ページ: TOP 10 11 12

赤地をクリックすると関連のページが開きます)

◎8月31日(木)曇・雨 (8日目)
 (ペトロザヴォーツク→キジー島→ペトロザヴォーツク泊)

●悲しき雨音
 夜中、トタン屋根をばしゃばしゃ叩きつける無情な雨音に何度か目を覚まされました。5:30、起床しても悲しき雨音は続いています。きょうは期待のキジー島観光。「ひとときでも上がってほしい」と願うばかりです。
 7:00、添乗員がドアをノックして起床の合図。いつもの「元気です」の応答も湿りがちでした。部屋にテレビはありますが、電話はありません。電源プラグはふた股のC。これは何処でも同じです。

●荒天で出航遅れ
 8:00、パンとハム、チーズ、クレープなどのセットメニュー。「ひどい天気ね」。みんなの表情も冴えません。
 30分後、キジー島への連絡船乗り場へ向かいました。ユーリーさんが携帯電話で連絡を取ったところ、荒天のため出航は30分遅れの10:00になるとのこと。午後に予定していた市内観光を先にすますことになりました。

●古式の大砲
 市内観光といっても見るべきところはそんなにありません。レーニン通りを走って、車窓からレーニン広場前に灯る戦勝記念の「永遠の火」や立派な鉄道駅を眺めました。
 その後、キーロフ広場にバスを止めて市民公園へ。目の前はサケ川と呼ばれるロソシンカ川。公園には古式の大砲が。1774年に製造されたもので、かつての宿敵トルコに向けて据えられていました。

●ピョートル大帝像
 足をのばした近くの広場には、19世紀に建立されたピョートル大帝の大きな立像がありました。「1672年に生まれたピョートル1世は1703年にペトロザヴォーツクをつくった」と記されています。
 大帝が突き出した右手は「この地に工場を建設する」との意思を示し、左手には設計図を持っています。

●白樺の林
 ここは森と湖のカレリア共和国。町の中に緑あふれる公園がいくつもあります。嬉しいことに雨が上がって、ところどころに青空も。
 雨上がりの白樺林は訪れる人もなく、静まりかえっています。散策にもってこいです。オネガ湖畔に出てみたら、荒い波が押し寄せていました。

●船影見えず
 ざっと市内をひと回りして920、連絡船の桟橋に。水中翼船が数隻停泊していますが、自分たちが乗る船ではありません。キジー島から来るそうですが船影は見られず、白波だけが押し寄せています。
 船会社の係員も船長との連絡が取れないといっています。就航を諦めて船を離れたのかも知れないと、情けないことを言い出しました。ユーリーさんも「もうだめかも知れない」と弱音を吐く始末。

●桟橋に絶叫
 荒天のために出航できないこともあると聞いて、ますます不安になってきました。「せっかくここまで来たのに」。だれの思いも同じです。バスに戻って待機の指示が出ました。みんながきびすを返して歩き始めたときでした。「船が見える」の絶叫が聞こえました。
 桟橋では他の外国人観光客も待っています。白波の彼方を凝視する一行。水中翼船の船影がだんだん大きくなって「あの船に間違いない」との確信が広がりました。

●案ずるより…
 10:10、連絡船はあたふたと出航しました。キジー島までは60km、1時間ほどの船旅。心配は船酔いです。船の中ほどが揺れないというので、そこを陣取りました。定員134人に乗客は半分ほど。
 心配したほどは揺れません。小さな島々が通り過ぎます。湖畔には木造家屋が。こんなところにも営みがあります。

●オネガ湖
 オネガ湖はロシア北西部、サンクト・ペテルブルグの北東約435kmにある淡水湖です。面積は 9894 平方kmあってヨーロッパで2番目に大きな湖。水深は120mです。
 冬はマイナス35度にもなって、湖面全体に1m以上の氷が張るそうです。昔は馬そりが交通手段でした。氷上の60kmを徒歩で渡る競技もあったそうです。現在はヘリコプターが頼り。
 湖畔の住民はロシア人が大半です。カレリア人も住んでいますが、現在は6%に減少。ロシア人との混血が増えているそうです。

●憧れの全容
 船はキジー島に接近。憧れの木造教会がぐんぐん迫ってきました。曇天ですが、ねぎ坊主の上に十字架をいただいたプレオブラジェンスカヤ教会がはっきり見えます。夏用、冬用の2つの教会、その間に建つ鐘楼も見えて、3者のそろい踏みです。
 修理が始まったと聞いて、テントなどで覆われているのではないかとの不安もありましたが、湖上に全容を見せています。

