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◎6月17日(水)晴 (7日目)
 ヴロツワフ→クラクフ泊

●今日の予定

 きょうはヴロツワフ市近郊に建つヤヴォルの平和教会を見学した後、600年間にわたってポーランド王国の都だったクラクフへ向かいます。ヤヴォルまで約70km、クラクフまで300km余りのドライブです。
 青空が広がって爽やかな朝。5:40から周辺の散歩に出かけました。日中は駆け足観光が多いので、朝食前の散歩が貴重な時間です。

●早朝散歩
 ホテルの前に赤煉瓦の古色な教会が建ち、尖塔が聳えています。しかし、名前がわからないので後で尋ねることにして、
旧市街広場の周辺を歩きました。人影も少なく、昨夕の賑わいが夢では、と思えるほどの静けさです。
 広場から延びる道を、ぶらぶら歩いていたら木造のアーケードがある小径を見つけました。柵越しに眺めると、アーケードの下に小さな店が並んで、可愛らしい商店街のようです。

●肉屋通り
 出勤してきた管理人のおばさんが、柵の鍵を開け、「どうぞ」と中に入れてくれました。小さな店には、ガラス工芸品などが並んでおり、50mばかりの通りの端っこにブタやヤギ、アヒル、ウサギなど動物のブロンズ像が並んでいました。
 ガラス工房とばかり思っていましたが、かつては肉屋さんが軒を連ねた肉屋通りだったとか。動物の像に納得して、お暇しました。

●カラフル家並み
 赤、黄、緑、ベージュなどカラフルな家並みが続き、目を楽しませてくれます。窓枠にも趣向が凝らしてあり、絵本の国さながらの風景です。この町並みも戦災後に、以前の姿そっくりに復元されたもの。
 中世期の建物が連なる通りに、人間が口を開けたり、エンジェルが寄り添う奇抜な装飾を施した家がひょっこり現れたりします。19世紀から20世紀にかけて流行したユーゲントシュティール様式の建築かも知れません。

●果物が豊富
 広場周辺の散策はひとまず切り上げ、ホテルに戻って朝食。今朝はサクランボ、イチゴ、ブドウ、リンゴなど果物が豊富です。ジャンボなクロワッサンもあり、またまた満足の食事でした。
 食後、また散歩です。広場まで5分もかからないので便利。まず、市庁舎へ向かいました。広場で何かのイベントがあるらしく、回りにロープが張られています。

●旧市庁舎
 
市庁舎は建物ばかりでなく、外壁を飾るレリーフや彫塑も見応えがあると聞いています。庁舎の横手に回ると、赤煉瓦の壁のいたるところに聖人や戦士、女神らしい彫刻が並び、窓枠などにも手の込んだ装飾が施されていました。
 旧市庁舎は1290年から1504年にかけて建設され、現在は歴史博物館として公開されています。

●酔っぱらいと妻
 数ある装飾の中には笑いを誘うものもあります。窓を挟んで向きあう男女の彫刻。男は右手に筒状の容器を、左手にはグラスを持って酩酊状態。女性は頬被りをし、右手にスリッパ、左手は握り拳で、怒ったような表情。
 酔っぱらって帰宅した夫を、厳しくいさめる妻だそうです。基台の下には悪魔然として酒を飲み干したり、犬が噛みつきあっているレリーフが施されていました。 

●市庁舎正面
 装飾の壁を伝うように進んで正面に。中央の三角屋根には棒状の飾り、破風にも弦(つる)のような装飾、さらに1580年に取り付けたというオランダ製の大時計もある、艶やかなゴシック様式です。
 左側の出っ張りの部分は礼拝堂。庁舎の前に建つ塔は1492年に設けられた処刑場。刑務所に収監された囚人が、ここに引き出され、衆人の目に曝されたそうです。昨夕、見上げた時計塔は庁舎の裏側でした。

●聖マリー・マグダレニ教会
 近くに教会がありました。高い場所に渡り廊下が設けられています。まだ時間があるので、足を延ばしました。赤煉瓦の堂々とした建物。壁のプレートには聖マリー・マグダレニ教会と表示されていました。赤と緑色で配色された屋根瓦が美しい教会です。
 渡り廊下は塔と塔の間に設けられ、屋根を跨いでいます。後でアリーツィアさんに聞いたら「ヴロツワフで一番高いところにある橋です」と笑っていました。

