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◎6月15日(月)晴 (5日目)
 グダンスク→トルン泊

●今日の予定
 きょうは南下してコペルニクス生誕の地であり、ハンザ同盟都市として栄えたトルンへ向かいます。到着後、世界遺産のトルン旧市街を観光の予定。
 4:00、細い三日月が浮かんでいます。やがて、赤茶色の家並みに朝日が当たってきました。5:40、朝食前の散歩。ホテル周辺をぶらつきました。

●早朝散歩
 まず、13階の窓から見下ろしていたブリジティ教会と聖カタリナ教会へ。ブリジティ教会は赤煉瓦づくり。幼児を抱いたパウロ2世の立像があり、壁に聖母マリアのレリーフがありました。
 隣の聖カタリナ教会へは柵があって、遠回りをしないと行けないので、後回しにして、地図を頼りに先へ進みました。 

●大きな建物
 赤煉瓦の大きな建物がありました。入口は鉄の扉、その上にはグダンスクの紋章が燦然と輝いています。
 監視所のような塔が聳えており、「これが大製粉所」とばかり思っていました。しかし、その建物は、ハンザ時代に活躍した商人の倉庫や住まいだったと、後で教えられました。

●花屋さん
 近くでは朝市が開かれ、大勢の主婦が野菜や果物を買っていました。また、花屋さんは開店準備に忙しそう。美しくデザインされた飾り花などを店頭に並べています。
 今朝もグダンスクの町は静かです。時折すれ違う通勤者は、路地を彷徨う私たちに物珍しそうな視線を投げかけて通り過ぎていきます。

●パン屋さん
 ぶらぶら南へ下ったら、香ばしい香りが漂ってきました。大きなパン屋さん。ガラス越しに生地をこねる職人さんが見えます。「写真、OK?」と尋ねたら、にっこり微笑んでくれました。工房の奥では別の職人さんが、パン焼き作業に懸命。
 匂いに引き寄せられて、店をのぞくと美味しそうなパンがずらり。地元の人が入れ替わり立ち替わりして買っていきます。私たちもトルンへ向かうバスの中で食べようと購入。1個が1zlでした。

●旧市街に
 前方に昨日観光した派手派手の大武器庫が見えてきました。家並みの中に2本の塔がこれ見よがしに建っています。
 S・Dさんから「旧市街までは大変な距離ですよ」と聞かされていましたが、意外に近いのでびっくりでした。聖母マリア教会と可愛らしい礼拝堂も見えます。昨日は見なかった門もありました。旧市街にはいくつも門があるそうなので、その一つでしょう。 

●旧市庁舎?
 北に向きを変えて進むと、古びた塔が見えてきました。崩壊が激しい建物で工事用の足場が組まれています。地図を見ると「旧市庁舎」と表示されている場所なのですが、旧市街の他にも市庁舎があったのでしょうか。よくわからないままに写真を撮って、その場を離れました。
 赤い立派な門があり、それを潜ると運河に出られるようですが、時間が気になります。ここも写真だけ撮って、さよならしました。

●大・小製粉所跡
 少し移動したら、瓦屋根に押しつぶされそうな赤煉瓦の建物がありました。これが中世の大製粉所跡。当時、ヨーロッパ最大の製粉所といわれ、日に200㌧を生産していたそうです。
 大製粉所は1350年に建設され、町のほぼ中央を流れるラドゥニ運河の水力を活用した水車で粉を挽いていました。道路を挟んだ向かいには、運河を跨ぐように小製粉所が建っています。15世紀に建造され、当時は水車5基が稼働していたそうです。

●ヤン・ヘベリウス
 大製粉所跡の近くに教会があり、その敷地にグダンスク出身の天文学者、ヤン・ヘベリウス(1611-1687)の銅像が建っていました。ヘベリウスは法律学を学び、その後、公職を勤めながら天体観測に精を出しました。当時は望遠鏡による天文観測が始まったころでしたが、彼は肉眼による観測を貫きました。
 観測器具の改良や製作にも熱心で、暗い星ばかりで構成される「こぎつね」、「やまねこ」など7星座を見つけ、名付けたことで知られています。銅像の前には功績を称えたプレートも設置されていました。肝心の教会の名前は聞きそびれました。

