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◎8月30日(水)曇・雨 (7日目)
 (サンクト・ペテルブルグ→ペトロザヴォーツク泊)

●水不足に
 ベッドに潜ったのは0:10。疲れていたのでシャワーも浴びずにバタンキューでした。疲れは残っていますが、ペトロザヴォーツクまで約435kmの長時間移動なので、バスの車内で体を休めそうです。
 旅行中は飲料水はもちろん、歯磨きにもミネラルウオーターを使っています。こちらへ来て水不足になりました。モスクワのホテルでは部屋にサービスのボトルがあったり、レストランでも各自1本ついていましたが、スズダリやサンクト・ペテルブルグではそれがありません。

●水のワゴン販売
 朝食はいくつもあるレストランの1つ「プリバルチスカヤ」で。バイキング形式なので助かります。コーヒーやジュースはあるのに、薬を飲もうと思っても水がありません。
 食事中に水のボトルを並べたワゴンが回ってきました。親切に、と思ったら売り物でした。部屋にサービスがないのも当たり前です。こんな形の水の販売というのは初めて見ました。

●車窓観光
 930、エルミタージュ美術館へスタート。快晴。気温はプラス16度です。美術館までは車窓観光の時間。きのう見たサンクト・ペテルブルグ大学、旧海軍省のアーチ状の門などが映ります。
 大ネヴァ川に架かる橋からはイサク聖堂が見え、バスが進路を変える度に美術館の建物が姿を変えて現れました。

●宮殿広場
 開館前の到着を目ざして急いだのに、駐車場はすでに満杯状態。大型バスがぎゅうぎゅう詰めに駐車していました。ドイツのバスもあります。開館まで美術館前の宮殿広場でフリータイム。
 広場を挟んで向かい側には黄色い旧参謀本部が建っています。19世紀初めに建築家カルロ・ロッシが設計しました。高く聳えるのはアレクサンドルの記念柱。イサク聖堂も近くでした。

●エルミタージュ美術館
 10:30、開館と同時に入館しました。あとはユーリーさんについて見学するだけです。エルミタージュ美術館はネヴァ川沿いに冬の宮殿と小エルミタージュ、新エルミタージュ、旧エルミタージュ、エルミタージュ劇場の順に5つの建物で構成されています。
 5つの建物は廊下で結ばれており、展示室は1500を超え、その総面積は4万6000平方m。すべてを回れば、ざっと22kmになるという壮大なものです。

●世界3大美術館
 建設が始まったのは1754年。ロマノフ王朝の歴代皇帝が住む宮殿「冬宮」としてスタートしました。1762年に即位したエカテリーナ2世が増改築を重ね、1852年までに現在の姿になったのです。 
 現在ではパリのルーブル美術館、ニューヨークのメトロポリタン美術館とともに世界3大美術館と称えられ、ロンドン大英博物館を含めて4大に数える人もいます。

●収蔵品
 見学の前にコレクションについて、そのさわりを―。収蔵品は300万点以上で世界屈指といわれます。主なものとしてはゴッホ「アルルの女たち」、ラファエルロ「聖家族」、ルノワール「女優ジャンヌ・サマリー」、ゴーガン「果物を持つ女」、ピカソ「扇を持つ女」、ルソー「ジャングル、虎と野牛の戦い」、モネ「庭の女」、マティス「ダンス」、ドガ「髪をすく女」など。挙げるときりがありません。
 これらのコレクションはピョートル大帝の娘、エリザヴェーター女帝によって始められ、女帝エカテリーナ2世の時代に財力にものをいわせて買いあさり、一気に収集量を増やしました。美術館の増築はそれらの収蔵品を展示するためだったのです。

●冬の宮殿
 見学は1762年に完成した冬の宮殿(冬宮)から始まりました。宮殿は1837年に火災で焼失し、スピード復興を成し遂げました。うす緑色を基調にした外観、バロック様式の凝った装飾に圧倒されます。1917年のロシア革命まで歴代皇帝が冬の間、住まいとして使っていました。
 この時間帯はまだ入場者も少ないようです。ユーリーさんが近道だ、という通路を通って「紋章の間」へ。

