ページ TOP   10 12 13 14

(文中の赤字をクリックすると関連のページが開きます)


◎2月17日(金)晴 (11日目)
 コルドバ滞在

●今日の予定
 きょうはメスキータを観光し、午後はフリータイムです。半日を有効に過ごそうと、昨夜は市内地図とにらめっこしていました。05:00、起床。大学生の大きな団体が泊まっていたので騒音を心配しましたが、静かでした。
 07:10、レストランへ行くと、食事をを終えた学生たちがロビーに集合し、出発の準備をしていました。ビュッフェの朝食は品数がそろっていて満足。天気も上々のようです。

●コルドバ
 観光の前にコルドバの予習です。コルドバはアンダルシア州コルドバ県の県都。グアダルキビル川沿いに拓けた歴史ある町です。イスラム教徒によるコルドバ王国(後ウマイア朝)時代は、東のバグダッドに対して「西方の真珠」と讃えられるほど繁栄しました。全盛期の10世紀前後は、世界最大の人口100万人を有する大都市でした。
 旧市街にはいまもイスラム時代の影響が色濃く残り、白い漆喰壁の家々、細い街路、中庭などが異国情緒を感じさせてくれます。コルドバの名は、馬の尻皮を表すコードバンに由来します。1252平方kmの町に約33万人が暮らしています。

●コルドバ王国
 コルドバの歴史も紀元前のローマ支配に遡ります。そのころ、大西洋に注ぐグアダルキビル川の上流に港を築いて、農産物などをローマへ運んでいました。大きな発展を遂げたのは、後ウマイア朝の首都になった8世紀からです。
 300ともいわれる数多くのモスクが建ち、医学、天文学などの学問も盛んになり、1031年に首都がグラナダに移るまで、250年間にわたって、商業や学問の中心地として栄えました。

●世界遺産
 旧市街はメスキータ(大聖堂)、アルカサル(城)、ローマ橋、カラホラの塔、旧ユダヤ人街など、イスラム教とキリスト教の文化が共存するエリアです。1984年、「コルドバの歴史地区」として、世界文化遺産に登録されました。
 その代表格が、旧市街の中心に建つメスキータ。時の支配者によって、教会からモスク(メスキータ)へ、さらに大聖堂へと姿を変え、今日に至っています。

●今日も青空
 09:00、市内観光に出発。今日のガイドは日本語が話せる現地ガイドのマリアさんです。「行きまひょか」。いきなり関西弁が飛び出してびっくり。ユーモアのセンスに富んだ30歳代の女性です。
 ドライバーのラファエルさんは自宅で休養。すべて徒歩観光になります。マリアさんもラファエルさんも聖母や聖人に因んだ、ありがたい名前。おかげで青空になりました。

●ローマ遺跡
 ホテルのそばに建つ市庁舎前からスタート。正面の壁にメスキーターやローマ橋を描いた彩色タイルを飾っています。庁舎の横には、紀元前1世紀ごろのローマ遺跡。復元工事が行われ、神殿風の柱10本が建っていました。
 柱はコリント式の柱頭部分までですが、壁に掲示された完成予想図には、周囲を回廊で結び、その中央に立派な神殿が建てられることになっていました。

●テンディーリャス広場
 市庁舎から西へ進むと、大きなテンディーリャス広場に突き当たりました。中央に噴水があり、その回りを現代的な建物が囲んでいます。その中にはセビリア出身の建築家アニバル・ゴンサレスが手がけた建物もあります。
 塔の上に怪鳥に乗った男性の像が建つ、アール・ヌーボー様式を思わせるユニークな外観です。ゴンサレスはセビリアのスペイン広場を設計、建築しました。 

●将軍の騎馬像
 噴水の中に設けら台座の上に、騎馬像が建っていました。スペイン王国の将軍、ゴンサロ・フェルナンデス・デ・コルドバです。イザベル女王の護衛者として、レコンキスタの戦いで活躍するなど、当代一の将軍と讃えられ、エル・グラン・カピタンと尊称されています。
 像の顔だけが白いのは、壊れたために取り替えたのでは、という話でした。1503年のチェリニューラの戦いでの塹壕戦はとくに有名で、セルバンテスも小説「ドン・キホーテ」で偉人として取り上げているそうです。

●救急車
 広場からユダヤ人街に通じるスス・マリア通りを南へ歩くと、フラメンコ学校がありました。子どもたちに無料で教える公立の学校です。ここまで来ると、前方にメスキーターの鐘楼が見えました。
 その先は土産店が並ぶユダヤ人街、花の小径へと続きます。狭い脇道もあり、救急車が四苦八苦していました。巧みなハンドルさばきで難所を通過すると、見物人から一斉に拍手が起こり、救急隊員がグラシアス(ありがとう)と笑顔で応えていました。

