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◎6月14日(日)晴 (4日目)
 グダンスク→マルボルク城→グダンスク泊

●今日の予定
 きょうは世界遺産のマルボルク城を観光し、午後はグダンスクの市内を見ます。 
 体内時計がちょっぴりながらポーランドに慣れてきたようで、4:00すぎまで眠れました。上空を厚い雲が覆っていますが、流れが速いので、いささかの希望は持てます。

●豊富なパン
 グダンスクの朝食も充実していました。パンが豊富です。チーズとピクルスが美味しいことはすでに報告しましたが、ライ麦パンにもはまっています。とくに、ライ麦の粒が混じっていれば最高。香ばしさの虜になってしまいました。
 旬のイチゴやサクランボ、スイカなどの果物もそろい、チーズやハム類もたくさん。今朝もたっぷり詰め込みました。

●グダンスク中央駅
 8:00、食後の散歩に。風が強く、少し寒いですが、上空には青空が広がってきました。ホテルの西側に建つ中央駅へ。15分ほど歩くと、トラム線の対面に赤煉瓦づくりの時計塔が聳え、その隣に大きなステンドグラスを嵌め込んだ三角屋根の駅舎が構えていました。
 地下道を潜って駅前に。屋根の天辺に国章の鷲のブロンズ像が飾られ、その下にも王冠をかぶった鷲のレリーフ。ハンザ同盟都市グダンスクの紋章を抱えた獅子の像も見られます。

●鮮やかな車体
 ホームに出てみました。列車はブルーと黄色の鮮やかな車体。この車両は近郊を走っています。通勤ラッシュが終わったのか、乗客はまばら。中央駅からはワルシャワ行きが毎日15本運転され、約4時間で結ばれています。人気のビーチリゾート、ソポトにも30分で行けます。
 駅前で見かけたマンホールの蓋も紋章のデザイン。駅前に建つ学童の群像の台座には、ハンザ同盟の主要都市名を彫ったプレートが並んでいました。

●白鳥の親子
 9:00、世界遺産のマルボルク城を目ざして発車。「ジェインドブリー」。アリーツィアさんの明るい挨拶が響きました。期待通りの青空。バスの車内に入り込む日差しが暑いです。モトワヴァ運河を通り、しばらく走ると田園地帯に出ました。
 小さな運河に白鳥の親子。あっという間に通り過ぎましたが、逆光の中で泳ぐ姿をカメラにとらえることが出来ました。

●ヴィスワ川
 バスはヴィスワ川を渡りました。ポーランド南部のベスキト山脈を水源にする国内最長の河川です。標高約1100mの地点から国内を大きく蛇行して北に流れ、バルト海に注ぐ全長1047km。流域面積は国土の60%以上にも及ぶそうです。
 ワルシャワの町を貫通し、コペルニクスの生誕地であるトルン、グダンスクなどを流れています。河口に近くなった流れは雄大でした。

●ポピーの群生
 車内がざわめいています。広大な菜の花畑が広がり、ところどころにポピーの群生も。車窓に現れる度に「わぁ~、きれい」の声があがり、視線が落ち着きません。「ポーランドはいまが一番美しい季節です」。アリーツィアさんが合いの手をいれます。
 S・Dさんが「マルボルク城について、アリーツィアさんの説明をいただきます」といい、マイクから日本語の説明が流れましたが、車窓風景に目がいって気もそぞろ。S・Dさんは「頭に染みいるように入り、よく理解できた素晴らしい説明でした」と賛辞を贈っていましたが、私にはさっぱり理解できませんでした。

●マルボルク城
 10:00、北に約40km走ってマルボルク城に到着しました。ポモージェ県にあるマルボルクは、人口約4万人の小都市。町は1274年にドイツ騎士団(チュートン騎士団)が居城を設けたのを機に発展しました。
 ヴィスワ川支流のノガト川畔に築城されたマルボルク城は、その後、増築や改築を繰り返して現在の威容になりました。城は赤煉瓦づくりのゴシック様式。面積は21㌶で、東京ドームの4.5倍もあるそうです。

●騎士団の居城 
 ドイツ騎士団は、第3回十字軍としてパレスチナに赴いたドイツ出身の戦士や巡礼者を武力で守るため、12世紀に組織されたカトリックの修道会です。軍事的な要素が強く、僧侶でありながら騎士。異教徒討伐を理由にバルト海一帯に勢力を振るいました。
 ローマ教皇から武力によるキリスト教布教を認められ、強大な軍事力で次々と領土を拡大。ドイツのブレーメンやリューベックなどハンザ同盟都市とも組んで、琥珀貿易で莫大な富を手に入れました。

