ページ TOP 10

(文中の赤字をクリックすると関連のページが開きます)

◎6月21日(日)晴 (11日目)
 ワルシャワ→アムステルダム→(機中泊)→成田空港へ

●今日の予定
 きょうは帰国の途につきます。アムステルダムまで2時間10分、成田まで11時間20分のフライト予定。
 昨夜、きれいな夕焼け雲を見せてくれたホテル周辺に、淡いピンクの雲が浮かんでいます。5:15から早朝の散歩に出ました。行き先は旧市街。市民の執念で蘇った町並みをもう1度見たかったからです。

●王の道
 
王の道を聖十字架教会からワルシャワ大学、カジミエシュ宮殿、ヴィジトキ教会、ラジヴィウ宮殿(現大統領府)、アダム・ミツキエビッチ像などを眺めながら北へ進みます。方向音痴の自分でも間違えようがない1本道です。
 王の道は、ワジェンキ宮殿から新世紀通り-クラクフ郊外通りを経て旧王宮に至る、ワルシャワの観光ルート。かつて王様が行き来したので、この名がついています。

●ラジヴィウ宮殿
 衛兵とライオンの像に護られた宮殿は、17世紀に建てられた貴族ラジヴィウ家の館。1994年から大統領府として使用されています。
 ポーランドで初めてオペラが上演(1765年)され、ショパンが初めてのピアノ演奏会(1828年)を開いた場所でもあります。また、ワルシャワ条約の調印(1955年)が行われるなどの歴史を紡いできました。

●ポニアトフスキ元帥の像
 大統領府の敷地に、ユゼフ・ポニアトフスキ大公の騎馬像が建っています。3国分割で祖国を失ったポーランドを復活させるために戦った英雄の1人。ワルシャワ市内に大公の名を冠した橋もあります。
 週末を徹夜で飲み明かした男女が帰宅を急ぎ、酔っぱらいがうろうろしていましたが、危険を感じることはありません。まだ飲み足りないのか酒場にたむろする若者も。路上にはウオッカの空き瓶が転がっていました。

●ミツキェヴィチ像
 大統領府の北側に、ショパンにも影響を与えたロマン派の詩人アダム・ミツキェヴィチの立派な像が建っています。独立運動にも積極的で、祖国を愛した詩人として尊敬されています。
 ショパンはミツキェヴィチの詩集「バラードとロマンス」から歌曲を、「コンラト・ヴァレンロト」に触発されて、 バラード1番・ト短調作品23を作曲しました。像は1898年に生誕100周年を記念して建てられました。バラード1番はショパンの生家でピアノ演奏を聴いた曲です。

●ヴィズィトキ教会
 その先には、ショパンが15歳の時にミサのオルガニストをしていたという、ヴィズィトキ教会も建っています。町が壊滅状態になった第2次世界大戦時の空爆では、全壊を免れた数少ない建物の一つ。
 近くには1901年創業の老舗5つ星のブリストルホテルも。ネオルネサンス様式の建物で、ドゴール(元フランス大統領)、ケネデイー(元アメリカ大統領)やピカソも泊まったそうです。

●聖アンナ教会
 ぶらぶら歩きしながら王宮広場の前に建つ聖アンナ教会までやって来ました。ファサードに故パウロ2世の特大写真が掲げられています。また、教会の前には、1979年に行われたローマ法王ヨハネ・パウロ2世の集いなどのパネルも展示されていました。
 教会はポーランド公爵ボレスラフ3世の未亡人アンナが1454年に創建。隣に建つ鐘楼は16世紀のルネサンス様式です。1702年、侵攻したスウェーデン軍に破壊され、後に再建しました。この教会で式を挙げたカップルは幸せな結婚生活が続くといわれ、なかなかの人気だそうです。

●ヤマザキハルキ君
 王宮広場で「おはようございます」と日本語の挨拶をされてびっくり。3人連れの若者の1人が「父が日本人、母がポーランド人のハーフです」と、にこやかに話しかけてきました。友人2人をモデルと紹介し、しばらく立ち話。「ワルシャワは治安が良い町。楽しんで下さい」と言い、懐かしがってくれました。
 ヤマザキハルキと名乗り、9歳まで日本で暮らしたそうです。ワルシャワの一期一会にほのぼのした気持ちになりました。