●聖カタルツィニー教会
 周辺をひと回りして、聖カタルツィニー教会に。残念ながらお化粧直しの真っ最中。聳える鐘楼にはすっぽり覆いが掛けられ、先端だけしか見えません。予定の時間をすぎたので、ホテルに戻りましたが、価値のある早朝散歩でした。
 グダンスク最後の朝食。品数が豊富なのが嬉しくて、たっぷりいただきました。

●菜の花イヤー 
 9:00、バス発車。トルンまで南へ約150kmのドライブです。赤煉瓦の建物群や路面電車、運河沿いに群生するポピーなどを眺めながら進み、間もなく、近年開通したばかりという高速道路の料金所を通過しました。
 青空が広がり、ときどき広大な菜の花畑が車窓をよぎります。今年3度目の菜の花見物です。2月に中国の雲南省・羅平で、4月にはフランス各地で大規模な菜の花畑に感激しました。2009年は私の「菜の花イヤー」です。

●遠足の児童
 その後も長閑な田園風景が続き、10:30、サービスエリアで休憩。ポーランドの高速道路では、トイレしかない場合が多く、今回もコーヒーが飲めませんでした。遠足の児童がいっぱい。満開のクローバーの上ではしゃいでいました。
 再出発した車内では、アリーツィアさんがコペルニクスについての説明。地動説を唱えた天文学者として有名ですが、クラクフ大学時代は医学も学び、イタリアのボローニャ大学ではローマ法を勉強したマルチ人間、という内容。「最近の中・高生の多くは天動説を信じている」と渋面を見せました。

●どこまでも畑
 今日も広大な畑が道連れ。あちこちで農作業に精出す人たちを見かけます。どこまで走っても山らしいものはなく、地の果てまで畑?、と錯覚しそうな雄大な風景。麦、トウモロコシ、ビート、菜の花、ジャガイモなどの畑がどかん、どかんと現れます。
 ポーランドは国土の約60%、2000万㌶の農地を持つヨーロッパ屈指の農業国です。200万を超す農家が穀物栽培などに従事し、近年はEU諸国への輸出も盛ん。「安くて美味しい」と、なかなかの人気だそうです。

●個人の農地
 「農地はすべて個人の所有です」とアリーツィアさん。第2次世界大戦後、ソ連の影響下に置かれた国ですが、ソ連主導の農業形態であるコルホーズ(国営農場)は導入されませんでした。共産政権時代も農地の個人所有、農産物の自由取引が続けられ、今日に至っています。
 コルホーズを強制しなかったのは、豊かな農地を持つ農民たちの離反を怖れたためではないかといわれています。一つの作物がこれほど広い、広い畑で栽培されている光景は未だかつて見たことがありません。「すごい」。陳腐ながら、そんな言葉しか見当たりません。

●聖霊門
 トルンの町が近くなって、外国資本による工業団地が現れ、シャープ、スミカなど日本の工場も見かけました。12:00、トルンに到着し、まずは食事です。バスを降り、城壁沿いを歩いてレストランへ向かいました。
 旧市街に通じる門が8か所あり、真っ先に目に入ったのが赤煉瓦の聖霊門。ここにも遠足の学童がたくさんいました。修道院の門とも呼ばれています。

●南京袋
 レストランは次の門を入ってすぐ左にある「Spichrz」。ハンザ同盟時代の穀物倉庫を改造したホテルにあり、木の椅子に南京袋をイメージしたクッションが置かれていました。麻の袋は穀物の運搬に使われたそうです。
 トルンも1280年に加盟したハンザ同盟都市の一員。内陸港を拠点に14世紀から貿易中継地として繁栄しました。レストランもその名残です。

●カツレツ
 料理はキュウリのスープ、ポーランド風カツレツのコトレット、アイスクリーム。コトレットは肉が軟らかく、日本のカツと同じ美味しさでした。ポーランドではメイン料理に、必ずといっていいほどジャガイモが添えられます。地方によって味は違いますが、これも美味しいです。
 このところ昼、夕食にクロスグリ(木の実のシロップ)を注文することが多くなりました。ピッチャーの水を飲んでも問題なし。食後にはコーヒーか紅茶がついているので、アルコール弱者でも困ることがありません。