●権威と力の象徴
 ポーランド北部に進出した騎士団は、1309年にマルボルク城を本部にし、14世紀には修道会国家の首都にふさわしい隆盛期を迎えました。しかし、1410年、ポーランド・リトアニア連合軍との「タンネンベルクの戦い」に敗れて衰退。ポーランド王国の支配下に入ることに。
 ノガト川の水面に影を映すマルボルク城は、宮殿を思わす豪華な造り。櫓と門がある城壁に囲まれた要塞は、まさに力と富の象徴です。

●世界遺産
 現在は博物館として公開されており、銃剣や鎧などの武具が展示されていますが、観光客が興味を示すのは琥珀の原石や手の込んだ琥珀細工です。琥珀はバルト海で産出されます。
 ヨーロッパ最大という煉瓦づくりの城は、その価値が評価され1997年、「
マルボルクのドイツ騎士団の城」として世界文化遺産に登録されました。

●城の門
 マルボルク城は上、中、下の3つの城から成る3層構造です。上城(高城)は修道院、中城は団長室や迎賓館、下城(低城)は倉庫や武器庫、馬小屋などに利用されていたそうです。私たちは近くでバスを降り、騎士団の栄枯盛衰ぶりを見学しました。
 写真撮影料15zlを払って、ワッペンをもらい、門を潜りました。門には敵の襲来に備えて「落とし格子」が設けられています。先の尖った丸太を組んだ防具で、要塞ではよく見かける構え。城には同じような門が4か所あるそうです。  

●騎士の部屋  
 門を入ると、中庭があり、周囲を赤煉瓦の建物が取り囲んでいました。見学は
中城の騎士の部屋からスタート。ユニークな天井、壁にはフレスコ画、床には暖房用の装置、また、僧侶の集団らしく、部屋の片隅に小さな礼拝所がありました。
 ポーランド王ブワジスワフ・ヤギエウォの石棺のレプリカも。錫杖と十字架を手にした王が獅子に守られて、石棺の上に横たわっていました。

●団長の像
 中庭には団長4人の像が並んでいます。当時、城内には高官50人ほどと、約800人の騎士が生活していたそうです。
 城内を巡っていると、建物と建物を繋ぐ渡り廊下に開閉橋が設けられるなど、いたるところに戦闘集団の素顔が散りばめられていました。

●宝物館 
 中城には琥珀の原石や加工作品が展示されています。バルト海沿岸で産出される琥珀は、ドイツ騎士団を潤した重要な交易品。グダンスクの土産物の筆頭格でもあり、女性たちの目が一斉に輝きました。
 加工品は祭壇、物入れ、時計、アクセサリーなど。どれも精緻に仕上げられ、琥珀特有の光彩を放って、息をのむような美しさ。「グダンスクで買えますよ」。女性たちはアリーツィアさんの言葉で、その場を離れました。 

●戦災の写真
 見張り塔が聳える上城も見学。修道院やキッチン、食堂などがありましたが、スピード観光なので、どの部屋を巡回したのかわからなくなってきました。戦災当時の写真が掲げられています。 
 第2次世界大戦末期、ドイツ軍とソ連軍との戦闘によってほぼ崩壊。戦後、市民の手で元通りに修復されました。ずたずたに破壊された建物を見事に蘇らせた市民の情熱に敬服するばかりです。

●キッチン
 キッチンには食器や調理具、またパン、肉、魚などのレプリカが並んで当時の様子を再現しています。食事は食堂までリフトで運んでいたそうです。フレスコ画で飾られた食堂は、床のモザイクも一見の価値があります。
 騎士団長の部屋にはフレスコ画の天井があり、回廊の装飾も見事。贅を尽くした当時の栄華ぶりを偲ぶことが出来ます。コウモリが200羽住み着いているという暗い通路を通って、中庭に出ました。

●上城の中庭
 狭い中庭に古井戸があり、樹齢100年という菩提樹の木が枝を伸ばし、木陰をつくっていました。古井戸の瓦屋根の天辺にペリカンの像が建っています。
 ペリカンは食べ物がないとき、自分の肉や血を子どもに与えるとの言い伝えがあり、騎士達にその気構えを示すために設けられたそうです。

●柱の装飾
 城内は華美なだけではなく、水洗式のトイレやリフト、音響効果などの創意工夫も随所に組み込まれています。各部屋の柱の中ほどに施されたレリーフにも注目です。聖人が鎮座していたり、動物がいたり、手が込んでいます。
 廊下の壁に羽を持った鬼のような浮き彫りがありました。「あれは悪魔。トイレのある方向を教えています」とアリーツィアさん。悪魔がつかんでいる顎髭が左側を向いていたら「トイレは左」との説明でした。当時は乾燥させたキャベツの葉でお尻を拭いていたそうです。これは余談。