●小人の像
 町歩きで楽しいのは、思いがけない発見。ヴロツワフでは通りの片隅などに、ちょこんと置かれた7人の小人(こびと)の像に出会います。グリム童話の白雪姫に登場するグランピーやスリーピー、ドーピーなどです。
 壁に寄り添って居眠りしていたり、両手を広げたご機嫌さんもいます。刑務所跡には鎖で繋がれ、大学では本を広げた小人の像に出会えるそうです。年々数が増え、最近は小人の像を探すのも観光客の楽しみの一つになっています。

●塩の広場
 市庁舎に戻り、道路一つ隔てた塩の広場へも出向きました。ヴロツワフの旧市街は石畳も目を楽しませてくれます。塩の広場は大きな波を想像させる文様。広場を囲む建物もまたカラフル。宮殿のような立派な建物もありました。
 16世紀の塩の売買所は、花屋さんに取って代わられています。ポーランドでは友人宅を訪問したり、誰かを迎えるときなどに花束を贈る習慣があるそうで、あちこちで花屋さんや花束を手にした男女を見かけます。

●観光スタート
 出発の時間が迫ってきたので、ホテルへ引き返しました。2度の散歩でよく歩きましたが、爽やかな気分です。
 9:00、ロビーに集合し、旧市街の観光にスタートしました。今日の観光テーマは「教会比べ」。これから大聖堂やヤヴォル平和教会の見学が予定されているからでしょう。通りにも人が多くなり、お兄さんが広告のチラシを配っていました。 

●聖マリア教会
 まず、ホテル前の教会。アリーツィアさんは「14世紀初めに建造された、ゴシック様式の聖マリア教会」と説明しました。
 先ほどはやや逆光気味だった鐘楼が青空の中にすっきり聳えています。高さは80mほど。屋根瓦は聖マリー・マグダレニ教会と同じ配色。朝日に映えていました。

●太郎と花子
 「この建物、可愛いでしょう」とアリーツィアさん。教会前の小さなアーチ門をはさんで白とピンクの建物が建っています。白い建物は教会の掃除婦らが住んでいたそうで、「白いのは太郎、ピンクは花子」といいました。
  建物は童話の兄妹、ヤシュとマヴゴスィアに例えられていますが、私たちを笑わせようと、太郎と花子に言い換えたのです。 

●再び市庁舎
 広場に出ると、イベントの準備がかなり進み、数人のガードマンが見張りをしていました。市庁舎の時計塔前の地面に描かれたモザイク画や銅像、さらに壁の装飾を見ながら進みます。
 モザイク画のそばに小人の像があり、初めて見かけた女性たちは大騒ぎ。「可愛い、可愛い」と記念写真を撮り合っていました。3体あり、それぞれのポーズはあたかも「見ざる、言わざる。 聞かざる」を表現しているようです。

●ヴロツワフ大学
 聖マリー・マグダレニ教会を遠目に眺め、肉屋通り、オドラ川畔に建つ昔の監視所、さらに刑務所跡などを見てヴロツワフ大学へ。金色の装飾が鮮やかなブルーの門、横の正門上には学問の神などの像や精緻なレリーフ。バロック様式を際立たせた校舎です。 
 大学は1702年に建てられた旧イエズス会神学校が前身。戦災で70%が破壊され、1945年に再建されました。現在は物理・天文、数学・情報科学、法律・行政・経済など10学部に3万人が学んでいます。

●大学礼拝堂
 構内には図書館や美術館、天文台、音楽ホールなどを備えていますが、礼拝堂を見せてもらいました。堂内はゴシック様式らしい賑やかな装飾と、彩色鮮やかな天井画が目を惹きます。大学の礼拝堂とは思えない立派さでした。
 ヴロツワフは教育の町でもあります。他にも工科、医科、経済、環境・生命科学の4大学があり、多くの学生が学んでいます。

