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◎8月24日(木) モスクワ曇 (1日目)
 (成田空港→モスクワ・シェレメチェヴォU国際空港→モスクワ泊)

●華やいだ空港
 8:00すぎ成田空港へ。集合場所の3階出発ロビーHカウンター付近に行くと、同じ旅行社の別グループが輪になって添乗員の説明を聞いていました。 
 待合室やスーツケースのチェックを受ける列には、夫の任地へ戻る母子、留学生風の若い女性が目立ちます。また、日本の夏を体験したというロシアの子供たちのグループもいて賑やかです。空港には「休みもいよいよお終い」の雰囲気が漂っていました。

●チェックイン
 宅配便のスーツケースを受け取って待合室に行くと、先ほど別グループの世話をしていた営業担当の男性社員が、集合時間を待たずに必要書類を渡してくれました。
 その際、スーツケースの要所、要所にJALのガムテープを貼り付けました。途中で開封されないための用心です。こんなことは初めての体験。
 団体用のMカウンターで個別にチェックイン。搭乗するJL441便はシートの配列が3×3×3のB777-200型機なので、中央席の50D、Eを取ってもらいました。

●参加者は17名
 今回の参加者は17名です。渡された名簿を見ると、夫婦が多く、男性7名、女性10名というのは、それなりに均衡の取れた構成のように思われます。
 旅行会社のホームページでは「満席」になっていましたので、バスの移動で窮屈な思いをするな、と半ばうんざりしていました。キャンセルが出たのでしょうか。いずれにせよ、こちらには好都合です。

●保険に人気
 全員のチェックインが終わるまで待合室で時間つぶし。すぐ前の海外旅行保険の取り扱いコーナーに加入手続きをする人が次々に訪れています。これまで関心が薄かったような若い人も多く見かけます。
 つい最近、イギリスからアメリカへ向かう飛行機が狙われる自爆テロ未遂騒ぎがあったばかり。いやな世の中を反映した現象です。私たちは以前から出かける度に加入しています。

●簡単な検査 
 全員集合して女性添乗員のSさんと対面。諸々の説明を受けた後、手荷物検査、出国手続きなど所定の順序を経て61番ゲートへと進みました。
 自爆テロ未遂騒ぎで手荷物検査が厳しくなったと報じられていましたが、きょうの検査は拍子抜けするほど簡単でした。関空では国内線でもチェックされるドリンクのボトルもフリーパス。これなら常備薬も手持ちにすればよかった…。

●社長の見送り
 搭乗待合室にテレビカメラが入っています。同じ便で自民党の武部幹事長が訪ロすると報道されていましたから、その取材でしょう。ロシアへ帰る子供たちは、日本土産の扇子をパタパタやったり、着せ替え人形に熱中していました。
 11:00、日本航空JL441便(11:15発)に搭乗。日航の社長が見送ってくれました。武部幹事長を見送るためにお出ましになったついでにエコノミー客にまで頭を下げてくれたようです。これはおまけ。

●団体客わんさ
 滑走路が混雑してしばらく待機した後、11:40、快晴の空に飛び立ちました。機内は満席です。いくつもの旅行会社の団体客が、あちこちに塊になって座席を占めています。
 「ロシアって遠い国」と思っていたのですが、これだけのツアー客が向かうのだから案外、身近な国なのかも知れないな、と認識を改めました。

●そわそわ
 モスクワまで9時間あまりのフライト。退屈な時間の始まりです。1年4か月ぶりの海外旅行。ここ数日、遠足前夜の児童のようにそわそわ、どきどきしていました。
「ロシアへなら行けるかも」と思い立ったのは、主治医の海外旅行OKが出た6月末でした。友人たちには内緒で参加申し込みをしました。

●退院記念旅行
 最初は体調を考慮して、他社のクルーズを検討しました。しかし、そのツアーにはぜひ行きたいと思っているスズダリなどの黄金の環が入っていません。
 それで探し当てたのがこのコース。主にバスの移動ですが、見たいと思うところはすべて網羅しています。「退院後最初の海外旅行はこれに決めた」。記念旅行の意味を込めた期待の大きな旅たちです。