●修道院
 元通りに復旧された城内で、いまだに戦災当時の惨状を見せている場所があります。それは修道院です。赤煉瓦の壁が崩れ、聖人たちを描いたフレスコ画には大きな穴が。あちこちに工事用の足場が組まれていました。
 広い城内のすべてを短時間で見学するのは無理。1時間30分の急ぎ足を終えて、戸外に出ると、課外授業の子供たちがわんさ。一行を取り囲んだ子供たちは、片言の英語で話しかけてきました。

●学童たち
 ポーランドでは6月20日から学校の夏休みに入ります。毎年、その前に遠足や課外授業を計画する学校が多く、どこへ行っても児童や生徒たちの集団を見かけます。どの子もにこやか。カメラを向けると、われ先にと応じてくれました。 
 ポーランドも小学校6年、中学校3年、高校3年の6・3・3制。中学校までが義務教育です。夏休みは新学年がスタートする9月1日まで。間もなく、会社も夏期休暇に入り、様々な楽しい行事が待っています。しかし、今年は不況のため、海外に出かけるのも、学校の催しも控えめとか。

●マスのから揚げ
 昼食はマルボルク城内のレストラン「Piwnikowa」で。野菜スープ、マスのから揚げ、フルーツサラダでした。
 川魚が苦手で、いつもは大半を残すのですが、今日のから揚げは臭みもなく、振りかけたアーモンドの薄切りが香ばしく、完食でした。美味しいパンもついていて満足。

●全容を望む
 「川向こうから城を眺めましょう」。アリーツィアさんに従って、ノガト川に架かる橋を渡りました。対岸に立つと、城の全容が望めました。
 川面に影は映っていませんが、参加者の誰もがガイドブックなどで1度は見たことのある風景。城をバックに集合写真におさまって、今日の観光テーマ「ドイツ騎士団」を締めくくりました。

●コウノトリの巣
 グダンスクへ引き返す車内でも「あっ、コウノトリ」、「鹿がいたよ」と声が。先ほどから畑の中で餌を探すコウノトリや電柱の巣を見かけ、巣の写真を撮ろうと狙っています。何度も挑戦しますが、車窓からとらえるのは至難の業です。
 グダンスクが近くなって諦めかけたとき、すぐ近くの電柱に巣が見つかりました。とっさにシャッターを押し、やっととらえることが出来ました。

●ハンザ同盟の町
 14:40、グダンスク旧市街の緑の門付近でバスを降り、徒歩での観光がスタートしました。
グダンスクはドイツ騎士団の支配下で成長。ドイツから多数の商人たちが移住して、 1361年にはハンザ同盟の都市に加わりました。
 第2次世界大戦時、町の90%が破壊されましたが、ワルシャワと同じように市民の手で中世の町並みを復元させました。

●旧市街散策
 まず、旧モトワヴァ運河に架かるジャローニー橋から町並みを眺めました。左側には木造クレーン、海洋博物館、赤煉瓦の建物が並び、クルーズ船が白い船体を接岸しています。右側は戦火で痛めつけられた倉庫群や新モトワヴァ運河の倉庫群。
 橋を渡りきったら旧市街の入口の一つ、緑の門です。真っ直ぐに進めば黄金の門に通じる、延長500mのドゥウガ通り。「王の道」とも呼ばれ、かつてはポーランド王の凱旋、犯罪者の処刑などが行なわれました。いまはグダンスク旧市街のメイン通りです。

●多い観光客
 私たちは緑の門を潜らず、旧運河沿いを海洋博物館の方へ歩きました。頭を揃えた4階建ての家屋が隙間なく連なっています。琥珀店のウィンドーでは、女性の足が止まることも度々。「あとで買い物の時間をあげますから」。添乗員の声で我に返り、アリーツィアさんの後を追いかけていました。
 狭い通りは観光客がいっぱい。かつてはドイツが支配した地域なので、ドイツからの観光客が圧倒的に多いそうです。これまで他の日本人の姿は見かけません。

●木造クレーン
 旧市街の東を流れるモトワヴァ運河は、ハンザ同盟時代の繁栄を担ってきました。いまは造船業が不振で、15世紀に造られた木造クレーンがひっそり残されています。
 クレーンは大車輪を人力で回して、荷を持ち上げる世界的にも貴重な遺産。12人がかりで4㌧の荷を30m近く持ち上げることができたそうです。1443年から1954年まで、港の荷役作業に使われました。大車輪は保存のため、網で覆われています。対岸から眺めるとクレーンらしさがよくわかるということです。