●オドラ川
 旧市街の徒歩観光を終え、聖ヤン大聖堂へ向かいました。バスは旧市街の北側を流れるオドラ川を渡りました。オドラ川の水源はズデーテン山地。国内を北西に向けて流れた後、ポーランドとドイツの国境沿いを北上してバルト海に注ぐ全長855km、国内2番目の河川です。 
 ヴロツワフには12の島があり、121の橋で結ばれているので、「ポーランドのヴェネツィア」と呼ばれることもあります。国内の中部から西部にかけて流れるヴァルタ川は、オドラ川最大の支流で全長は約810km。

●聖ヤン大聖堂
 聖ヤン大聖堂はオドラ川の中州、オストルフ・ツムスキ島に建っています。島内には大聖堂をはじめ、聖十字架教会、聖母マリア教会、司教の館などが建ち、教会区といわれる地域です。ヴロツワフ発祥の地といわれ、町の中心が旧市街へ移った後も教会関係のお偉いさんが住み続けています。
 その代表格が聖ヤン大聖堂。13世紀に着工し、完成したのは1590年。ポーランド初といわれるゴシック様式の大聖堂でしたが、破壊と修復を繰り返し、現在の姿になったのは1991年だそうです。

●恋人の橋
 前方に2つの塔が聳えています。1990年代に再建されたということですが、オドラ川を前にして建つ姿は威厳に満ちていました。川沿いにも洗濯をする小人がいて、びっくり。
 聖母マリア教会、パウロ2世の像を横目にしながらツムスキ橋を渡りました。ブルーの吊り橋風で恋人の橋ともいうそうです。

●ステンドグラス
 橋を渡ってすぐ左手に建っているのが、16世紀に創建されたゴシック様式の聖十字架教会です。オストルフ・ツムスキ島のシンボル、聖ヤン大聖堂はその右手奥にあります。
 祭壇には金色の聖母マリアが祀られ、人々の聖母への熱い思いが感じられます。堂内を飾るステンドグラスが鮮やか。入口周辺の装飾も見応えがありました。パウロ2世が1997年に訪問しています。塔の上までエレベーターで上ることが出来るそうです。

●シスター同伴
 大聖堂にも遠足の児童がいました。教会巡りの場合はシスターが同伴して、あれこれと説明しています。同じような光景をこれまでに数度見かけました。カトリック信仰の篤い国ならではの遠足風景です。 
 敷地内には2階建ての司教の館もあり、敷地にモザイク画が描かれています。また、離れた場所に貴族の館の礼拝堂だったという建物がぽつんと残されていました。

●他にも見どころ
 ヴロツワフの観光はすべて終わりました。町には他にもいくつかの見どころがあります。1913年に開催されたガーデニング・アート博覧会の際に造られたという日本庭園があるシチトゥニツキ公園もその一つ。
 また、18世紀のポーランドとロシアの戦争を描いた「ラツワビツェのパノラマ」もお薦めと聞いています。長さが114m、高さが15mもある絵巻物風の大絵画だそうです。

●百年祭記念ホール
 また、2006年に世界文化遺産登録された「百年祭記念会館」もありますが、アリーツィアさんは「建築家なら興味があるかも知れませんが」と、あまり評価していない様子でした。
 解放戦争の中でもっとも激しかった「ライプツィヒの戦い100周年」を記念して1913年に建造。世界最大のコンクリート作りのドーム型建築です。

●山らしい姿
 ヴロツワフもお気に入りの町になりましたが、11:00、ドゥビゼニア(さよなら)してヤヴォルへ向かいました。
 「山が見えたよ」。なだらかな緑の丘陵が横たわっています。ポーランド滞在7日目にして、初めて目にした山らしい姿。珍しくもない風景ですが、広い、広い平野ばかり眺めてきたので、ちょっぴり感激しました。

●初夏の風景
 ますます青空が広がって、日差しが強くなりました。車内のクーラーが稼働。菜の花畑、大型機械の草刈りなどに混じって、ジョギングやローラスケートを楽しむ風景が流れていきます。
 草原で自転車を漕ぐ若者は上半身裸。花々も華やかな競演。沿道は夏を迎えた喜びに満ちています。 

●ブロスとロール
 12:20、ヤヴォルに到着し、町のレストラン「Kolorowa」で昼食。前菜はブロス、メインはポークのロールでした。ブロスは肉や野菜、魚の出汁からとったスープのこと。この日はヌードルが入っていました。地元ではブロスを作り置きし、様々な料理に使うそうです。
 ロール料理もポーランドには多く、代表的なのはロールキャベツのようなゴヴォンブキです。これから何種類かのロールを食べる機会があるそうなので楽しみです。