●トルン
 腹ごしらえも出来て、いよいよトルンの旧市街観光がスタート。その前に少しばかりの予習です。トルンはポーランド中部のトルン県の県都です。ヴィスワ川の両岸に拓けた町は、貿易中継地として発展しました。とくに、バルト海沿岸で産出された琥珀を、ヴィスワ川上流のワルシャワやクラクフに運ぶ街道として重要な役割を果たしました。
 現在も道路、鉄道網の要衝であり、化学、繊維、機械、木工などの産業が盛んです。人口は約20万人。

●世界遺産
 トルンは13世紀の中ごろ、バルト海沿岸を支配していたドイツ騎士団が城を築いたのが、町の始まりとされています。ハンザ同盟に加入して力を得て、14世紀後半から15世紀後半にかけて隆盛期を迎えました。
 1454年には市民が蜂起して騎士団を撃退し、城も破壊しました。ヴィスワ川沿いには城壁や城門などが残っています。町の中心である旧市街には、繁栄当時を偲ばせるドイツ風のゴシック様式、ルネサンス様式の建物が多く、1997年に「トルンの中世都市」として世界文化遺産に登録されました。

●知に触れる
 
トルンは偉大な天文学者であるコペルニクスの生まれ故郷。今日の観光テーマは「ポーランドの知に触れる」です。
 旧市街は中世そのままの佇まいで、ヨーロッパでも有数の美しさを誇っています。また、秘伝のレシピによって作り続けられている銘菓ピェルニキも観光客には楽しみの一つです。

●ドイツ騎士団城址
 まず訪れたのは旧市街地の東側、ヴィスワ川沿いに残るドイツ騎士団城址。ハマナスの花が咲く公園の中に、赤煉瓦の廃墟がありました。かつてはバルト海沿岸をわが物顔に支配していた、強者どもが夢の跡です。
 城塞は1230年ごろ造営。その後、木造から煉瓦づくりに改築されました。ポーランド王から市として認められて勢力を伸ばしましたが、1454年、トルン市民の蜂起によって破壊されました。城は破壊されたままの状態で保存され、公園として公開されています。

●新郎新婦
 城址公園で記念撮影を撮る新郎新婦に出会いました。ジューン・ブライドは純白のウエディングドレス。カメラを向けたら嬉しそうに寄り添ってくれました。
 ポーランドは男性が26歳前後、女性が24歳前後で結ばれることが多く、「R」の文字がつく月、つまりに3、6、8、9、10、12の月に結婚すると幸せになるとの言い伝えがあります。披露宴の招待者は50人から100人が普通。ウォッカで乾杯して、宴が始まるというから、いかにもポーランドらしいです。

●聖ヨハネ大聖堂
 旧市街の中心に戻り、洗礼者ヨハネを祀る聖ヨハネ大聖堂へ。1260年に着工したトルン最古の教会で、すべてが完成したのは15世紀です。コペルニクスが1473年に洗礼を受けた際に使われたという洗礼盤や胸像をはじめ、歴史的な価値がある装飾などが見られました。
 鐘楼にはクラクフのヴァヴェル城に次いで国内2番目という大きな鐘があり、パウロ2世が寄贈した「神様の手」と呼ぶ針を持つ大時計もあります。堂内の写真撮影は有料(10zl)でした。

●コペルニクスの生家 
 旧市街広場南側のコペルニカ通りには、地動説を唱えたニコラウス・コペルニクスの生家がありました。ぎざぎざ屋根の赤煉瓦づくり。14世紀の中ごろに建てられた商家ということですが、ドイツのリューベックなどで見るハンザ同盟都市独特の様式です。
 現在は博物館として公開され、コペルニクスが実際に使ったコンパスや地球儀など、数々の用具が展示されています。

