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◎6月13日(土)雨 (3日目)
 ワルシャワ→ブチニエッツ→ジャレニエ→グダンスク泊

●今日の予定
 きょうはエルブロング運河をクルーズした後、バルト海沿岸のグダンスクへ向かうだけの行程です。クルーズ船の乗り場ブチニエッツまでは約250km、そこからグダンスクまでは100kmほど。ロングドライブになるので、酔い止め薬を飲むことにしました。 
 3:15に目が覚めてしまいました。曇天ですが、朝食前にクラクフ郊外通りを王宮広場まで歩きました。 

●ワルシャワ大学
 まず、ワルシャワ大学から聖十字架教会へ。男性の裸身像が柱を支える建物があり、その隣がガイドのアリーツィアさんも卒業したワルシャワ大学です。門が閉まっていて、キャンパス内に入ることは出来ませんでしたが、1816年に開校したポーランドきっての名門校です。
 構内には、王の夏の離宮だったカジミエシュ宮殿、地理学部になっているウルスキ宮殿、また、ショパンが住んだこともあるカジミエシュ宮殿別館、蔵書260万点を誇る図書館などの建物が点在しています。

●多士済々
 開校当時は医学、哲学、芸術など5学部でしたが、現在は18学部に約6000人が学ぶ総合大学に発展しました。その間には、ロシアに反抗した1830年11月蜂起に教授や学生の多くが加わったため閉鎖に追い込まれるという、校史も刻んでいます。
 伝統校なので卒業生も多士済々。フレデリック・ショパンのほか、ノーベル賞受賞者のジョセフ・ロートブラット、レオニード・ハーヴィッツ、作曲家で指揮者のミェチスワフ・カルウォーヴィチらがいます。

●ショパン住む
 ショパンの一家が1817年から10年間住んだという、宮殿別館は煉瓦づくりの4階建て。一家はその2階左側の部屋で暮らし、外壁にプレートがありました。移り住んだときショパンは7歳でした。現在は東洋研究学部として利用されています。
 この後、王宮広場まで足をのばしましたが、6:00前後の通りは行き交う人も少なくて、静まりかえっていました。

●トラムとメトロ
  やがてトラムやバスの市民の足が走り始めました。ワルシャワには地下鉄が南北に延びる1路線しかなく、赤と黄色のトラムが重要な足です。トラムが導入されたのは1882年。当時は馬が牽引していました。1907年から路面電車になり、現在は30路線、約500kmで運転されています。
 一方の地下鉄は1995年4月に開通。1号線は市の中心部から旧市街を通っています。2号、3号線を増設する計画も進んでいると聞きました。ポーランド国内の地下鉄は、ワルシャワの1路線が運転されているだけです。

●ヤン・キリニスキの像
 王宮広場から道を逸れ、旧市街の南西入口付近に建つヤン・キリニスキの像へ。昨日の夕食どき、レストランへ向かう道すがら、ちらりと眺めて気になっていた像です。基台の上に剣を振りかざす男性が建っていました。
 キリニスキは、ワルシャワに駐屯しているロシア軍を攻撃して勝利を収めたタデウシュ・コシチュシュコ蜂起(1794年4月)の指導者です。彼は靴屋。肉屋のユゼフ・シェラコフスキとともに立ち上がりました。

●国立劇場
 その後、国立劇場などを回り、1時間30分ほどの散策を終了。ホテルに戻るころ、曇天からぽつりぽつりと落ちてきました。朝食のためレストランに行くと、S・Dさんから「モーニングコールにも応答がないし、姿も見えないので心配しました」といわれてしまいました。黙って出かけたので、要らぬ心配をさせたようです。
 体調も良く、チーズ、ハム、ニシンの酢漬け、パンなどをしっかり詰め込みました。ソーセージが美味しいので驚いていますが、ピクルスもなかなかいけます。他の国のものより塩分が控えめなので嬉しいです。

●墓所と土葬
 8:30、小雨の中、エルブロング運河を目ざしてスタート。聖ヤン教会の背中を見て市内を抜け、国道7号線に乗り入れました。あとはひたすら北上するだけ。ポーランドの高速道路は舗装が良いのか、バスは大きく揺れることも弾むこともなく、快調に飛ばしています。
 林間に大きな墓地が見えました。ポーランドは土葬が多いそうです。アリーツィアさんによると「アウシュビッツのガス室で多くのユダヤ人が殺され、焼却されたイメージが離れないので、火葬は敬遠されがちです」と言っていました。

●コウノトリ
 雨に煙る田園風景が続きます。広々とした牧草地でのんびり過ごす牛たち、赤、黄、ピンク、白などの野の花が目を楽しませてくれます。
 「あっ、コウノトリ」。ときどき姿を現しますが、畑の中に1羽か2羽。疾走するバスからはなかなか写真が撮れません。何度か挑戦して、つがいを撮せました。

