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◎8月27日(日)晴 (4日目)
 (スズダリ→ボゴリューボヴォ→ウラジミール→スズダリ泊)

●初めての星空
 「星が出ているよ」との妻の言葉に促され、窓越しに上空を見上げたら、たくさんの星が瞬いていました。ロシアで見た初めての星空。好天が約束されているようで、嬉しさがこみ上げます。
 昨日、スズダリに入って真っ先に感じたのは空気がきれいなことでした。排ガスに覆われたモスクワから逃れたので、ことさら強く感じられたのかも知れません。

●高原の朝
 6:00ごろ、上空がちょっぴりピンクに染まりました。しかし、辺りが白んでくるにつれて、霧に包まれて乳白色に。窓を開けたら冷やっこい風が入ってきました。空気が澄んでいて気持ちがしゃきっとします。
 部屋の前にはナナカマドなどの木が繁って小鳥が飛び交っています。高原の朝のようなムードです。ビルと車のモスクワとはえらい違い。お金持ちがスズダリに憧れる気持ちがわかります。

●霧の中の教会
 7:10、添乗員のSさんがドアをノックして、起床時間を告げてくれました。口癖のように「元気です」と答えてしまいました。部屋にはテレビはありますが、電話がありません。だから、各部屋を回ってモーニングコールしてくれているのです。ありがとう、Sさん。
 直後、ホテル前の小さな丘に上ってみました。霧の中に教会が浮かび、足下には様々な花が咲き乱れています。朝露を踏んでの散歩。寒くはありません。観光には最良の季節です。

●花盛り
 庭のナナカマドも枝がしなるほどたくさんの実をつけていました。リンゴもたわわです。また、玄関前に飾られた花壇がきれい。ダリア、アジサイ、バラ、グラジオラスなどありとあらゆる花々をあちらこちらに咲かせています。
 短い夏を楽しむロシア人は花好きだそうです。とくに男性は愛妻のため、恋人のために花を育てたり、買ったりします。家庭の庭にも必ず花があり、ホテルや公共施設、通りのロータリーなども花盛り。観光客たちも癒されています。

●快晴のスズダリ
 朝食はオムレツ、ハム、チーズ、ヨーグルトなどのセットメニュー。満腹になりました。部屋に戻ると霧が晴れて、明るい日ざしが差し込んでいました。きょう観光するスズダリも今回の目玉の1つ。ずっと晴天であってほしいと願います。
 9:30、ホテルを出たバスは菩提樹の並木を通って10分ほどで、木造建築が並ぶ博物館へ到着しました。すでに何組かの団体が訪れています。バスを降りて目に飛び込んだのは、青空に映えるプレオブラジェンスカヤ聖堂。とたんに舞い上がってしまいました。

●スズダリ
 観光の前にまず予備知識を―。
 黄金の環の中で真っ先に観光するスズダリは、昨日も触れましたがモスクワの北東220km、ウラジーミルの北30kmに位置し、カーメンカ川沿いに栄えた古都です。
 町はなだらかな丘陵と緑豊かな牧草地が広がる田園地帯の中にあります。12世紀半ばにはウラジミール・スズダリ公国が置かれました。
 そのころ、キエフの職人たちの芸術家集団「ウラジミール・スズダリ派」によって、独自様式の聖堂が相次いで建設されました。町のいたるところにねぎ坊主のドームを持つ石灰岩の白い建物が見られます。

●聖堂の町
 スズダリはわずか9平方km。小さな町にかつては50以上の聖堂があったといわれます。いまでも人口1万2000人ほどの小さな町にポクロフスキー修道院をはじめ、スモーレンスク聖堂、スパソプレオブラゼンスキー聖堂など33の教会と5つの修道院が残されています。
 聖堂の多くは富裕層の人たちの寄進によるもの。要所に建つ教会は道しるべの役目を果たしていたといいます。また、町には近郊から移築した木造教会や民家を展示した博物館もあります。

●木造建築博物館
 観光はカーメンカ川沿いにある野外の木造建築博物館から。案内役はエレナさんという若い女性の現地ガイドです。
 博物館には広い敷地に17世紀から19世紀にかけて建造された聖堂や風車、農家などの木造建築物が展示されています。これらの建物は1970年代に各地から移築されたものです。

●聖堂や民家
 中でも注目は18世紀のプレオブラジェンスカヤ聖堂。キジー島の木造聖堂と同じ名前のそっくりさん。聖堂は夏用と冬用の2つがあります。
 また、民家は19世紀の中産階級と富裕階級のもの。建物内には当時の生活用具などがそのまま展示されているので、当時の農民の暮らしぶりを回想できます。博物館がオープンされるのは5月−10月の期間だけ。