●ヤヴォル平和教会
 美味しかった昼食の後は、ヤヴォル平和教会の見学。その前にちょっぴりの予習です。30年戦争後の17世紀末、ポーランド西部のロアー・シレジア地方にあるヤヴォル、シフィドニツァ、グウォグフという3つの町に、それぞれ木造教会が建造されました。
  30年戦争とは、1618年の新教(プロテスタント)と旧教(カトリック)の宗教戦争に端を発し、ヨーロッパ各国を巻き込んで1648年まで続いた戦争のこと。戦後、ロアー・シレジア地方はカトリック勢力が支配することになりましたが、3つの町にだけプロテスタント教徒のための教会を建てることが許されました。

●建設の条件
 教会の建設は、30年戦争終結のために結ばれた「ヴェストファーレン講和条約」の約束として許可されたのですが、建造にはいくつかの条件が課されました。
 ①1年以内に建設すること、②石や煉瓦など耐久性のある建材の使用は禁止、③伝統的な様式や塔、鐘などの禁止、④建設場所は城壁の外にする、などという厳しいものでした。

●世界遺産
 カトリック教会のような頑丈な建物を許されなかった福音アウグスブルク派の人々は、「30年戦争の終結と平和の象徴」として、木造教会の建設に立ち上がりました。地元の建築家や大工が智恵と労力を結集。1年後には、ヨーロッパ最大という木造教会を実現させました。
 グウォグフの教会は1758年の火災で焼失し、現存する2つの教会が2001年、「ヤヴォルとシフィドニツァの平和教会」として世界文化遺産に登録されました。

●風雪に耐えて
 2つの教会のうち、私たちはヤヴォルの教会だけを見学しました。教会の近くに「世界遺産 ヤヴォルの教会」の案内板が誇らしげに立っています。
 外観は漆喰の壁に茶色の木材を組んだ質素な造り。創建されてすでに350年以上が経っていますが、風雪に耐えて凛とした姿を留めています。 

●絢爛豪華
 内部は外観とは対照的に、バロック様式の壮麗な装飾であふれる豪華絢爛な造りです。5層の回廊の壁には旧約、新約聖書の物語、家紋やギルドの紋章などを描いた絵画や木彫が200点近くも飾られています。
 金箔を惜しげもなく使った説教壇も見事、格子天井にも目が惹かれます。これだけのものを短期間で仕上げ、しかもすべてが木造と聞かされ、ただただ驚き、敬服するばかりです。

●柱がない
 教会は木材と藁、粘土を使っただけの木骨づくりといわれますが、天井を支える柱が1本もありません。6000人を収容できる大きな空間が、350年間も無事に保たれているのが不思議に思われました。
 壮大さに見とれていたら、「パイプオルガンの演奏が始まりますよ」と添乗員S・Dさんの声。旅行会社が特別に手配してくれたようです。 

●オルガン演奏
 2階からバッハの曲が響き渡りました。教会を揺るがすような音響に引き込まれます。男性奏者の即興曲を含めて5曲が演奏されました。世界遺産の教会で聴くパイプオルガン演奏。思いがけないプレゼントに感謝です。
 感激屋のS・Dさんは興奮を抑えきれない様子。「素晴らしい!」を連発していました。もう一つのシフィドニツァ教会は30km離れた場所に建っています。

●なかった宗教戦争

 国民の90%以上がカトリック教徒といわれるポーランド。30年戦争には巻き込まれましたが、宗教戦争はなかったといわれます。ポーランド統一を成し遂げたミエシュコ1世がキリスト教を受容して以来、プロテスタント、ロシア正教、イスラム教など信仰や宗派の異なる人々が調和し、共存してきたそうです。
 南部には宗教改革者マルチン・ルターの像が現存し、ヨーロッパ最大のユダヤ人社会があったことなどが、共存を裏付けているといいます。