●ハンザの遺産
 旧市街の西側に建つ聖母マリア教会を目ざして歩いていたら、また城壁のある場所へ出ました。釣り鐘のような形の小窓をたくさん取り付けた赤煉瓦の建物を見かけます。「あれ、面白いでしょう」とアリーツィアさん。
 ハンザ同盟時代の穀物倉庫で、穀物を入れた南京袋をイメージしているそうです。周辺は14世紀から17世紀にかけて建設された穀物倉庫群。トルンはハンザ時代の遺産があちこちに点在している町です。

●トルンの斜塔
 前方に傾いた塔が見えます。ドイツ騎士団の城壁に設けられた高さ15mほどの塔ですが、道路側に傾いているので、イタリアのピサの斜塔に倣って「トルンの斜塔」と呼ばれています。 
 城壁は14世紀から15世紀にかけて造営され、19世紀には大半が破壊されました。現在は一部残された防護壁や門などが当時を偲ばせています。斜塔は地盤沈下で傾いたそうですが、貴重な歴史遺産です。 

●聖母マリア被昇天教会
 旧市街広場の北西側に建つ
聖母マリア被昇天教会へやって来ました。14世紀に建造されたゴシック様式。フランシスコ会によって建てられましたが、16世紀の半ばにプロテスタント教会に変わりました。
 身廊は高さが27mもあり、天井に星形の装飾が施されています。祭壇の天辺にはキリストが磔にされた木彫りの十字架。15世紀の制作といいます。また、マリアの礼拝堂は18世紀の作。荘厳なバロック教会を見た後は、旧市庁舎の塔が聳える旧市街広場へ。 

●旧市街広場
 旧市街広場の周辺には見どころがいっぱい。旧市庁舎をはじめ、コペルニクス像、アルトゥールの館、聖霊教会、星の館(東洋博物館)、ヴァイオリン弾きの像など目白押しです。
 それだけに観光客もわんさと詰めかけています。市庁舎の周辺には大道芸人も繰り出して、大変な賑わい。広場から延びる路地の建物にも様々な装飾が施されていて、きょろきょろの連続です。トルンの紋章、屋根の上の猫、黄金の鷲、聖者…。きりがありません。

●旧市庁舎
 
旧市街のシンボルは高さ40mの塔が聳える旧市庁舎です。1393年に建造された当時は2階建て。その後、増改築が行われ、北部ヨーロッパで最も壮麗な庁舎といわれる現在の姿になりました。
 織物取引所、議会、裁判所などの機能を持ち、歴代の王が訪問した際には宿泊にも利用されました。1703年にスウェーデン軍に破壊されましたが、天井や扉などが修復され、貴重なコレクションを所蔵する歴史博物館も併設されました。

●コペルニクス像
 旧市庁舎の前に、ニコラウス・コペルニクス像が建っています。像は高さ2.8mで、1830年に除幕しました。像は第2次世界大戦中に廃棄される運命でしたが、奇跡的に助かったそうです。
 立像の基台には、ポーランド語の「地球を動かし、そして太陽と空を止めた」とのプレートが嵌め込まれていますが、これもドイツ語の銘板で覆い隠されたことがあります。コペルニクス(1473 -1543)については、いまさら触れる必要もないでしょう。トルン生まれの天文学者で、地動説を唱えた人物で、事足りると思います。

●ヴァイオリン弾きの像
 市庁舎の横手にヴァイオリン弾きの像が建つ噴水がありました。像の足もとを黄金色のカエルが取り囲み、口から水を噴き出しています。長袖のシャツと薄地のベストでも汗ばむ陽気。子供たちがカエルの口に手を当てるなどして、大はしゃぎしていました。
 ヴァイオリン弾きの像のいわれについては、聞きそびれてしまいました。向かいにはブルーの尖塔が聳える聖霊教会が建っています。

●フリータイム
 観光はここで終了。女性たちが楽しみにしていた40分間のフリータイム。市庁舎の向かいに建つアルトゥールの館1階には、トルンの伝統銘菓ピエルニキの専門店があり、大半の女性が急ぎました。
 私は市庁舎の塔に上りました。10zlを払って螺旋階段に挑戦。市庁舎の塔上りでは、昨年8月に訪れたエストニアの首都タリンでの苦い思い出があります。きつい階段に悲鳴をあげた記憶が蘇りました。