●プレオブラジェンスカヤ聖堂
 博物館に足を踏み入れて真っ先に出会うのが、あのプレオブラジェンスカヤ聖堂。5層の木造屋根に乗っかっている木製のねぎ坊主と十字架が銀色に輝いています。
 「これが見たかった」。感無量です。ガイドの説明が耳に入らないくらい我を忘れて見上げました。木製の十字架は横棒が3本のロシア十字でした。

●銀色ドーム
 聖堂は1756年に建造されたロシア木造建築の代表格です。外壁の茶色と銀色が調和して穏やかな表情を見せています。
 残り少ない夏の日ざしをいっぱいに浴びて屹立する聖堂。「美しい」。これ以外の言葉は見つかりません。

●斧だけの遺産
 聖堂はヤマナラシ(山鳴らし)というヤナギ科の落葉高木で造られています。森林の国、ロシアの職人が1本の釘も使わず、斧だけで木を削って仕上げた、匠の技が凝縮された芸術品なのです。
 プレオブラジェンスカヤ聖堂は夏用と冬用の2つの建物からなっています。大きな夏用聖堂にはバルコニーがあり、小さい冬用聖堂は外壁の木組の隙間に布を詰めて風を防いでいます。

●風雪に耐えて
 聖堂をじっくり見上げていたら、いくつもの「?」が浮かんできました。あのドームはどうやって丸くしたのだろう、上部の屋根はどうやって葺いたのだろう、どうしてこのようなデザインになったのだろう、色彩をまったく施していないというのに赤茶と銀色の木肌の美しさは…。といった具合です。
 もちろんガイドも説明できません。現代の建築技法を持ってしても再現が不可能といわれる聖堂。黙して語らず、250年の風雪に耐えて、ますます輝きを増しているのです。

●写真OK 
 裕福な民家と普通の民家の2か所を見ました。金持ちの家は広くて調度品も整っています。荷車や織機、履き物など、当時の農家の生活ぶりが一堂に会していました。窓の上にはきれいな装飾が施されています。窓枠装飾の原型のようにも思われました。
 管理している太いおばさんに「写真は?」と尋ねたら、にっこり笑ってOKしてくれました。ロシア人は知らない人に対してむやみに笑顔を見せません、とオリガさんから聞かされていたので恐る恐るでしたが、ちゃんと笑ってくれました。  

●素朴な楽器
 水車小屋の日陰から音色が流れてきました。男性が手にしているのは民族楽器のグスリーでした。みんなが集まり出しだしたら、傍らの女性(夫人?)が美声を披露。素朴な音色と哀愁を帯びた歌声。 
 快晴なのに、なぜか雰囲気にマッチしていました。拍手の後はやはりCDの売り込みでした。

●クレムリン
 風車や水車などをカメラに収めて、対岸のクレムリンへと向かいました。カメンカ川にかかる細い木橋を渡ったところに土塁が横たわっていました。それがスズダリのクレムリンです。
 ユーリー・ドルゴルーキーの時代の11世紀に造営されたもので、町で最も古い建造物といわれます。
 モスクワのクレムリンのような立派な煉瓦造りではありませんが、その中にはイコン博物館やラジェストヴェンスキー聖堂などの有名な観光スポットがあります。

●ラジェストヴェンスキー聖堂
 木造建築博物館からも望めたラジェストヴェンスキー聖堂は、1225年に建造された聖堂です。青いドームに金の星をあしらった美しい教会で、絵本に出てくるおとぎ話の舞台のようです。
 当初はイコン博物館を見学の予定でしたが、急に改修工事が始まったとかで入場は禁止。クレムリンにある4つの博物館の1つで総主教宮殿の中にあります。

●堂内を見学
 私たちは急遽、ラジェストヴェンスキー聖堂の堂内を見せてもらうことになりました。黄金に彩られた豪華なイコノスタシスや壁画に目を見張りました。異教徒でもうーんと唸るすばらしさです。シャンデリアも見事でした。
 堂内には聖人40人の墓が納められており、サモワールには聖水が入っていました。内部のカメラ撮影は50ルーブル払えばOK。イコン博物館は撮影禁止ですから、こちらの方が良かったかな―。 

●黄金の門
 聖堂にはもう1つ自慢がありました。それは黄金の門。金の彫金装飾が輝く重厚なものです。キリストの磔の場面も鮮明に描かれています。13世紀のものといわれています。
 黄金の門はウラジミールの城壁にあったもの。5つの門のうち最も重要な門だったので保存されているのです。