●ハンザ同盟都市
 小さな門を潜り、狭い路地を歩いて「琥珀通り」と呼ばれるマリア通りに出ました。路地には三角屋根の4階建てが行儀良く並んでいたり、好き勝手に色づけしたようなカラフルな家屋が続いています。
 昨年5月に訪れたドイツ北部のリューベックやハンブルクの町を思い出させる、ハンザ同盟の都市独特の雰囲気が漂い、目を楽しませてくれます。

●玄関前の装飾
 ハンザ同盟は海上交易の邪魔者だった海賊などに対抗するため、利益を共にする都市が手を結んだ商業組合。14世紀半ばに加盟都市が100を超え、グダンスクもその一員でした。
 グダンスクの町並みには、本家のリューベックやハンブルクにはない特徴も見られます。それは玄関前の装飾。外壁などにニンフ(精霊)や動物などのレリーフ、階段には大きな円石などが置かれていて、これらを眺めながら歩くのも一興です。

●聖母マリア教会
 
聖母マリア教会にやって来ました。グダンスクで観光客必見の場所といわれるところ。旧市庁舎近くに建つ教会は、1343年から160年もの歳月をかけ、1502年に完成したゴシック様式。
 煉瓦造りの教会としては世界最大で、現在の建物は戦災後に復元されました。高さ78mの尖塔が聳える教会は質素な外観ですが、2万5000人の礼拝者を収容できるそうです。 

●天文時計
 大きな窓から光が差し込んで、明るい教会です。主祭壇の上部には高さ8mのキリスト像が飾られ、あちこちに礼拝堂が設けられています。その数は30以上。第2次世界大戦時に犠牲になった神父、聖ヤコブ、黒いマリアなどを祀る礼拝堂です。 
 15世紀の天文時計も自慢の一つ。3段式になっており、天辺に時を知らせる鐘を打つアダムとイヴ、真ん中は星座を表した時計、下は聖母マリアを中央にした暦です。そのほか絵画や戦災を免れたステンドグラスなど、見どころたっぷりの教会でした。

●大武器庫
 聖母マリア教会の塔は、500段近い螺旋階段を上ると、市内を一望できるそうですが、私たちには時間もなければ、体力もありません。残念ながらパスです。
 教会を出て西に進むと、左右に塔を持つ派手な装飾の大武器庫が現れました。ピンク系の外観に金色や白色で様々な装飾が施されており、説明がなければ、「これが武器庫?」と、いぶかるほどの華麗さです。

●派手な外観
 ファサードには女神像が嵌め込まれ、ドラゴンの雨樋がにょきっと突き出し、ハンザ同盟の紋章も飾られています。第2次世界大戦で壁と屋根の一部を除いて破壊されましたが、1945年に復元され、1階はショッピングセンター、上階は美術アカデミーとして利用されています。昔は大砲や弾丸など武器が保管されていたそうです。
 「あの紋章を見て。ライオンが間抜けた顔をしているので評判が悪いです」。アリーツィアさんが言いました。

●紋章あれこれ
 グダンスクの紋章は、王冠の下に十字のマーク2つが縦に並んだもの。これを向き合った2頭のライオンが抱えているデザインが普通です。町のあちこちで見られる市民の誇り。
 アリーツィアさんが「最悪」と言って見上げた大武器庫の紋章は、ライオンが金の髭を生やし金歯をむき出しにしていました。旧市庁舎の紋章は、左側のライオンが左に顔を背けたデザイン。王の道を通る王様を迎えるポーズだそうです。

●黄金の門
 大武器庫から南に歩いて、メイン通りのドゥウガ通りに出ました。王の道の南端に黄金の門が建っています。1614年に建造されたという白亜の門。上から4体の像が見守っています。平和や自由、正義などを表現していると聞きました。
 門の横に建つ赤煉瓦の建物は、聖ジョージ関連の館。塔の天辺に設けられた風見鶏は、ドラゴン退治で有名な聖ジョージでした。

●囚人の塔
 周辺には囚人を拷問するため17世紀に建てられた囚人の塔、16世紀に建造された高い門があります。赤煉瓦づくりの囚人の塔には、拷問に使った道具が展示され、琥珀博物館もあります。
 高い門は旧市街の表玄関。ここから黄金の門を潜り、ドゥウガ通りを緑の門まで散策するのが一般的な観光コース。私たちは逆回りをしたのです。高い門は修理中でした。

