赤カブを使うのが一般的です。今回はポーランド風ということですが、やや濃厚な味でした。

●ユーロ先延ばし
 14:00、バスはワルシャワへ向かいました。約200kmのドライブです。車内では質問に答える形でアリーツィアさんのポーランド事情続編が始まりました。①ポーランド人の海外旅行先はスロバキア、ハンガリー、ロシア、エジプトなど、②子供の遊びはコンピュータゲーム、戸外ではバスケット。
 ③2012年のユーロ導入計画は、不況のあおりで先延ばしされそう、④自由経済で格差が広がり、ソ連時代を懐かしむ人もいる―。1度の休憩を取り、大きなショッピングセンターが建つワルシャワ郊外まで来ました。

●ワルシャワに戻る
 「国民の最大の誇りはワルシャワ復活。自分の国の歴史を失ったものは、自分をも失う、と頑張りました」と、アリーツィアさんは話を締めくくりました。
 17:10、ワルシャワへ戻りました。12日にワルシャワを出発してから約2500kmを走ったことになります。無事に全行程を終わることが出来て、みなさんに感謝です。

●最後の食事
 19:00、ホテルのレストランで夕食。全員揃っての食事はこれが最後というので、旅行会社からドリンクのサービスがありました。
 メニューはチキンとピスタチオの前菜、サーモンのフィレ、チーズケーキでした。今夜もやはりクロスグリ。旅行中、何杯飲んだことか。自分でも可笑しくなります。

●夕焼け雲
 食後、外へでてみると、きれいな夕焼け雲が広がっていました。ピウスツキ元帥広場の無名戦士の廟にも明かりが灯っています。数人が衛兵交代を見に行きました。
 旅行中、何度か雨にたたられましたが、青空が広がった日も多く、おおむね好天に恵まれました。ポーランドの人は明るく接してくれたし、料理も心がこもっていて好感が持てました。厳しい歴史に胸が詰まることもありましたが、今回もまた「来て良かった」旅になりました。


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