●ロシアの原風景
 クレムリン内の観光を終えて、少しばかり通りを散歩しました。さすがは教会の町です。いたるところに青、黒、緑などカラフルなねぎ坊主を乗せた教会が現れます。
 みんなが露店の買い物に熱中している間に小さな丘に上ってみました。緑の中に佇む集落。ところどころに聳える鐘楼、そして玉ねぎの教会。絵のような風景です。これぞロシアの原風景と感嘆せずにはおれませんでした。 

●日本人好み?
 観光馬車がのんびりと通り過ぎます。そぞろ歩く観光客が多いのに、なぜか穏やかです。通りの家並みは飾った窓枠の共演です。
 ロシアの魅力は?と問われて、黄金の環の原風景と答える人が多いそうです。モスクワ、サンクト・ペテルブルクなど見どころの豊富な歴史の町があるロシアですが、穏やかなスズダリは日本人好みなのかも知れません。そんなことを考えながら短時間の散歩を楽しみました。

●スパソ・エフフィミエフスキー修道院
 この後、バスでスパソ・エフフィミエフスキー修道院へ向かいました。赤煉瓦の厳つい城塁が辺りを威圧しています。町の北側の防衛役を担っていただけのことはあります。
 城塁は全長1km。1352年に建造が始まり、ワシリー3世やイワン雷帝の時代に現在の姿になりました。城塁には12の塔があります。

●刑務所にも
 城塁の中には3つの教会と修道僧の宿舎があるほか、監禁室や時計塔、農家、水車が展示されています。町内で最も大きな修道院です。
 スターリン時代に刑務所として使われていたそうですが、1960年代に修復されて博物館になっています。

●眼下に修道院
 厳つい城塁に沿って土産物の露店が並び、呼び込み合戦が行われていました。手芸品、木工品など何処の店にもあるような代物ばかり。素通りして展望台に出ました。
 眼下には白い塀に囲まれて、黄金のドームを輝かせるポクロフスキー修道院がありました。今夜の夕食はここで摂ることが決まっています。

●農家で昼食
 城塁の中へは入らず、近くの教会を撮ってから昼食の会場へ向かいました。ニコライさんという農家です。ナイスミドルの夫婦だけで切り盛りしている民宿風。家庭菜園で無農薬栽培された野菜を調理してくれるそうで、最近は日本人ツアー客に人気ということでした。
 メニューはキュウリのピクルス、サラダ、子牛のステーキなど。庭の木から採取したというカラントジャムを添えた紅茶も。ロシア人は紅茶の中にジャムを入れて飲む習慣があるらしい、というので数人が真似をしていました。 

●ジャムパン
 ピロシキも出ましたが、やはり日本でいうジャムパンでした。きょうはリンゴジャム。日本の揚げパンとは似ても似つかぬピロシキ。
 つい、「何でも包めばピロシキなんだ、フロシキみたいなもんだね」と口をついてしまいました。意外なことにこれは大受け。あちこちから拍手がわいて赤面しました。

●揚げパン
 「ロシアのピロシキはこれです。揚げたのなんて誰も食べません」というオリガさん。日本では具を詰めた揚げパンが常識。いつからそう決まったのでしょうか。
 広大なロシアのこと。地方によっては揚げパンもあるだろう、ということでその場の疑問をおさめました。

●黄金の門
 14:30、昨日通り過ぎたウラジミールへ向かいました。まず、町の入口にある黄金の門で写真ストップ。きょう2つ目の黄金の門は、天辺に金色のドームを輝かせる教会のような建物。これが門?と首をかしげました。
 12世紀に建造されて凱旋門として使われました。オリガさんの説明を聞いているうちに、それらしく見えるようになりました。黄金のドアがあったので、ありがたい名がついたそうです。

●旧市役所
 名だたる名将が戦場に赴いたり、帰還する現場を目撃してきた歴史の証人だそうです。両側の道路はエカテリーナの馬車が通るために設けられたそうです。
 門の近くにはクレムリンの小高い土塁やレーニン像、19世に建てられた旧市役所などが残っていました。現在は観光スポットとして存在感を示しています。