●王座の間
 紋章の間を飾る黄金の列柱に驚いていたら、紋章の入ったシャンデリアが有名だといわれました。広いフロアはダンスホールにも使われたそうです。待合室には300枚の肖像画があり、アレクサンドル1世の大きな肖像画が目を惹きました。
 王座の間も広いフロア。中央に黄金の玉座が鎮座していました。8月初旬にも来たことがある添乗員は、その時は観光客が多くて玉座は人垣の頭越しに見たそうです。

●数多くの部屋
 冬の宮殿には数多くの部屋があります。ユーリーさんが「全部回れば2年半から3年はかかります。それを私たちは1時間半で回ります」という特急の観光中。各部屋を素通り状態で見学しています。
 他にも壁全体に金箔を貼った「黄金の間」、調度品に高価な孔雀石をふんだんに使った「孔雀石の間」、18世紀にロンドンでつくられた銀の玉座がある「ピョートル大帝の間」、ナポレオンを撃退した英雄332人の肖像を飾る「1812年のギャラリー」、国の守護神が彫られている「聖ゲオルギウスの間」などがあります。

●小エルミタージュ
 冬の宮殿の東隣に1775年、完成した小エルミタージュへやって来ました。ここは当初、エカテリーナ2世が気心の知れた客とラファエルロやレンブラントの絵画を楽しむ私的なサロンでした。愛人の1人、グリゴリー・オルローフ伯が住んだのもここの一隅です。
 廊下のような細長い広間は現在、美術ギャラリーになっています。エルミタージュ美術館発祥の建物といわれるところです。北側にはパビリオンの間、ギャラリーの2階には温室と庭園の空中庭園があります。

●パビリオンの間
 パビリオンの間は冬の宮殿から小エルミタージュへの入口にある広間。宮殿や貴族の邸宅を数多く手がけた建築家が1858年に建てました。
 豪華なシャンデリアに飾られた部屋には、再現した古代ローマ遺跡のモザイク画、からくり仕掛けの孔雀時計がありました。黄金の時計はポチョムキン公からエカテリーナ2世にプレゼントされたものです。毎週水曜日の午後5時にだけ時刻を告げます。
 ちなみに、ポチョムキン公はエカテリーナ2世の寵愛を受けた1人。彼女の命令で拓いたオデッサ、ヘルソン、セバストゥーポリの港町は、現在も重要な位置を占めています

●旧エルミタージュ
 あっという間に旧エルミタージュです。ここはエカテリーナ2世が収集した大量の美術品を収納、保管する場所として1787年に増築されました。 
 まず、レオナルド・ダ・ビンチの絵画をまとめた「レオナルドの間」でリッタの聖母、花を持つ聖母子、ベノアの聖母などをました。ベノアの聖母の額が広いのは、描かれた当時の美人の特徴だそうです。

●名作を間近で
 バチカン宮殿の回廊を模して造られたという「ラファエロの回廊」は、壁や天井がラファエロ絵画の模写で覆われていました。
 さらにミケランジェロの「うずくまった少年」、ムリリョの「犬と遊ぶ少年」、エルグレコの「聖ピョートルと聖パウロ」、レンブラントの「放蕩息子の帰還」などの名作を間近で観賞しました。

●ぐっと身近に
 その後もピカソ、マティス、モネ、ゴーギャン、ゴッホ、ルノアールなどの作品を駆け足鑑賞しました。日本の美術館では厳かに展示される名だたる名作が、大らかに並んでいます。
 これほどの名作の数々を一気に観賞するのは、長い人生でも初めてのこと。偉大な画家たちにぐんと親しくなったような気がしました。

●調度品も 
 絵画ばかりではありません。展示室の調度品にも目を惹かれます。豪華なシャンデリア、トルコ石の大きな壺、テーブル、蝋燭立てなどが部屋を飾っています。
 また、天井や床の装飾も素晴らしく見惚れてしまいます。「じっくり見たい」。思いは募るばかりですが、時間がありません。追い立てられるように名作鑑賞は終わりました。