●日航機
 国際線でJAL機に乗るのは初めてです。かねてから1度は乗ってみたいと思っていたので、念願が叶ったわけですが、不祥事続きで色あせた「信頼の翼」に一抹の不安は隠せません。
 日本航空は1951年に設立されて以来、常に航空界をリードする役目を果たし、現在では35カ国と地域に路線を有しています。
 2002 年 10 月には JAS と経営統合して、ますます規模を拡大しました。しかし、近年の度重なる不祥事で「信頼の翼 JAL」はすっかり退色してしまい、「大丈夫かいな」とのもやもや気分での搭乗です。

●気がかり
 気がかりはもう1つあります。それは体調です。生死を彷徨う大病を克服して退院したのが2月。半年あまりしか経っていません。体力の回復にある程度の自信があって参加したのですが、やはり不安がつきまといます。
 最も恐れているのは風邪。まだまだか弱い体に風邪は大敵です。夏場とはいえ、ロシアの夜は冷え込むと聞いています。無事に乗り切れることを祈りたい気持ちです。
 出かけることは、ほんの数人にしか伝えていません。万が一のことがあったら「体のことも考えないで無茶するからや」と言われるのがオチですから。

●折り紙おじさん
 機は新潟方面へ高度1万bで北上。12:07、機内のモニターはモスクワまで7295km、到着時間16;00(現地時間)を表示。この後は日本海を抜け、ハバロフスク上空を通過して目的地に向かう航路です。
 隣席の男性は同行のKさん。折り紙を取り出して鶴や蛙を折る下準備を始めました。旅行の度に現地の子にプレゼントしているそうで、今回は500枚を持参したとのこと。

        《以下、マイナス5時間のモスクワ時間で表記》

●11の標準時
 ロシアは広大な国。時差は11の時間帯に分かれています。今回訪れる地域は日本とはマイナス6時間の差。現在はサマータイム中なのでマイナス5時間です。
 8:25、初めての機内食。シーフードと野菜のサラダ2種にカレー風味の魚のフライなど。トレーにはホットプレートがついていて、料理が冷めない工夫がしてありました。これも初めて。さすがは日本の翼。美味しい日本茶はイチオシです。

●ロシア民謡
 あとはぼけーっと過ごす時間。遠足児童のそわそわをまだ引きずっているようで、あれこれと、とりとめのないことが頭に浮かんできます。
 私が学生のころは「ロシア」が大もてでした。歌声喫茶があって、学生たちは夜な夜な出かけて声高らかにロシア民謡を歌ったものです。
 「ヴォルガの舟歌」、「ステンカ・ラジーン」、「ともしび」、「カチューシャ」、「赤いサラファン」など、どれも愛唱歌でした。

●ロシア文学も
 また、ドストエフスキーやゴーゴリ、トルストイ、ツルゲーネフらの文学作品も人気。「ロシア文学をかじらないヤツは学生にあらず」の雰囲気でしたから、「罪と罰」や「カラマーゾフの兄弟」、「死せる魂」、「桜の園」、「アンナ・カレーニナ」などの重苦しい作品を忍耐と根性で読んだものでした。
 カール・マルクスの「資本論」を手に得意顔の学生が多かったのもこの頃の話です。

●単純な動機
 どれもこれもが青春時代のむず痒いような思い出です。しかし、社会人となり、冷戦時代にはいると、ロシアは次第に遠い国になってしまいました。
 今回、ツアーに参加したのは青春時代の感傷に浸って、という格好のいいものではありません。ねぎ坊主屋根のロシア正教教会を見てみたい、修復公開されたエカテリーナ宮殿の琥珀の間を見てみたい、キジー島やスズダリの木造建築を見てみたい…などという、いたって単純な動機からです。

●世界遺産
 今回訪ねるのはモスクワとサンクト・ペテルブルグ、それに中世の面影を残す「黄金の環」、ノブゴロド地方、キジー島などです。
 コースには「モスクワのクレムリンと赤の広場」、「サンクト・ペテルブルグ歴史地区」、「キジー島の木造教会」、「ノブゴロドの歴史的建造物群」、「ウラジーミルとスズダリの歴史的建造物」、「トロイツェ・セルギエフ大修道院」の6つの世界遺産があります。
 しかし、もっとも期待していたキジー島のプレオブラジェンスカヤ聖堂の修復工事が始まったそうなので、22の銀色ドームの優美な姿を見ることができるかどうか…。