●ウラジミール
 ウラジミールはかつて、ロシアを支配した大公国。現在は人口35万人の大都市です。キエフのウラジミール・モノマフ公が遊牧民の侵入を防ぐため、1108年にボルガ川の支流であるクリヤジマ川の北側に木造の要塞を築いたのが町の始まりといわれます。
 その後、国づくりが積極的に進められ、1157年にウラジミール・スズダリ公国の首都になって繁栄しました。
 町には12世紀から18世紀にかけての建造物が残っており、主な見どころはメイン通りのボリシャヤ・モスコフスカヤ通り沿いに集中しています。

●芸術家集団
 ウスペンスキー大聖堂に代表される建造物は、ウラジミール・スズダリ派と呼ばれる芸術集団によってもたらされました。
 ビザンチンの伝統を受け継ぎながらロシア独特の特徴を持った建物が相次いで生まれ、教会内部のイコンや壁画の制作にも大きな影響を与えたということです。

●ウスペンスキー大聖堂
 黄金の門から目を転じたら、のっぽの鐘楼と黄金ドームの教会が目に入りました。これがウラジミールのシンボル、ウスペンスキー大聖堂です。聖堂は1160年、クリヤジマ川の北岸に建てられました。
 近づくにつれて、規模の大きさがわかってきました。白い石灰岩を切りそろえて積み上げたという建物が長く延びて、5つのドーム屋根が金色に輝いています。

●3兄弟の長兄
 聖堂は1昨日観光したモスクワ・クレムリンのウスペンスキー大聖堂の兄貴分です。モスクワの聖堂は目の前に建つ白亜の聖堂をモデルにして、イタリアの建築家が15世紀に完成させたものです。
 モスクワの聖堂をモデルに、今度はセルギエフ・パッサートのウスペンスキー聖堂が16世紀に誕生しました。これは後日観光の予定です。ウラジミールの聖堂は3兄弟の長兄といえます。

●フレスコ画の洪水
 聖堂はかつて、ロシア正教総本山でした。それもあってでしょうか、ヨーロッパ各地からの見学客がたくさん訪れていました。入口付近に曰くのありそうな立派な十字架が飾ってありましたが、ガイドからとくに説明はありません。
 堂内に入りました。ここもまたアンドレイ・ルボリョフらのフレスコ画の洪水でした。天井や壁のいたるところが12世の最後の審判、天国の梯子などの絵で埋め尽くされています。
 また、聖ギオルギーやアレクサンドル・ネフスキーらロシア諸侯の棺が納められていました。堂内の写真撮影は禁止です。15:00、時を告げる鐘が厳かに響きました。

●聖ドミトリエフスキー寺院
 鐘の音を聞きながら近くに建つ聖ドミトリエフスキー寺院へ。ベージュの外観に金のドームを乗せています。
 1197年の寺院は外壁の東西南北4面の上部に精巧な浮き彫りがびっしり施されています。近くに寄って凝視すると、動植物やダビデ王、アレキサンダー大王、ウラジミル公・フセヴォルドなどが克明に描かれていました。

●想像のライオン
 微笑ましい浮き彫りもあります。それはライオンの図。こりゃネコじゃ、と声を上げそうな、何とも可愛いライオンです。ライオンを見たことがない職人が想像で描いたから、という話でした。 
 聖ドミトリエフスキー寺院とウスペンスキー聖堂との中間に、国立ウラジミール・スーズダリ歴史建築博物館の旧市役所が建っていました。

●海?、森林?
 寺院はちょっとした高台にあり、奥へ足をのばすと展望が開けます。あふれんばかりの緑の中に住宅や教会、工場などが望めます。シベリア鉄道の駅もありました。右へ行くとモスクワ、左へ進めばシベリアです。
 はるか彼方に青っぽい帯が。海?。まさか。ここはバルト海にも、黒海にも遠い内陸地。そんなことあるはずがありません。それは深い、深い森林でした。

●多くの動物
 広大な森林にはクマ、イノシシ、キツネ、オオカミなど、たくさんの動物が生息しています。樹木はマツ、カシ、ポプラ、菩提樹、クルミ、白樺などです。これはすべてオリガさんの受け売り。
 この地方は寒暖の差が激しく、今夏はプラス35度にもなり、冬はマイナス35度も珍しくないといいます。きょうは何度か知りませんが、けっこう暑いです。観光疲れもあって、足取りが重くなります。

●ボゴリューボヴォ修道院
 きょうも盛りだくさんな日程。観光はまだ続きます。バスで向かったのはボゴリューボヴォにあるポクロフ・ナ・ネルリ教会です。
 親切の村を意味するドーブライ村を通過し、バスが停車したのは青い玉ねぎドームが可愛らしいボゴリューボヴォ修道院の近くでした。林間に佇む修道院は絵のような風景。逆光のためシルエットでしか見られなかったのは残念です。 