●新エルミタージュ
 残った新エルミタージュとエルミタージュ劇場はパスです。新エルミタージュは1864年、旧エルミタージュの南隣に増設されました。建物はルネサンスやバロックの折衷様式で、玄関は花崗岩のアトラス像が支えています。
 収集した美術品を一般に公開するため、ドイツ人建築家の設計で建設され、1863年に美術館としてオープンしました。大エルミタージュとも呼ばれます。

●エルミタージュ劇場
 エルミタージュ劇場は1786年に旧エルミタージュの東側に増設されました。この場所はピョートル大帝がサンクト・ペテルブルクに初めて建てた宮殿跡です。
 扇状に客席が配置された宮廷人専用の劇場ですが、現在は一般旅行者も観劇できるようになっています。

●大使の階段
 もう1つ期待しながら見られなかったのが、冬の宮殿にある大使の階段です。美術館全体では120もの階段があって、大使の階段はその代表格。
 大理石の階段の壁に権力や正義をイメージした像が並び、ロマノフ朝の時代には招待された各国の大使は必ず赤いカーペットを敷き詰めた階段を上って皇帝に謁見したそうです。

●歴史の舞台
 大使の階段は歴史の転換期にも重要な舞台となりました。1917年の起こったロシア革命では、ボリシェヴィキが率いる革命軍がここから突入して、臨時政府の閣僚たちを逮捕しました。これを機に冬の宮殿は政府機関としての役割を終えたのです。突入の場面は映画にもなりました。

●慌ただしい時間
 美術館を観賞した後で400km以上の移動という日程には無理があるようです。とにかく慌ただしい1時間30分でした。12:00、戸外に出たら青空が広がっていました。宮殿広場も大変な人です。
 私たちは午後からの移動に備えて腹ごしらえ。昼食は美術館の向かいにあるエカテリーナ2世ゆかりの建物のレストラン「ペプチェスキー モスト」で。近くに日本領事館がありました。

●ペリメニ
 メニューはサラダ、マッシュルームのスープ、それにロシア風水餃子のペリメニ、コケモモのアイスクリームでした。
 ペリメニは肉や野菜、魚、キノコなどの具を小麦粉を練ってつくった薄い皮で包み、ゆでたものです。もともとは家庭料理なので、具はそのときどきで適当に、です。この日のは肉やキノコが入っていました。つるりとした食感は日本で食べる水餃子と同じです。
  ペリメニにはウラル風、シベリア風 などのほか壺入りもあるそうです。具によって違うのでしょうか。

●435kmのドライブ
 13:10、いよいよ435kmのロングドライブの開始です。キジー島観光の拠点、ペトロザヴォーツクまでは7時間の予定。曇天になってきました。
 出発直後、狭い通りの真ん中を観光馬車がとことこ。抜けに抜けないバスはしばらく、その後をのろのろ。ユーリーさんもいらついている様子です。

●跳ね橋も
 なんとか脱出できて車窓には、ネヴァ川に停泊している巡洋艦オーロラ号(博物館)や帆船、大きな跳ね橋、公園の奥に佇む松ヤニの教会こと、スモーリヌイ修道院などが望めます。モスクワまで10日間かけてゆったり航行するという大きなクルーズ船も停泊していました。
 郊外に出ると工業地帯に。煙を吐く工場、蒸気を噴き上げている工場。トラクターなどを生産しているそうです。鉄道専用の跳ね橋を長い貨物列車が通過していきました。

●寒々した風景   
 14:30、うたた寝している間にバスは深い森の中を快調に走っていました。白樺などの木々、ときどきすれ違う車以外に何もありません。舗装が悪いのか、車体がぽんぽん弾みます。いまにも泣き出しそうな空、木々を揺らす風…。寒々とした風景です。
 森が切れると、広大な農地や牧草地、手つかずの荒れ地が現れます。その奥には果てしなく広がる樹海。この沿道にも交通事故の死者を弔う花飾りが点々と見られ、立木に激突して横転したトラックや乗用車同士の衝突現場などを目撃します。

