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◎6月16日(火)雨・曇・晴 (6日目)
 トルン→ポズナン→ヴロツワフ泊

●今日の予定
 きょうはポズナンに立ち寄り、ヴロツワフへ向かいます。ポズナンまでは南西に約150km、そこからヴロツワフまでは200kmあまり。バス移動が長い日です。
 雨が降っています。ポズナンは午前中が雨の予報。移動中に上がってくれることを願うのみです。6:30からの朝食時もずっと降り続いていました。

●持ち帰り
 レストランで数人の日本人ビジネスマンを見かけました。ポーランドへ来て初めて出会った日本人です。トルンのソーセージも美味しく、今朝も満足でした。
 やや余談になりますが、ツアー会社のW社はバイキングの朝食に用意されたパンや果物、クッキーなどを持ち帰らないよう、厳しく注意しています。持ち帰りは、旅先ではよく見かける光景。中にはポットを持参してコーヒーや水を詰めて、持ち帰る人もいたりします。「日本人は何でも持っていく」と嫌みをいわれることもあるので、この注意は適切だと思います。

●雨のドライブ
 8:00、強雨の中を出発。直後、踏切でストップ。赤い車体の列車が通過していきました。広大な田園風景も雨に煙って、退屈なドライブが続きます。
 車内ではアリーツィアさんがポーランドの歴史を話してくれました。たびたびグニェズノという地名が登場し、そこがポーランド発祥の地との説明。グニェズノ?。不勉強な私は初めて聞く地名です。「アリーツィアさん、すばらしい!。頭に染み入りました」と、S・Dさんがべた褒めした説明も、老化が進んだ脳みそに、おいそれとは染み込んでくれません。

●写真タイム
 10:00、グニェズノに到着。「大聖堂を見ましょうか」という、アリーツィアさんの声で居眠りから覚めました。手元の地図を広げると、トルンとポズナンのほぼ中間に位置する町です。
 日程にはなかったはずですが、写真タイムを取ってくれました。バスを降り、前方の高台に建つ大聖堂へ。まだ小雨が降っています。

●グニェズノ
 グニェズノはヴィエルコポルスカ県の町。人口は7万人ですが、ポーランド王国の揺籃期に首都だったところ。「ポーランド国家の揺りかご」といわれています。
 スラブ人の諸部族が暮らすポーランドに統一国家が出来たのは10世紀のこと。現在、ヴィエルコポルスカ(大ポーランド)と呼ばれる地域が国家建設の中心地となり、グニェズノがその首都になりました。

●建国伝説
 ポーランドの建国にまつわる伝説があり、アリーツィアさんが語ってくれました。昔、むかし、レフ、チェフ、ルスという3兄弟が定住地をどこにしようかと、候補地を探し歩いていました。
 ある日、1羽の白い鷲が樫の木の梢にとまり、それを見たレフがその木の回りに砦を築いてグニエズドノ(鷲の巣)と呼びました。チェフとルスはその後も定住地探しの旅を続け、チェフは南へ向かってチェコの地を発見、ルスは東へ行ってロシアを造りました―。というのが粗筋です。現在使われている国章の白い鷲は、国づくりの伝説に由来しています。

●グニェズノ大聖堂
 グニェズノ大聖堂は10世紀に創建されました。ポーランド最初の大司教座が置かれ、歴代国王の戴冠式が行われました。最初に戴冠式を挙げたのは1024年のボレスワフ1世。次は1025年のミエシュコ2世でした。
 1038年にボヘミア公のブレチスラフ1世によって破壊されましたが、1076年には再建。戴冠式は1300年のヴァツワフ2世まで続けられました。大聖堂の周辺には、ボレスワフ1世の像や聖人のプレート、花で飾った国章などが見られました。

●堂内見学
 堂内も見学。立派な礼拝堂がいくつもあり、ここにも遠足の児童が訪れていました。身廊はシンプルな造り。高い場所に磔にされたキリストの像が祀られていました。
 王妃のような女性を描いた天井画、ブロンズの司教や護衛兵に担がれた棺が目を惹きます。ここには聖アダルベルトの遺骸の一部が祀られていると聞いたので、その棺だったかも知れません。

●トイレチップ
 写真タイムのおかげで、グニェズノからボズナン、クラクフ、ワルシャワへと遷都していった過程がおぼろげながら理解できました。
 トイレをすませて、ポズナンまで約50kmのドライブです。ポーランドでは、ときどきトイレチップが必要です。1.5zlから2zlで、今回は1.5zlでした。「ジャンクイエン(ありがとう)」といってくれるおばさんもいます。車窓に風車が2基映りました。ディスプレーのようです。