●キジー島(世界遺産)
 11:20、キジー島の桟橋に着きました。クルーズ船が数隻。その人たちは観光を終わって引き上げるところでした。大勢が去った後の観光。願ってもないことです。  
 キジー島はオネガ湖の北側に浮かぶ小島です。もともとは先住のカレリア人が崇める神聖な「祭りの場」でした。そこに12世紀ごろ、ロシア人が入植して独自の建築文化を育みました。島内には現在も50人ほどが暮らしています。島に電気はありません。

●木造建築の粋
 この島がつとに有名なのは、ロシア最古の木造教会「ラザロ復活聖堂」をはじめ、1本の釘も使っていないプレオブラジェンスカヤ教会、ロシア北部の各地から移築された農家、風車小屋、礼拝所など、ロシア伝統の木造建築を展示する歴史建築民俗博物館があるからです。
 北部ロシアの職人たちが精魂込めて造りあげた木造建築は、長い歳月を極北の厳冬に耐えて「匠の技」のすばらしさを見せてくれます。
 針葉樹に覆われた島全体が景観保存地区になっており、ペトロザヴォーツクから水中翼船「コメット」で訪れる観光客が絶えません。

●歴史建築民俗博物館
 講釈はこの程度にして、ユーリーさんと現地ガイドの後について歴史建築民俗博物館の観光です。博物館は島の南側にあり、1970年代にロシア北部の各地区から移築した数々の木造建築群を展示しています。
 プレオブラジェンスカヤ聖堂やポクロフスカヤ教会、ラザロ復活聖堂もこの地域にあります。18世紀の救世主、聖母昇天などの礼拝所をはじめ、富豪の家、ロシアのサウナ、風車、水車小屋、鍛冶屋、貧農の家など20棟ほどが建ち並んでいます。

●プレオブラジェンスカヤ教会
 その中でも注目は、真っ先に訪れたプレオブラジェンスカヤ聖堂です。船着き場から10分ほど歩いたところに威儀を正していました。1714年に建造されたロシア正教の教会で「主の変容教会」ともいわれます。
 先代の聖堂は1690年の落雷で崩壊し、その後に再建されました。職人たちは釘を1本も使わず、斧や錐だけでこつこつ仕上げたロシア木造建築の傑作です。

●夏用の教会
 教会は夏用のプレオブラジェンスカヤ聖堂と冬用のポクロフスカヤ教会があります。
 夏用は22の玉ねぎ型屋根を重なり合うように積み上げた独特の形です。ヤマナラシ材でつくった木の葉のような板を貼り付け、膨らみを持たせて丸屋根にした技法には感服するばかりです。
 最も高い中央の屋根は高さが37mあります。キューポラ(ねぎ坊主のドーム)は、雨水を効率よく流す雨どいの役目もするように考慮されているということでした。

●丸屋根の芸術品
 300年の風雪に耐えて、いまなお銀色の輝きを保ち続ける木肌。丸屋根はまさに芸術品です。あの発想はどこから生まれたのだろう、ドームのあの丸みはどうして出したのだろう…。スズダリのラジェストヴェンスキー聖堂で抱いた?が、また頭をもたげました。
 「丸屋根の幻想」、「ロシア木造建築の宝石」、「丸屋根の比類なき物語」などと称えられる教会。現代の建築技術を駆使しても同じものを造ることは不可能だろうとさえいわれます。

●当初は簡素
 建造当初はドーム屋根が1つだけの簡素な建物でした。中央の大きなドームはキリストを表現し、それを囲むように4使徒を表現する4つのドームが増設され、後年、数がさらに増えたということです。
 図面や測量器具もなしに、このような世にも希な聖堂を完成させた匠の技を、どのように表現したらよいのでしょう。感激というほかに言葉が見つかりません。もちろん、島内最大の見どころです。

●ポクロフスカヤ教会
 鐘楼を挟んで建つポクロフスカヤ教会(請願の聖母教会)は1764年の建造です。プレオブラジェンスカヤ教会に暖房設備がなかったので、南側にペチカを備えた冬用の聖堂として建てられました。
 職人たちはプレオブラジェンスカヤ教会との調和を保つために工夫を重ね、2度の建て直しの後、やっと9つの玉ねぎ屋根を持つ教会を完成させました。マイナス35度にもなる厳寒の地。外壁の木と木との隙間に布を挟んだり、扉を二重にして防寒しています。

●内部を見学
 冬用教会の中を見せてもらいました。聖人のイコンなどがたくさん飾られ、外観からは想像できない多彩さでした。
 戸外は小雨が落ちたり止んだり。降るのはもう少し待って、と願いつつ角度を変えて教会を眺めました。周辺には簡単な上屋をつけた十字架が数本立っています。墓地だったのでしょうか。

●進む老朽化
 2つの教会は残念ながら老朽化が進んで、夏用は少し傾いています。ユネスコの補修要請にもかかわらず、技術上の問題や資金面から遅々として捗っていませんでした。最近になって修復工事が開始されました。
 工法は建物を持ち上げて老朽化がひどい下部から補修を始め、順次上部の補修にかかる、という構想のようです。 