●旧市庁舎
 黄金の門を潜って、ドゥウガ通りを東に進みます。前方に赤煉瓦の時計塔が聳えていました。旧市庁舎の時計塔です。庁舎は1370年に着工、高さ82mの時計塔が完成したのは1561年。現在はグダンスク歴史博物館として公開されています。
 赤の広間と呼ばれる評議会室は、天井や壁に16世紀の絵画や室内装飾が施され、一見の価値があり、また、展望台からはバルト海までの景観を望むことができるそうですが、私たちは内部の観光はありませんでした。  

●ドゥウーギ広場
 旧市庁舎の先はドゥウーギ広場。艶やかな装飾に彩られた中世貴族の館が並び、グダンスクでもっとも華やぐ観光スポットです。町並みのなかでひと際目立つのはアルトゥールの館。その前にはネプチューンの噴水があります。
 広場の周辺には、琥珀店が軒を連ね、画商、大道芸人たちも商売に忙しそうです。多くの観光客がたむろするのもこの辺り。11、12日は聖体まつり、13、14日の週末を合わせた4連休最後の日なので、国内からの観光客がとくに多いそうです。

●ネプチューンの噴水
 ネプチューンの噴水は、ハンザ同盟時代のシンボル。1633年に造られたブロンズ製で、中央にはローマ神話の海神ネプチューンの像が建っています。
 これで、旧市街の観光は終わりました。買い物が好きな女性たちには嬉しいフリータイム。アリーツィアさんが希望者を琥珀の店へ案内しました。私は別行動で再び旧市街散策へ。

●自由散策
 駆け足観光だったので、もう1度ゆっくり回ることにしました。といっても1時間だけ。先ほどの観光ルートをなぞりながらの、ぶらぶら歩きです。
 聖母マリア教会から大武器庫へ。ベングロビ広場へ回り、大武器庫を反対側から眺めました。表の派手な外観からは想像も出来ないシックな表情です。

●建物の装飾
 建物の外観に施されたアールヌーヴォー風の奇抜な
装飾、中世の生活ぶりや貴族たちを活写したフレスコ画などを見ているだけでも楽しくなります。ハンザの町らしく、船や錨のレリーフも散見でき、ご満悦の町歩きです。
 見上げれば、屋根の天辺にネプチューンや女神、聖ジョージなどが陽光を浴びながら、観光客を見下ろしています。一方、心を痛める写真も見かけました。戦災当時、ずたずたに破壊された旧市庁舎などのパネルが壁に貼られていたからです。

●賑わい
 囚人の塔や高い門などを再見して、再び黄金の門を潜りました。ドゥウガ通りに並ぶ建物は、何度見てもカラフルで心弾ませてくれます。
 野菜や菓子、アイスクリームの出店も商売繁盛。似顔絵描きやアコーディオンを奏でる少年、ギターを弾くおじさん…。広場の周辺はお祭りのような賑わいを見せていました。

●琥珀の産地
 琥珀店には様々なアクセサリーが客を待っています。琥珀とは、松などの樹脂(ヤニ)が長い歳月をかけて石化したもの。黄褐色の神秘的な光を放ち、良質のものは宝石として重用されます。
 バルト海沿岸は琥珀の産地。昨年8月に訪れたリトアニア、エストニア国内の都市でも琥珀細工をたくさん見かけました。琥珀交易で栄えたグダンスクでも重要な観光資源になっています。

●レフ・ワレサ
 あっという間に集合時間。私はグダンスクの町がお気に入りになりました。「もっと時間が欲しい」。後ろ髪を引かれる思いでホテルへ引き返しました。
 グダンスクは民主化推進の原動力を果たした、自主管理組合「連帯」の本拠地。委員長に選ばれたレフ・ワレサ(本名レフ・ヴァウェンサ)は、後にポーランド共和国の第2代目大統領に就任、1983年にはノーベル平和賞を受賞しています。彼が働いていた造船所跡も見たかったのですが、残念ながら叶いませんでした。

●老舗レストラン
 夕食は旧市街のレストラン「グダンスカ」で。ワレサ大統領も訪れたという老舗の有名店。店内には帆船の模型や絵画が所狭しと飾られていました。
 ニシンの前菜、料理はエビのガーリックバターソース、チョコレートケーキ。S・Dさんは「ワレサ大統領が好んだメニュー」と言っていました。

●紋章のガス灯
 レストランを出たら、紋章をデザインしたガス灯に明かりが灯っていました。紋章に誇りを持つグダンスクの人々の心意気が伝わってくるようです。
 きょうは快晴のもとで、観光ができました。21:00すぎ、S・Dさんがライトアップされた運河の散策に案内してくれましたが、参加したのは女性2名だけ。みなさんは観光に、買い物にお疲れのようでした

 

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