●教会は4km先
 目ざすポクロフ・ナ・ネルリ教会はそこからシベリア鉄道の線路を渡り、だだっ広い草原のかなり先にあります。林を背にちょこんと見える黒いドームの教会がそうです。
 線路を渡って間もなく、オリガさんは教会までは4kmあり、片道40分もかかるので、ここから眺めましょう、と提案しました。内部の公開もされていないといいます。しかし、元気が残っている人たちは、ここまで来たのだからと提案を無視して歩き出しました。

●途中で断念
 どう見ても4kmはありません。多くの人が行き交っています。「この程度の距離なら」と自分もついて行きました。草原には色とりどりの花が咲いています。気を取られているうちに、一行から後れを取ってしまいました。
 望遠でなら十分に引きつけられる距離まで進んだので、そこで写真を撮って引き返しました。くたびれてもいたし、公開されていないと聞いて興味が半減したのです。

●ポクロフ・ナ・ネルリ教会
 ポクロフ・ナ・ネルリ教会はネルリ河畔に建っています。12世紀の建造で、主聖堂は黒いタマネギ型ドーム。その上にはロシア十字が輝いています。
 近くで眺めると、水面に陰を映しているそうです。その優美な姿は「ロシア建築の白鳥」と称えられてます。雪解けの頃は近くの川の水が流れ込んで、一面が水浸しになってしまうとか。

●小さな駅
 裸や裸足で戻ってくる男女もいます。まだまだ夏の気候です。ガイド2人は先ほどの場所で待っていました。草原では牛が5頭、気ままに草をはんでいます。シベリア鉄道の貨物列車がことことと通過して行きました。60両はあるという長い列車でした。
 小さなボゴリューボヴォ駅の近くを渡って、バスが待っている場所へ戻りました。太陽が移動して、ゴリューボヴォ修道院がややはっきり姿を見せてくれています。

●牛と修道院
 みんなを待つ間、周辺をうろつきました。ニワトリに囲まれながらジャガイモ掘りをしているおばあさん、ぬかるんだ道路を補修しているおじさんなどを眺めていたら、飼い主に導かれた牛の1団がやって来ました。
 30頭ばかり。どすんどすんと地響きをさせながら通り過ぎました。背景にはゴリューボヴォ修道院。思いがけない光景に遭遇して「やった」の気分です。

●ボゴリューボヴォ
 教会へ出かけた先陣が40分ほどで戻りました。内部も公開されていたそうです。きょうの観光はひとまず終了。バスに揺られて夕食会場のポクロフスキー修道院へ向かいました。
 ところで、ボゴリューボヴォのことですが、この地方一帯を治めていたユーリー・ドルゴルーキーの子息アンドレイが居を構えたところとして知られています。彼は1157年の即位後、ロストフにあった首都をウラジーミルへと移し、自分はここに移り住みました。
 公国の発展に尽力しましたが、貴族たちとの確執がもとで1174年に暗殺されました。暗殺された建物はボゴリューボヴォ修道院。いまは信仰の対象となっています。

●ポクロフスキー修道院
 いったん、ホテルに戻って小休憩した後、近くのポクロフスキー修道院へ向かいました。19:15。日本ならとっくに暗くなっている時間ですが、まだ明るさが残っています。
 1364年建造の由緒ある修道院です。丸屋根を持つ3つの教会は16世紀に造られました。ワシリー3世の最初の王妃ソロモン、イワン雷帝(4世)の5番目の妃、ピョートル大帝の妃が修道生活を送ったといわれます。現在、80名の修道女が暮らしているそうです。
 内部のイコンは比較的新しく、創建当時のイコンは美術館に収蔵されています。

●ペンションも
 敷地の中にコテージ風の建物が点在し、ぽつりぽつりと明かりが灯っていました。観光客用のペンションです。レストランも営業してなかなかの商売上手。
 夕食のメニューはチキンのヌードルスープ、壺焼き(シチュー)、アイスクリームなどでした。味付けはやや塩辛く、シチューを残してしまう人もいました。

●大満足
 きょうもホテルへ戻ったのは遅くなりました。大半の人は歩いて戻り、バスに乗ったのは私ら4人だけ。みなさん元気です。昨夜泊まっていた日本人グループは引き上げたよう。他の宿泊客も少なくて、ひっそり感が漂っています。
 歩きました。ばてました。でも、みんなについていけました。好天下でスズダリ観光ができたことに大満足してベッドに横たわりました。


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