●広大な畑
 小麦、ライ麦、ジャガイモ、ビート、トウモロコシなどの畑が次々に現れます。どの畑も広大です。平坦な農地がどこまでも続き、圧倒されます。
 国土の約60%を農地が占める農業国。規模も半端ではありません。ブタの飼料用として350㌶のトウモロコシ畑を所有している農家もあるほど。穀物の自給率は100%。EU諸国への農産物輸出も盛んです。

●マズール地方
 10:10、給油所で休憩。カプチーノで疲れを癒しました。EUに加盟してからバス運転手の健康管理が厳しくなり、2時間ほど走行したら15分の休憩をとる決まりです。雨、そのうえ風も強くてかなり寒いです。セーターとウィンドーブレカーを着込みました。
 再び北上を始めた車窓をコウノトリの巣、鹿のカップルがよぎりました。樹間に湖も見えます。3000もの湖が点在し、夏場はレジャー客で賑わう湖水地帯のマズール地方に入ったようです。ワルシャワから200kmほど走ったことになります。

●ペチカ
 11:30、ミロムリンのレストラン「Przystanek Pilawki」で昼食。ペチカに火が入っていました。見下ろす湖はやや激しくなってきた雨にぼやけています。トマトスープやビーフロールで腹ごしらえをし、運河のクルーズに備えましたが、残念ながら雨は止みそうにありません。
 レストランからクルーズ船の乗り場、ブチニエッツまではバスですぐでした。

●エルブロング運河
 これからクルーズするエルブロング運河は、ワルシャワの北200km余りに位置するオストロダとバルト海沿岸のエルブロングを結ぶ全長82kmの水路です。小麦などの農作物や木材運搬に供するため、8年の歳月をかけて 1852年に開通しました。 
 100mの高低差を乗り切る工夫が随所にされています。とくにブチニエッツからカルニィノヴェ間9.6kmでは、20mの高低差を乗り越えるため、5か所のスキップ路(丘越え用のレール)が設けられ、優れた土木工学と評価されています。

●線路を滑る船
 到着したとき、クルーズ船が丘を越えてやって来ました。架台の上に乗せられた船が滑車に曳かれてレールを滑り降り、ちょうど水路に入るところ。
 傾斜路は水面下にレールを敷き、その上に架台を取り付けてあります。架台に固定された船は、水力のケーブルで牽引されて傾斜面を越え、水位が異なる次の水路に乗り入れます――という、事前の説明がようやく理解できました。

●クルーズ
 私たちも体験クルーズの観光船に乗りました。オストロダ市の交通局が運営している定員65人の細長い船に、他国の観光客と混載です。雨は降りしきっていますが、上部デッキに上がらないことには丘を超える様子が見られません。
 雨と寒さに耐えながら、最初の丘越えを眺めました。14:00、就航した船は前方で待ち構える架台の上に船体を滑り込ませました。

●船の丘越え
 架台と船体をしっかりロープで結わえて固定すると、水力の滑車から延びるケーブルに曳かれ、線路上に導かれました。船を乗せた架台は線路上をゆっくり、ゆっくり上っていきます。
 丘を上りきったら、今度は運河めがけて降りるだけ。そろり、そろりと下りて水の中に。そこで架台から離され、次の丘へと進みました。  

●コウホネ咲く
 船室で雨宿りしたり、デッキに上ったりを繰り返して、スキップ路を越える様子を眺めました。ジャレニエまで2時間ほどのクルーズ中、4か所の傾斜路を上り下り。150年前から続けられている操船技術ですが、「上手いこと、考えたものだ」と感心するばかりです。
 水面にはコウホネの黄色い花、川べりにはアヤメやハマナス、ルピナスなど様々な花が咲いていました。また、船上から牛や馬が放牧された広大な農地も見渡せます。好天なら自然満喫の爽快な時間が過ごせたことでしょう。

●船員の愛犬
 観光船は毎年5月から9月にかけて運航され、82kmを11時間かけてゆったり巡るクルーズもあります。傾斜路は一般にも広く開放されていて、ヨットや小型ボートを運ぶ風景も見られました。
 人気者がいました。それは茶色のワンちゃん。川べりでじっと船を見守っています。どうやら船員の愛犬のようで、主人の作業ぶりを眺め、船が動き出すと、どこまでも後を追っていました。今回の旅行では毎日、観光内容に見合うテーマを設け、今日は「昔の物流の名残を味わう」でした。生憎の雨ですが、昔日の運航ぶりを偲ぶことは出来ました。