●通貨ズオチ
 王の名や国章の話が出たついでに、ポーランドの通貨について触れておきます。お世話になっているズオーティ(zl)の他に、補助通貨としてグロシュがあり、100グロシュ(gr)は1zlです。紙幣は200zl、100zl、50zl、20zl、10zlの5種。硬貨は5zl、2zl、1zl、50gr、20gr、10gr、5gr、2gr、1grの9種。
 紙幣には傑出した王がデザインされています。200zl札は1506年に即位し、ポーランドの黄金期を築いたジグムント1世、100zl札は400年間に及ぶリトアニアとの同盟を結んだヴワディスワフ2世、50zl札は農民王といわれたカジミェシ3世、20zl札はボレスワフ1世、10zl札はミエシュコ1世です。硬貨には国章の鷲が刻印されています。

●ポズナン
 11:20、ポズナンに到着しました。ヴィエルコポルスカ県の県都で、ポーランド最古の都市の一つです。ヴァルタ川に臨む河港を有し、ワルシャワとドイツの首都ベルリンのほぼ中間に位置し、両市を結ぶ東西交易の中継地として栄えてきました。ベルリンまでは250kmです。
 商業都市として繁栄したポズナンでは、いまも毎年6月上旬に国際見本市が開催されています。また、大学や専門学校が8校もある文化、学術都市でもあります。

●王国発祥の地
 スラヴ民族が9世紀に砦を築いたのが町の始まり。10世紀後半にポーランドで最初のカトリック司教座がおかれ、ピアスト朝を創設したミェシュコ1世は968年、グニェズノから遷都し、ポズナンを王国の都に定めました。1039年にクラクフへ遷都されましたが、ポズナンがポーランド王国発祥の地といわれるのはこのためです。
 その後、ハンザ同盟の加盟都市として繁栄。しかし、17世紀の30年戦争や18世紀の北方戦争に巻き込まれ、第2次世界大戦でも大きな被害を受けました。

●戦禍から復旧
 第2次世界大戦ではナチス・ドイツ軍とソ連軍の激戦地となり、市街地全体の55%、旧市街では90%以上が破壊されました。戦後、残された資料をもとに町は完全に復元。人口は58万人で、国内5番目の都市です。
 町は旧市街と新市街に分かれ、その他にも住宅地と産業地帯であるヴィルダ、ヴァルドの2地区があります。観光の中心はやはり旧市街です。

●ポズナン大聖堂
 旧市街に入る前に、ヴァルタ川の中州に建つポズナン大聖堂を見ました。ミエシュコ1世が966年にキリスト教を受け入れ、その直後に建造されたポーランド最古のキリスト教会です。
 第2次世界大戦の戦禍で焼失し、現在の建物は戦後、当時のゴシック様式で再建されました。ここがポズナン誕生の地といわれる場所で、入口前の地面に天国の扉を開く鍵のモザイク画が描かれています。

●パウロ2世の像
 聖堂内には金の礼拝堂(チャペル)、ミエシュコ1世をはじめ、王族や司教の墓所があり、また、大聖堂が創建された10世紀の土台というのも公開されています。敷地の一角にはローマ法王だったヨハネ・パウロ2世(1920-2005)の彫像が建っていました。
 パウロ2世はクラクフ郊外のヴァドヴィツェの出身。1978年から27年間、第264代ローマ法王でした。その間に100か国以上を歴訪。その行動力は「空飛ぶ教皇」と呼ばれました。1979年に「共産主義を怖れることはない」と発言し、それが翌年の「連帯」結成に繋がったともいわれています。

●旧市庁舎
 外観だけの観光で、旧市街広場へ。ありがたいことに雨が止んでくれました。広場の中央に建つのはポズナンのランドマークである旧市庁舎。13世紀に建造、16世紀の中ごろに再建されたルネサンス様式。第2次世界大戦で全壊したため、16世紀当時の姿に復元されました。
 アーチが際立ち、フレスコ画が彩るファサード、天を突く尖塔。ルネサンス芸術の結晶と讃えられる瀟洒な建物です。現在は市の歴史博物館として公開されています。

●仕掛け時計
 正午近くになって、遠足の学童や観光客が市庁舎前に集まり出しました。壁面に嵌め込まれている大きな仕掛け時計がお目当なのです。
 毎日正午、時計の上の窓が開いて2頭の牡ヤギが登場。頭突きを12回繰り返して時を告げます。それが見たくて、黒山の人垣が出来たというわけ。