●広場の家並み
 聖ヤン教会が建つ聖ヨハネ通りを抜けて旧市街広場へ。日中は大賑わいの広場もひっそり。広場を囲む中世の家並みにも朝日が当たってきました。
 日差しが強くなるに連れて、壁の装飾が鮮明に。壁画もあれば、浮き彫りもあります。それらの一つ一つが昔の通りに再現されたもの。古いものを壊してビルを林立させる最近の再開発とは対極の考えです。

●人魚の像伝説
 広場の真ん中に人魚の像が建っています。ワルシャワの象徴で、市の紋章にもなっている像には、ワルシャワの市名に関わる伝説があります。
 昔、むかしのある朝、ヴィスワ川に仕掛けた漁師の網に人魚が掛かりました。漁師夫婦は貧乏でしたが、人魚が「私を川に帰して」と懇願したので、願いを叶えてやったところ、漁師が住む辺りに多くの人が集まり、魚がよく売れるようになりました。夫婦の名がワルスとサワだったので、これがワルシャワの名になったと伝えられています。

●バルバカン
 旧市街の北の玄関、バルバカンまで足を延ばしました。12日の観光では馬蹄形の門を潜っただけでしたが、周囲には監視塔が並び、砦の大きさと頑丈さが確認できました。
 かつて旧市街を円状に防護していた城壁の一部で、ヘルメットをかぶった坊やの兵士像「小蜂起の像」がどこかに建っているはずなのですが、泥酔状態の男2人がつきまとうので、気味悪くなって、見つけられずに引きあげました。

●石畳の路地
 少しばかり横道に入ったりしながら、ホテルに向かいました。誰もいない石畳の路地の散歩は、なかなか趣があります。「こんな所に熊がいたっけ」。聖ヤン教会の入口付近で熊の彫刻を発見したり、路地探訪も楽しい時間。
 家並みの壁や扉には聖母マリアのモザイク、咆吼するライオン、キリスト、女神などのレリーフをいくつでも見つけることが出来ます。あっという間に1時間30分が経ってしまいました。

●カルメル教会
 大統領府まで戻り、隣に建つカルメル教会の扉が開いていたので、中を見せてもらいました。18世紀に建造されたネオゴシック様式で、正面の天辺に青い球体が乗っている特徴のある建物です。
 何度も前を通りながら「博物館?」、「教会?」と思っていました。大統領府と接近しているので、教会の前にも衛兵がいました。「ジェインイエン(ありがとう)」と言ったら、笑ってくれました。

●もう団体客
 大統領府の近くで、旧市街へ向かうドイツの団体客に出会いました。8:00前なのにもう観光スタートです。私たちは充実した朝食を終え、また
周辺の散歩に出ました。出発までのんびりホテルで過ごす人から見たら「貪欲な、変わり者」と思われるかもしれませんが、物見遊山の私には時間が惜しいのです。
 今度はホテルの南側を歩きました。クラシンスキ宮殿から民族博物館、国立銀行本店、中央郵便局、文化科学宮殿のコースです。

●クラシンスキ宮殿
 クラシンスキ宮殿は、聖十字架教会近くに建っています。17世紀のバロック様式。破風にはレリーフがあり、足を投げだす女性のポーズが注目です。宮殿は戦災で破壊、ショパンの友人アントニ・コルベルクの絵をもとに再建されました。現在は美術アカデミーとして利用されています。
 宮殿はショパン一家が1827年からポーランドを離れる1830年までの3年間住んでいました。一家としてはワルシャワで3番目の住居。ショパンは個室を与えられて、作曲に勤しんだという話です。

●三位一体教会
 クラシンスキ宮殿の近くに、ホテルから見えていた三位一体プロテスタント教会が建っています。18世紀後半に建造されたポーランド古典様式を代表する建物だそうです。 
 ショパンも合唱団のメンバーとして歌い、演奏をしていたと聞きました。また、前ローマ法王のパウロ2世、現法王のベネディクト16世も訪れています。