●鐘楼
 2つの教会の仲を取り持つように建っているのは、1862年に建造された八角形の鐘楼です。それ以前にも鐘楼はありましたが、火災などで焼失したため再現されました。
 3つの建物がうまく調和して、木造建築の美をいっそう引き立てています。曇天で、木肌の輝きは見られませんでしたが、世界の観光客を魅了してやまない教会を目の当たりにできただけでも感動ものです。「船が出てくれて良かったわね」。全員が"幸運"に感謝しました。

●農家を見学
 その後、豪農の大きな家と一般的な農家を見学しました。民具や寝具、台所、調度品を見て300年前の農民の生活に思いを馳せました。豪農と普通の農家では、調度品などに大きな差があります。豪農の家では、結婚前の女性は3階に住むのが通例でした。
 民族衣装の娘さんが窓際に座って糸を撚ったり、民芸品をつくったりしていました。当時は風呂(サウナ)やトイレは戸外にあったそうで、湖畔に小さなサウナが配置されていました。

●ラザロ復活聖堂
 さらにアルハンゲル・ミハイル礼拝所、風車小屋などをカメラに収めて進みます。前方に古色蒼然、風格のある教会がぽつんと建っていました。これがロシアに現存する最古の木造聖堂、ラザロ復活聖堂です。
 創建されたは1300年頃。年輪を重ねて貫禄十分です。小雨の中に建つ聖堂は保存状態がいいので、築後700年以上とはとても思えません。1970年代に移築されるまで大きな聖堂内に建っていたので、風雨に曝される機会が少なかった、ということです。

●感謝の気持ち
 木造建築の数々をひと通り見学して、プレオブラジェンスカヤ聖堂にもどるころには土砂降りになりました。フリータイムの時間がたっぷりあるのに残念です。離れがたくて、叩きつける風雨をものともせず何度も見上げました。
 一時はどうなることかと心配したキジー島観光ですが、曇り、あるいは小雨のうちに大方の見学ができました。感謝の気持ちいっぱいで桟橋に戻りました。

●惜しむ別れ
 土産物店で冷えた体を休ませ14:20、いっぱいの感謝と少しの無念―、ない交ぜの気持ちを土産に帰路につきました。徐々に遠ざかる教会。多くの乗客がデッキに出て、別れを惜しんでいました。
 ペトロザヴォーツクに戻って遅い昼食。時刻は15:40。レストラン「メトロ」でサラダ、チキンのバーベキュー、ピロシキなどでした。きょうのピロシキはリンゴジャム。

●カレリア郷土博物館
 食後は残っている市内観光です。訪れたのは国立のカレリア郷土博物館です。カレリア地方の歴史資料を集め、とくに北方文化の展示品が多いのが特徴です。青年係員の解説で館内を回りました。
 錫(しゃく)を持ったシャーマンの骨格、水葬の棺、マンモスの骨のほか、土器類の出土品や石に刻まれた古代の絵画、19世紀の農機具、民具などが展示されていました。船に何人も乗っている岩絵は黄泉の国、天国への旅だちを意味しているそうです。
 近代史やフィンランドの神話、カレワラの資料も展示されています。

●ロシアの梅雨?
 館外へ出たらまたも土砂降り。道路脇の溝があふれて川のようになっています。「こちらの梅雨が始まりました。これからはこんな日が多くなります」とユーリーさん。
 18:00なのに薄暗く、町行く人も厚着です。あっという間に秋が過ぎて、長い冬を迎えるのでしょう。「12月12日から27日までは黒夜」。その頃は白銀に覆われた雪のペトロザヴォーツクに変身するはずです。

●フォークロアショー
 18:10、ホテルに戻りました。2日目ともなると、水回りの悪さも気にならなくなってシャワーを浴びました。
 ホテルで夕食。野菜サラダ、スズキのソテーなど。食事中にフォークロアショーが始まりました。古くから民衆の間で語り継がれ、歌い、踊り伝えられてきた口承文化です。
 この中には民話や諺(ことわざ)、抒情詩、民謡などがあり、これらの伝承はロシアの作家や音楽家にも大きな影響を与えました。

●みんな元気
 民族衣装の男女が歌い、踊った後はお客も加わってフォークダンスの輪ができました。老いも、老いも、みな元気です。かなり動きの速いダンスもありますが、懸命についています。
 キジー島を案内してくれた若い女性ガイドも民族衣装で輪の中にいます。どの顔にも笑みがあり、汗がありました。疲れを忘れたひととき。ペトロザヴォーツクの夜は賑やかに更けていきました。


ページ: TOP 10 11 12