●ウラル山脈
 その後は居眠りモードに入り、目が覚めたら雲ばかりのシベリア上空を飛行中でした。あと2000km、4時間ほどの辛抱です。体温を測ったら36.3度。いまのところ快調です。
 13:40、機はウラル山脈に接近しているようですが、雲で何も見えません。添乗員のSさんが入出国届けの用紙を配ってくれました。必要事項はすべてSさんが記入してくれているので、サインをすればよいだけです。

●機内にざわめき
 2回目の機内食はローストビーフ、スモークサーモンなどの軽食でした。2食とも平らげる元気ぶりに隣の妻も少しは安心した様子です。
 到着まで1時間あまり。TVモニターにはアジアの地名に代わってミュンヘン、ニース、ローマ、アテネなどの地名が表示されています。
 機内では各社の添乗員が到着後の説明に回り、「入国手続きに時間がかかるから機内でトイレをすましておくように」などと案内しています。

●信頼の翼
 16:05、静かなランディングでモスクワ・シェレメチェヴォU国際空港に着陸しました。ほぼ定刻。だれ1人、拍手するものはありません。
 「無事に着いて当たり前」。そんな雰囲気でした。日本の翼への信頼はまだまだ根強いものがあるようです。私もその感を強くしました。

●やはり時間が
 入国手続きにはやはり時間がかかりました。狭いフロアに窓口が4つあるだけ。次々に降り立つ乗客で長蛇の列はみるみる膨らんで、大きな獲物を呑み込んだお腹のようです。
 40分かかって17:10、やっと開放されました。スーツケースはすべてポーターが処理してくれたので、フリーパス状態だったようです。

●通貨はルーブル
 ロシアの通貨はルーブル。空港ではドルからでも円からでも両替ができるので、妻はさっそくチェンジしました。手数料などを含めたレートは1ルーブルが5円見当でした。
 到着口では中年女性の現地ガイド、オリガさんが迎えてくれました。ベンツの大型バスでホテル「ウクライナ」へ向かいます。

●女の心
 オリガさんは「折り紙みたいなオリガです」と日本語で自己紹介。ガイド歴25年のベテランと自称し、現地の事情について説明を始めました。モスクワは昨日は雨。今日は曇。秋を迎えて変わり目の早い天候です。「天気は変わりやすく、女の心みたい」と笑わせました。
 また、車優先なので、交通事故には十分気をつけるようにとも。「人が優先の日本とは反対。恥ずかしいけど、これ伝統なのです」と。ややたどたどしいですが、日本語が話せるオリガさんです。

●広い道路
 バスは片側3車線、4車線の広い道路を疾走しています。しかし、町に近づくにつれて交通量が増えて各所で渋滞。かなり年期が入ったおんぼろ車も混じっていて、排気ガスの嫌な臭いが車内にまで忍び込んできます。
 日本車も多く見かけます。三菱の新車7台を乗せた運搬車が通り過ぎました。ロシアでも日本車は憧れの的。ベンツなどのヨーロッパ車よりも価格が高いそうです。

●アパートと公園
 ロシアといえば林立する高層アパート群のイメージがあります。その通りの光景が車窓に流れます。意外に思ったのは、菩提樹の並木の奥に広がる大きな緑の公園。あちこちにあって、人々は夕刻の散策を楽しんでいました。
 町にはいると、ネオンサインの瞬きが目に飛び込んできました。カジノがあります。「すぐお金なくなりますね」。オリガさんは賭け事が嫌いなようです。

●路上駐車
 街に入ると、路上駐車がやたら目につきます。左右を占拠して渋滞に拍車をかけています。車の急激な増加にインフラが追いつかない様子が見て取れる光景です。
 当然のように深刻な社会問題になっているそうですが、いまのところは野放し状態。「まだまだ続きますね」。モスクワ市民はあきらめ顔とか。

●ホテル・ウクライナ
 車窓風景に気を取られ、オリガさんの説明に耳を傾けているうちに18:15、今夜から2泊するホテル「ウクライナ」に到着しました。日本時間はは23:15です。
 ロシアなのにウクライナ?。それはそれとして、さっそくチェックインです。ロビーにはたくさんの観光客がうごめいています。それもそのはず、ウクライナは部屋数1600超という巨大ホテルなのです。