●ヤギが頭突き
 正午になりました。市庁舎正面に設けられた時計の上の窓が開き、白い牡ヤギ2頭が現れました。「わ~ぁ」子供たちの歓声が合図となって、頭突きの開始。「イェデン(1)」、「ドウァ(2)」、「チュシィ(3)」…。
 かちん、かちんと頭がぶつかる度に回数を数える子供たち。大人たちは1点を見上げてデジカメの撮影。みんな同じポーズなのが、見ていて可笑しかったです。

●市民の象徴
 ヤギは12回の頭突き作業を終えて、再び扉の中に。と同時に大勢の観光客は水が引くように立ち去っていきました。
 ヤギの頭突きには、いくつかの理由が挙げられています。草を食べる仕草という説もありますが、旧市街の建物と市庁舎を火災から守ってくれたという伝説を信じ、市民の象徴になっています。

●教区教会
 ヤギのユーモラスな仕草に見とれた後は、広場の近くに建つ教区教会(聖母マリア教会)へ。10世紀に建てられた礼拝堂を増改築し、現在の姿になったのは17世紀です。国内でも屈指のバロック様式教会といわれ、内部には手の込んだ装飾が施されています。かつてはイエズス会の教会でした。
 まず、目に入るのは、身廊の天井を支える朱色の柱や天井画。風変わりなねじり柱も見られました。また、立派なパイプオルガンもあり、堂内のいたるところに、隙間なく装飾が施されていて、バロックの本領を発揮しています。

●記念写真に  
 敷地内には他にも建物がいくつかありますが、用途についてはよくわかりません。小さな公園に、躍動感いっぱいのヤギのブロンズ像があり、女性たちは背に跨るなどして記念写真を撮り合いました。ヤギは頭が良く、質実剛健な動物としても親しまれているとのこと。
 旧市街広場に戻り、その一角にあるレストラン「Sami Swoi」で昼食です。

●チョコレートパフェ
 スープ、チキン料理。大量に添えられていたポテトフライが美味しかったです。「わ~ぉ」。女性たちの歓声が起こりました。運ばれたデザートは、超特大のチョコレートパフェ。「こんな大きいの、食べたことないわ」などと大はしゃぎです。
 チョコレートパフェなどという、しゃれたものにはまったく縁のない身ですが、甘さを抑えた冷たいチョコは口当たりが爽やか。歩き疲れを癒してくれました。

●旧市街広場
 食後は、少しばかりのフリータイム。旧市街広場をうろうろしました。広場は13世紀に造られた、ポーランドを代表する中世市場の一つです。石畳が敷き詰められた広場を趣のある建物が取り囲んでいます。噴水も多い広場です。
 建物の高さはほぼ同じですが、カラフルで、屋根の形もばらばら。外壁には人物、動物、楽器、草花などの絵も描かれています。不統一なようで、調和がとれている楽しい空間です。建物の多くはレストランや土産物店。いつも観光客で賑わっています。

●消火栓
 広場に建つ紋章入りの消火栓を眺めていたら、フリータイムは時間切れに。ポズナンの観光は終わりました。
 市内には、まだまだ見どころがあります。アダム・ミツキエヴッチ公園には、「ポズナンの6月」事件の犠牲者を慰霊する記念碑が建ち、国立博物館もありますが、私たちはヴロツワフへ向かいました。

●交通事故死者
 バスは国道261号線を南下。北部では緑の絨毯だった麦畑が、南下するにつれて黄金の穂に変わってきました。コウノトリや鹿もひょっこり姿を見せます。青空が広がって、楽しい車窓風景ですが、ときどき、道路脇に花を飾った即席の十字架を見かけます。
 交通事故死した家族を悼んで設置したものです。ポーランド国内でも交通事故は深刻な問題。年間5万件以上の事故が起こり、5500人前後が死亡、約6万人がけがをしています。任意保険の加入者が少ないため、当事者同士が示談で処理するケースもあるので、実際の数字はもっともっと多いといわれています。

●給油所で休憩
 16:15、給油所で休憩。売店のエスプレッソ(5zl)でひと息入れました。給油所にはガソリン代の看板や塔が設けられています。この店はレギュラー1㍑が3.74zl。この前後が現在の相場のようです。
 再スタートした車内にショパンのエチュードやマズルカが流れています。ショパン大好きのS・Dさんは持参したCDをせっせと聴かせてくれますが、その前には必ず曲の解説があります。「この曲、この演奏、素晴らしい!」が彼の口癖。ショパンの時間は、まるで中学校の音楽教室のような雰囲気です。