●炭鉱地帯
 14:40、クラクフに向けてスタート。沿道の風景は畑ばかり。広大な農地に見慣れたため、車窓の楽しみが薄れてきました。うたた寝して時間つぶしです。 
 17:30、クラクフまで112kmの表示。直後、炭鉱地帯を通過。道路沿いに石炭の山が出来ていました。地下資源が豊富で、現在は水力、火力発電所が主流とのこと。環境を考慮して原発建設も検討されているという話です。

●最悪の高速道路
 バスはポーランドで最初に出来たという、がたがたの高速道路を走っています。最高時速は50km、60kmに制限され、いつもどこかで補修工事が行われている最悪の幹線道路。工事現場にさしかかると、たちまち渋滞が起きてしまいます。
 車内ではアリーツィアさんが「ソ連時代は何もかも国営。奥さんも国営にするのか、と言われました」と、当時の話題で退屈させまいとしています。自由な市場経済になった1980年以降、多くは民営化されましたが、鉄道は現在も国営。「でも、赤字に苦しんでいます」とのこと。

●ポーランド事情
 アリーツィアさんのポーランド事情は、その後も多岐にわたりました。平均賃金は月額3万4500zlで、保険料や税金を引かれると手取りは60%ほど。消費税は最高が22%。年金は少なく、食べるのがやっとの状態…。ポピーやルピナス、エニシダなどが満開の車窓を眺めながら、熱弁を聞いていました。
 18:20、給油所で休憩。ドライバイーもきっちり15分間の休憩を取りました。運転状況はタコメーターでしっかり管理されているといいます。

●ワシの巣城
 車窓からカジミェシ3世が丘の上に建てた城跡が望めました。当時、城は高いところに建てるのが常識で、「ワシの巣城」と呼ばれたそうです。アリーツィアさんは結婚事情についても触れました。
 ローマ・カトリック信者は教会の神父に婚姻届を提出すること。最近は離婚が増えて30%にもなるが、再婚の場合は教会で結婚式は挙げられない…。興味深い話がぽんぽん飛び出して、つい引き込まれてしまいます。「アリーツィアさん、素晴らしい!」です。

●今夜のホテル  
 19:35、クラクフに到着しました。今夜のホテルは、市の南側に建つ「パークイン・クラクフ」。4月にオープンした4つ星です。3連泊しますが、旧市街やヴァヴェル城とは、ヴィスワ川を隔てた対岸なので観光には不便そう。
 チェックイン手続きに手間取っています。バスタブの部屋を予約していたのに、シャワーのみの部屋も混じっていたとかで、カウンターの若い従業員は対応におろおろ。ロングドライブに疲れた身体で、長時間待たされました。

●4つ星?
 その間に、カウンターそばの粗末なレストランで夕食。ズッキーニーのスープ、サーモンのグリル、パンナコッタでしたが、味はいまいち。「ここ、本当に4つ星なの」の不満も聞かれました。  
 開業したばかりなので、部屋には木の香りが漂い、スペースもまずまずですが、クロゼットがなく、その他の調度品も雑で、ちょっとましなビジネスホテル、といった感じでした。

●クラクフ
 ポーランドの主要観光地らしく、観光客を乗せた気球が浮かんでいました。クラクフはポーランド南部に位置するマウォポルスカ県の県都。
 ヴィスワ川の両岸に拓けた町は、17世紀初めにワルシャワへ遷都するまでポーランド王国の首都でした。第2次世界大戦の戦禍を免れ、中世の面影が色濃く残る旧市街には、数多くの歴史的建造物があります。人口は80万人。南部地域の工業、文化、教育の中心です。もっとも重要な産業は鉄鋼。製鉄所を核としたコンビナートは、東ヨーロッパでも最大級です。

●王国の首都
 町は8世紀に形づくられ、1039年から1611年までは王国の首都として発展しました。その間、13世紀にタタール人(モンゴル人)の襲撃によって打撃を受けたものの、14世紀から16世紀にかけてのピャスト朝、ヤギウォ朝時代に最盛期を迎え、16世紀には現在の3倍もの国土を持つ大国でした。
 クラクフにはヤギェウォ大学や織物取引所、聖マリア教会などが相次いで建設され、ジグムント3世がワルシャワに遷都した後も、ヴァヴェル城の大聖堂で国王の戴冠式や葬儀などが行われました。



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