●カップル5万組
 ジャレニエからは今夜の宿泊地、グダンスクへまっしぐら。昔、ドイツの領土だったグダンスク。ときどき見かけるコウノトリはポーランドへの飛来数が最も多く、昨年は5万組ものカップルが確認されたとか。
 「コウノトリの巣、どのくらい重さがあると思いますか」。アリーツィアさんは退屈させまいと、あれこれ話題を提供します。3年ものの古い巣なら50kgにもなるそうです。

●今夜のホテル
 アリーツィアさんの話に耳を傾けている間に、バスはヴィスワ川を渡り、18:00、ホテル「メルキュール・ヘヴェリウス」に到着しました。中央駅の東500mに建つ全281室の4つ星です。
 部屋が各階に分散しているので、部屋割りは恨みっこなしの抽選になりました。残り数本から引いたのは13階。高層階からはグダンスクの街並みが眺望できるというので、いそいそとエレベーターに乗り込みました。

●市街が一望
 部屋のスペースはやや狭いですが、部屋の窓越しや廊下の窓からカタルツィニー教会、聖ブリジディー教会、塔など近場の建物、また赤茶色の甍(いらか)の町並みが一望できます。今日は雨に邪魔されていますが、晴天下の眺めは素晴らしいと思います。   
 ホテルの近くにショッピングセンターがあり、旧市街の見どころまで10-15分で行けるという、立地の良い場所です。

●ビール
 夕食はホテルで。グリンピースのクリームスープ、サーモン料理、それとラム酒入りのコーヒーケーキ「オルフェウス」でした。今夜はビールを飲みました。町のあちこちで、踊る男女の看板を目にするジヴィエツ。150年間も醸造され続けている有名銘柄です。爽やかな飲み口でした。
 ポーランドはウォッカの国。蜂蜜入りやチェリーのウォッカは女性にも人気ですが、ビールの消費量も世界の10指に入るとか。ジヴィエツの他にもジューブル、ハルナシ、オコチムなどの銘柄があります。

●ライトアップ
 22:30、カタルツィニー教会の周辺がささやかにライトアップされていました。淡い橙色灯に浮かぶ教会や塔。間接照明の温かみがあります。
 夜中にドカン、ドカンという轟音で目が覚めました。何ごと?。慌ててカーテンを開いたら、運河の方向から大輪の花火が打ち上げられていました。土曜日の夜。何かのイベントがあったのでしょう。

●グダンスク
 明日観光するグダンスクは、ポーランド北部にあるグダンスク県の県都。ヴィスワ川が注ぐバルト海沿岸の港湾都市です。鉄道や運河が発達。国内やヨーロッパの主要都市と結ばれ、国内最大の貿易港拠点として、輸出入の大半を扱っています。
 第2次世界大戦のドイツ軍侵攻によって、大きな打撃を受けた工業も復興し、人口50万人を数える大都市が蘇りました。焦土と化した旧市街にもハンザ同盟時代(13-14世紀)を偲ばせる中世の佇まいが戻り、14世紀の聖マリア教会やゴシック様式の旧市庁舎、ハンザ同盟のアルトゥス館(1379年)、カタルツィニー教会などの見どころがあります。

●大戦勃発地
 グダンスクは第2次世界大戦の勃発地であり、ワレサ委員長(後の大統領)の自主管理労組「連帯」が誕生した町。「自由への闘いの象徴」として、その名を歴史に残しています。
 世界大戦の勃発は、グダンスク郊外のベステルプラッテ岬に停泊していたドイツの武装商船「シュレスビッヒ・ホルシュタイン号」が岬に駐屯していたポーランド守備隊に対し、電撃的に攻撃を仕掛けたのがきっかけでした。時は1939年9月1日4時49分。守備隊182名が2日間抗戦し、15名の犠牲者を出しました。この電撃戦で1945年まで続く大戦の火蓋が切られたのです。

●連帯の発祥地
 自主管理労働組合「連帯」は、ポーランド民主化運動の先駆けと位置づけられています。ロシアの影響下にあった統一労働者党によるヤスゼルスキ政権に対し、反共産勢力が改革と民主化を求めて1980年に結成しました。
 経済政策への不満からグダンスクの造船所で起こったストライキが全国に波及し、連帯結成への引き金になったといわれます。委員長には造船所工員のレフ・ワレサ氏が就任しました。

●民主化へ弾み
 ロシアの圧力によって、連帯は非合法扱いされ、戒厳令が敷かれてリーダーのワレサ委員長ら関係者多数が拘束されるなど、苦しい時代もありました。
 しかし、その後も粘り強い活動を続け、1987年に自由選挙の実施を勝ち取って、民主主義政権を誕生させる決定的な要因になりました。



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