●国旗
 今日もあちこちでポーランド国旗を見かけました。上が白、下が赤の横割り2色。いたってシンプルです。白は白鷲を、赤は自由を求めて流した尊い血を表現しています。白と赤は「夕焼け空を背景に鷲が飛んでいる場所に都を築け」との神の啓示に従って、ポーランドの基礎を築いたという故事に因んだもの。
 赤地に白鷲が描かれた軍旗が原型。1919年にデザインを単純化して国旗にしました。軍旗のデザインは現在、国章に使用されています。

●今夜のホテル
 一時、前が見えないほどの集中豪雨。その後に虹が出て眠気を吹き飛ばしてくれました。18:00、シロンスク地方の中心地ヴロツワフに到着。今夜のホテルは、旧市街に建つ「ソフィテル・ヴロツワフ」です。
 旧市街広場のすぐそばに建つ全148の5つ星。541号室は見晴らしは悪いですが、スペースは広く、設備も上々です。何より旧市街広場が近いので、観光に便利なのが嬉しいです。

●旧市街広場
 夕食のため、旧市街広場に出かけました。時計塔が聳える赤煉瓦の旧市庁舎は、ヴロツワフのランドマーク。夕日の中に屹立していました。周辺のオープンカフェも夕方のひとときを憩う市民で大繁盛です。
 市庁舎には様々な装飾が施され、広場を囲む建物もカラフル。明日の観光が楽しみです。

●旧ビール工房
 夕食は旧市庁舎の地下にある旧ビール工房「Spiz」で。人気のレストランのようで、薄暗い店内は観光客や地元の客で埋まっていました。テーブルに筒状の4㍑入り容器を置き、そこからジョッキに注いで飲んでいる男性もいます。
 後ろのテーブルでは1kg近くはありそうな肉の塊にフォークを突き刺し、豪快に頬張る男性も。賑やかな食事になりました。

●ジューレック
 料理は前菜がジューレックというポーランドのお袋の味。ライ麦を発酵させた酸味のあるスープです。メインは魚のフィレと野菜サラダなど。ビール工房というので、大方の人はビールを注文。黒ビールを飲んだ人もいます。私はジュースを所望しましたが「ない」とつれない返事でした。
 席を立つとき、男性が飲んでいた4㍑入りの容器は、すでに空っぽ。親指を突き立てて、にっこり笑っていました。ポーランド人は根性もあるけど、酒もよく飲む!。

●旧市街夕景
 21:00、ピンクの雲が浮かんで、ヴロツワフも徐々に暮れてきました。若者たちが松明を回すパフォーマンスで見物客を沸かせ、市庁舎の時計塔が夕日に染まっています。隣接する塩の広場の花屋さんには明かりが灯りました。
 広場の夕景をしばらく眺めてホテルに戻って早めに就寝。今日の観光テーマである「ポーランドの元祖」も何とかこなすことが出来ました。

●ヴロツワフ
 ヴロツワフはポーランド南西部にあるヴロツワフ県の県都です。オドラ川沿いに拓けた、シロンスク地方の産業、交通の拠点。オドラ川は北へ流れてバルト海に注ぎ、内陸水路でエルベ川、ヴィスワ川と結ばれる流通の大動脈となっています。
 人口は65万人を数え、国内4番目の都市。羊毛や穀物、鉄、非鉄金属、石炭などの取り引きが盛んです。チェコの国境まではわずか100km。

●1000年の歴史
 町の歴史は1000年以上も前に遡ります。オドラ川に100ほどの島があり、その一つのオストルフ・トゥムスキという島にスラブ人が住み着いたのが始まりとされています。
 11世紀に司教座が置かれ、1163年にシロンスク公国が成立して、その首都に。13世紀になると、この一帯に多数のドイツ人が入植し、町はドイツ名でブレスラウと呼ばれました。その後、ハンザ同盟に加盟し、商業の中心地として繁栄しました。

●幾多の支配  
 しかし、ヴロツワフは長い歴史の中で、ボヘミア領やハプスブルク領、プロイセン領など、現在のチェコ、オーストリア、ハンガリー、ドイツの町になったりしました。
 第2次世界大戦でドイツが敗退すると、1945年5月、今度はソ連軍に占領されてポーランド領に。その時ヴロツワフの名が復活しました。第2次大戦では町の70%が破壊される戦禍も体験。終戦後、ドイツ系住民の多くは追放され、代わって東からポーランド人が移住しました。



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