●静寂の時間
 北進する車窓には秋の気配が色濃く映っています。左右に揺れる白樺やポプラは黄葉が目立ち、ときどき現れるナナカマドは赤く染まっています。 
 森林と平野が交互に登場する単調な風景に、車内はうたた寝モードに入ったようです。思い出したようにライトをつけた車に出会うと人恋しさを感じるような、静寂の時間が続きます。とうとう小雨が落ちてきました。

●秋が成長
 15:00、キッシェリナ村で休憩。久々の集落です。妻は2gサイズの水を買いました。ここは格安で25ルーブル。青いキャップがガスなしです。暖かいカプチーノでひと息入れて、さあ出発。
 道半ば。目的地はまだまだ先です。北上するにつれて小さかった秋が、だんだん成長してきました。ときどき野面を彩っていた黄色や白の"忘れ名草"たちも姿を消しました。

●廃墟の教会
 添乗員のSさんが眠気覚ましに、キャンディーやおかきを配ってくれました。川岸にナチス・ドイツの空爆を受けた廃墟の教会が哀れを留めています。
 牛が2頭、広い枯れ野で食事中。人気も見あたらない草原。どこから連れてこられたのでしょう。退屈な時間。考えることも稚拙です。突然、アパート群が出現してびっくり。しかし、あっという間に通り過ぎて元の森林地帯に。

●小さい集落
 道路を拡幅する工事が行われ、周辺の白樺などがなぎ倒されています。これらの樹木は道路を護る防雪林でもあります。ピョートル1世の時代に植林されたものもあるそうです。
 いくつかの小さな集落を通過しました。10戸、20戸が寄り添うように固まっています。集落の名は近くを流れる川と同じです。家々はやはりカラフル。廃屋も目立ちます。厳寒にたまりかねて転居したのでしょうか。

●オネガ湖近くに
 沿道は松の木が増えてきて様相が変わりました。オネガ湖から流れ出しているという川を渡りました。オネガ湖と聞いてほっと。目的地はオネガ湖畔の町、少しは近くなったようです。サンクト・ペテルブルクからのクルーズ船も小さく見えました。
 17:40、小さな集落にある小さなホテルで休憩。ブルゾンを着ていても冷風が差し込んできます。民家の庭にも花らしいものは見かけません。

●カレリア共和国に
 「あと1時間あまり」。18:10、ユーリーさんに励まされて出発です。民家の煙突から煙が立ち上り、庭先には薪が山積みされています。もう冬、の雰囲気です。 
 直後、ペトロザヴォーツクがあるカレリア共和国に入りました。検問所はありますが、フリーパスでした。かつてはパスポートが必要で、検問も厳しかったそうです。とたんに道路が良くなりました。

●やっと市内に
 「ようこそ」のゲートを潜ったら、一行のバス専用のようだった道路に車が増え出しました。前方が見えないほどの強い雨になりました。20:25、やっとペトロザヴォーツクの町に。
 メインのレーニン通りにバスやトロリーバスを待つ男女をたくさん見かけます。21:00ごろまでつとめているサラリーマンだそうです。

●1930年代のホテル
 雨の中にフィンランドの民族劇場や戦勝記念碑などが浮かんでいます。町中のホテルで夕食をすませ、今夜のホテル「セヴェルナヤ」にチェックインしました。21:45。よく走りました。
 ホテルは町の紋章もある宮殿のような立派な外観。しかし、広くて長い廊下を伝ってたどり着いた部屋は狭くて、水回りもイマイチでした。1930年代に建てらたそうです。茶色の水に辟易してシャワーは見送って、ベッドに入りました。

●ペトロザヴォーツク
 ペトロザヴォーツクは森と湖のカレリア共和国の首都です。ピョートル大帝が1703年、オネガ湖畔に造船所を造ったのが町の始まりです。1777年に「ピョートルの工場」という意味のペトロザヴォーツクと命名されました。カレリア共和国はロシア国内に21ある共和国の一つです。
 フィンランドと国境を接する町。北欧の雰囲気が漂い、商店の看板もロシア語のキリル文字、フィンランド語が見られます。
  町のメイン通りはロソシンカ川に沿ったカール・マルクス大通り、駅からオネガ湖畔に出るレーニン大通りの2本。市民が散策するオネガ湖畔通りもあります。


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