●パスポート
 ロシアのホテルでは宿泊中、パスポートと出国カードを預けなければなりません。外出の際はパスポートのコピーを携帯するようにいわれました。
 出国カードにホテルの印を押し、それを帰国の際に提出する仕組み。あちこち旅行していますが、このような方法は体験がありません。「これは初めて」が多いロシアです。

●29階建て
 ウクライナはモスクワ川右岸に聳える29階建て、高さ172mの4つ星ホテルです。教会の鐘楼を思わせる外観は、遠くからでも望める偉容です。スターリン・ゴシック様式というらしく、1957年に開業しました。天井に大きなフレスコ画が描かれています。
 モスクワには大きなホテルがいくつもあります。その中でも最大なのは「ロシア」。10月革命を記念して建てられた世界有数のマンモスホテル(3つ星)です。21階建てですが、部屋数はなんと5500室もあるとか。

●スーツケース手運び
 割り当てられた部屋は8階の25号。スーツケースをポーターに頼むと時間がかかるというので手運びしました。自分はエレベーター近くの部屋だったので便利でしたが、長い、長い廊下を奥の部屋まで運ぶ不運な人もいます。
 玄関の上にある眺望の良い部屋。スペース、設備ともまずまずです。目の前にモスクワ川が流れ、川向こうにはオリガさんが「ホワイトハウス」と紹介した白亜の高層建物が構えています。

●鼻血にびっくり
 20:00、戸外はまだ明るさが残っています。明日からの観光に備えて身支度していたら鼻血が出てびっくり。元気なようで、疲れがたまったのでしょうか。幸いすぐ止血して事なきを得ました。
 夕食は機内の軽食で終わり。21:00にはベッドに潜りました。日本は日付が代わって25日2:00。

●ロシアという国
 これから足跡を残すロシアについて、ちょっぴり予習を―。
 私たちが普通に使うロシアは通称。正式な国名はロシア連邦です。1991年12月に解体されたソビエト連邦に代わって発足しました。ヨーロッパ東部とアジアにまたがる大きな共和国で、首都は国内最大の都市モスクワです。

●多民族国家
 人口は約 1億5000万人(2005年1月現在)で、そのうちロシア人が80%以上を占めています。残りはタタール人3.8%、ウクライナ人3%、チュバシ人1.2%などの少数民族で構成される多民族国家です。
 公用語はもちろんロシア語ですが、100以上もの言語があるといわれます。宗教も多民族を反映して、最大勢力のロシア正教のほかイスラム教、仏教、ユダヤ教などが混在しています。

●国の生い立ち
 ロシア国家の生い立ちにも触れてみましょう。
 国の起源は9世紀にスカンジナビアのヴァイキング、リューリックがノヴゴロドを拠点に「キエフ・ルーシー(ロシアの呼称)」を創立したのが始まりといわれます。13世紀ごろにはモンゴル(タタール)に支配されました。
 140年も続いたモンゴルの襲来を食い止めたのは、モスクワ大公国のイワン3世。1480年のことです。孫のイワン4世(雷帝)の時代になって勢力をのばし、はじめて皇帝(ツァリー)の座が生まれました。
 しかし、雷帝の死後は国が乱れ、1613年にミハイル・ロマノフが皇帝に戴冠して、ロマノフ朝が成立しました。ロシア帝国の基礎が築かれたのは、1682年に即位したピョートル1世(大帝)の時代です。

●ソ連邦解体
 この帝国は1917年2月に起こった革命で崩壊。その年の10月にレーニンがソビエト政権を樹立し、1922年には周辺の諸国を加えたソビエト連邦(ソ連)が成立しました。
 その後は、よく知られているように「ペレストロイカ(建て直し)」政策が進み、1991年8月の政変をきっかけに巨大な連邦が解体しました。
 そして、特定の民族を基盤とする21の共和国と1つの自治州、10の自治管区、2つの特別市を含む現在の政体に変わったのです。現大統領はウラジーミル・ウラジーミロヴィチ・プーチン氏。

●世界最大の広さ
 ロシア連邦の総面積は1707万5200平方km。世界の陸地の9分の1以上を占める世界最大の広さです。アメリカや中国のほぼ2倍、日本の45倍もあります。
国土の大半は北緯50度よりも北にあり、東西の最長部は1万km、南北は4000kmです。国境線はざっと2万kmに及んでいます。
 大陸性の厳しい気候のため、農業には悪条件が多いのですが、世界に類のない豊かな鉱物資源が国を支えています。


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