●旧市街眺望
 トルンの市庁舎は、段差があまり高くなく、階段の幅も広いので上りやすいです。途中で1度の休憩をしただけで、展望台に辿り着きました。高さ40mの塔上から眺める旧市街は、どこを切り取っても絵になります。
 コペルニクスの像は人気者。団体観光客2組がガイドの説明を聞いています。赤茶色の甍が波打つ家並みの中には教会の尖塔が聳え、目前には聖霊教会や14世紀に創建されたアルトゥールの館…。戦災の被害が少なかった旧市街が様々な表情を見せていました。

●罰のロバ
 広場に下りて、周辺をうろうろ。大道芸人がパフォーマンスを繰り広げる一角に耳や口、首筋などをピカピカに光らせたブロンズのロバを見かけました。背に跨って顔を歪める母子もいます。
 このロバ、なに?。「罰のロバ、といいますよ」。アリーツィアさんが教えてくれました。頭から尻尾にかけて背骨のようなものが延びています。罪人などの足首に錘(おもり)をつけ、長時間跨がせると、股間が痛くなって苦痛を訴え、罪の重さを反省したそうです。女性がロバに乗せられるのは浮気をした場合など。

●星の館
 集合時間ぎりぎりまで、周辺の建物の装飾や壁画を眺めていました。旧市庁舎の東隣で、天辺に金色の星を輝かせているのは東洋博物館。15世紀建造の商人の館で、星の館とも呼ばれています。
 19世紀建造の聖霊教会や郵便局も重厚な建物です。余裕があれば中に入ってみたいところ。 しかし、時間は容赦なく迫り、タイムアップとなりました。

●トルンの銘菓
 集合場所に行くと、買い物袋を手にした女性たちも次ぐ次ぎに集まってきました。トルンの銘菓ピェルニキを土産に買った人が多かったようです。
 ピェルニキはハンザ同盟以来の伝統的な焼き菓子。蜂蜜やジンジャー、カルダモンなどの香辛料を入れた生地にジャムなどをはさんで焼き上げ、表面にチョコレートや砂糖で飾りつけしています。アルトゥールの館の他にもコペルニクス社のピェルニキを商う専門店があり、頭が良くなる「コペルニクス・クッキー」として、人気です。

●今夜のホテル
 トルンの観光も急ぎ足。それでも時間不足でした。16:20、今夜のホテル「メルキュール・ヘリオス」にチェックイン。全110室の3つ星。バスタブの水漏れに悩まされました。
 トルンはどこででもコペルニクスに出会えます。ホテルのロビーにもそれらしい壁画が描かれていました。

●抽選で席決め
 夕食はホテルのレストランで。旅も日程を消化するにつれて、食事時の席取りが決まってきました。女性の4人連れ、夫婦2組、女性の3人仲良しはいつでも一緒なので、「今夜はみなさんの交流を」というわけで、抽選による席決めになりました。
 私は女性4人の中に加わり、やや緊張気味です。食事が運ばれるまで、そわそわしていました。「こんな調子では1人旅はできないな」。そんなことを思いながら、女性たちの活発な会話を聞いていました。

●コペルニクス・ウオッカ
 食事の前にコペルニクス・ウオッカがお披露目されました。人気者は菓子にされたり、酒にされたり、ご苦労なことです。細長いボトルにコペルニクスの顔がどかんとデザインされていました。
 ポーランド人が酒という場合は、決まってウオッカのこと。コペルニクスばかりでなく、ショパンもあれば、アルコール度が世界最高の96度という人気の銘柄スピリタスもあり、さすがはウオッカ王国です。

●ビゴス
 料理はビゴスという前菜、白身魚、ケーキでした。ビコスはポーランドの代表的な伝統料理。サワークラウト(塩漬け発酵キャベツ)や生キャベツ、牛のすね肉などを一緒に煮込んだものです。粒胡椒や月桂樹の葉などで香りを整えたりします。
 もともとはキャベツに残り物のくず肉やソーセージを加えた、ごった煮の家庭料理でした。いうなれば、残り物の片付け料理といったところでしょうか。でも、美味しかったです。

  

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