●ラッパのマーク
 民族博物館は3階建ての重厚な造り。民族衣装などが展示されているそうです。国立銀行本店は一部ガラス張り。中央郵便局は7階建ての堂々とした建物で、壁にシンボルのラッパのマークがありました。
 9:00近くになり、通りを行き交う人が増えてきました。私たちも時間が気になります。最後は町のあちこちから望めた文化科学宮殿へと急ぎました。

●文化科学宮殿
 文化科学宮殿はデフィラト広場に建つ37階建てのビルです。高さ234mの塔が聳え、部屋数3280、総床面積12万3000平方mという巨大建築物。旧ソ連のプレゼントとして、1956年に完成しました。四角張った厳めしいスタイルは、本家のモスクワでもよく目にするスターリン様式です。
 内部には科学博物館、劇場、コンサートホール、映画館、水泳プールがあり、テレビ局やオフィスも入居しているそうですが、ワルシャワ市民の評判は悪く、「ソ連の墓石」などとこき下ろしているといいます。

●別れの挨拶
 9:30、空港へ。アリーツィアさんが「今回は都市部中心の観光でしたが、ポーランドには豊かな自然があります。春も良いですが、秋の黄葉のころも美しいです。ポーランドは良いところと宣伝して下さい」と別れの挨拶。ドライバーは日本人は時間を守り、協力的と感謝していた、とも付け加えました。
 渋滞を心配して早めに出たのですが、10:00にはフレデリック・ショパン空港に到着。ショパンが出迎えてくれました。

●団体チェックイン
 団体チェックインで、座席はあらかじめ指定されていました。アムステルダムまでは14のB、Cです。成田までのチケットは添乗員のS・Dさんが預かりました。
 ベルトと時計を外すセキュリティチェックを受け、B38ゲートまで長い長い通路を歩きます。女性たちは最後の買い物。われ先にと売店へ駆けつけました。しかし、アムステルダム-成田間のチケットを見せるように要求する店もありました。

●ドゥビゼニア!
 12:30、オランダ・スキポール空港行きKLMオランダ航空KL1364便は、快晴の空に舞い上がりました。「ジェンクイエン(さよなら)!ポーランド」、「ドゥビゼニア(さようなら)!ポーランド」。心の中でそっとお別れをしました。
 定刻より30分近く遅れた離陸。スキポール空港でのトランジット時間が少ないので、一時は乗り遅れを心配しました。その後は順調な飛行。サンドイッチの軽食がサービスされ、ライ麦パンが食べられるのもいよいよ最後です。

●帰路も満席
 14:10に着陸。大急ぎで出国手続きと手荷物検査をすませてF07搭乗口へ。15:40、成田空港行きKL861便が離陸しました。777-200型機で、座席は3×3×3。いくつかの団体客が乗り込んで、ほぼ満席です。
 私たちは34のB、C。窓際のA席にはフランスの若い女性。1人旅だそうですが、日本語はまったく話せません。離陸直後、「成田到着は22日9:20の予定」の機内放送がありました。




◎6月22日(月) (12日目)
 帰国

        
《以下、プラス7時間の日本時間で表記》

●機内食
 旅行社のアンケート用紙に回答するなどして時間つぶし。0:10、機内食は和食と洋食のチョイス。和食にしましたが、KLMの食事はあまりいただけません。食後すぐに眠り、目が覚めたら3:30でした。
 間もなく、カップヌードルかアイスクリームのサービス。これまで深夜に食べることはなかったのですが、今回は疲れが少ないので、ヌードルを食べてみました。

●ほぼ定刻
 その後もうつらうつらの繰り返し。ハバロフスクを通過した機は、ひたすら南下を続けています。朝食はパスして、コーヒーだけ。8:20、機は日本海に入り、あと800kmです。機内がざわめいてきました。
 9:30、かなりのショックとともに、KL861便は成田空港に着陸。ほぼ定刻でした。 

●夏場の現象
 ターンテーブルで受け取った妻のスーツケースが、大きく凹んでいました。保険取り扱いのカウンターに行くと、マネジャーらしい男性が、スーツケースを開いて中からがんがん叩きました。簡単に修復して1件落着。
 「凹みは夏場によく起こる現象。冬なら割れてしまうのですが…」と言っていました。それほどの時間ロスにもならず、予定の電車で帰宅できました。 


ページ TOP 10