●ユダヤ人街
 ユダヤ人街は、メスキータの北西に位置します。後ウマイア朝コルドバ王国時代の8世紀から、ユダヤ人が住んでいた居住区の跡です。
 当時、ユダヤ人は政治、経済を担う重要ポストについていましたが、キリスト教徒のレコンキスタ(国土回復運動)後に追放されたり、逃げ出したりして姿を消しました。追放令は1968年まで続いたそうです。

●土産物店
 白壁に黄色い配色が特徴の建物が並ぶ路地は、異国情緒を醸しており、観光客が必ず立ち寄るビューポイント。石畳の路地の両側には、土産物店が並んで、観光客を待ち受けていました。
 女性たちは右に左に視線を走らせて、気になって仕方がない様子。マリアさんに「これから観光よ」と促されていました。

●シナゴーグ
 フデイオス通りに、ユダヤ教会のシナゴーグが残っています。グラナダ王国のころは、スペイン国内に数多くのシナゴーグがありましたが、現在残るのはトレドの2か所と、コルドバの1か所だけ。1314年に建造されたもので、歴史的建造物として公開されています。内部に特別なものはありませんでした。
 シナゴーグの向かいに建つのは市立闘牛博物館。名闘牛士として名高いマノレテら、コルドバ出身の闘牛士の資料や遺品を展示しています。 

●マイモニデスの像
 散策中に2人の偉人の像を見かけました。1人はシナゴーグ近くに建つモーゼス・ベン・マイモニデスのブロンズ像。ユダヤ人の哲学者で12世紀にユダヤ教の神学を体系化、また痔の名医としても名を馳せました。観光客に触られて両足の先端がぴかぴかに光っています。
 「大阪でいえば、ビリケンさんというところやね」とマリアさん。ビリケンとは、大阪の通天閣にある異形の像で、幸運の神様と慕われています。

●ガフェウィの胸像
 もう1人はコルドバ大学医学部校舎前にあるマホメット・アル・ガフェウィの胸像。12世紀に世界で初めて白内障手術を成功させた医師です。「鎌倉時代のことですよ。偉いですね」。マリアさんは日本の歴史にも精通しています。
 城壁のそばには、コルドバ生まれの政治家で、ローマ帝国の暴君ネロの幼少期の家庭教師だったルキウス・アンナエウス・セネカの像もあります。

●メスキータ
 花の小径は後回しにして、メスキータへ向かいました。メスキータはイスラムとキリストの様式が共存する荘厳な寺院です。コルドバの支配者は変わっても、それぞれの時代で、それぞれの文化を尊重する寛容の気風が幸いして、共存が保たれてきました。
 最初は西ゴート王国が建てたキリスト教のビセンテ教会でした。後ウマイア朝時代にモスクに転用、増改築されましたが、聖堂部分を破壊することはありませんでした。再びキリストの時代になって、サンタ・マリア・マドレ・デ・ディオス聖堂に改装されましたが、その時も「我々には成し得ない文化」と認め、イスラム時代の外観や主要部分である円柱の柱などを残したといわれます。

●大規模モスク
 歴史の生き証人であるメスキータは、南北178m、東西125mで、イスラム教の聖地メッカ(サウジアラビア)のモスクを上回る規模。2万人を収容できたそうです。モスクはコルドバ王国の創設者、アブド・アッラフマーン1世の命によって785年に着工、3度の増改築を経て、すべてが完成したのは987年でした。
 レコンキスタ後のカルロス1世時代の1523年から聖マリア大聖堂への改修が行われ、屋根の上にキリスト教らしい建造物が加えられました。
 
●2つの入場口
 スペイン有数の観光スポット。すでに大勢の観光客が押し寄せていました。観光客が入場できるのは、北側に面した免罪の門(赦しの門)など2か所。私たちは赦しの門の近くに開いていた小さな門から入場しました。カーニョ・ゴルド門と呼ぶようです。
 入ったところがオレンジの中庭。長さ130、幅60m の敷地にオレンジが植栽され、中央に噴水がありました。外壁に沿ってファロレスの祭壇が設けられています。中庭の奥がメスキータの中枢です。

●円柱の森
 内部はモスクと聖堂に2分され、それを円柱の森が取り巻いている構図です。中に入ってまず度肝を抜かれるのが円柱の森。アーチ状の円柱が林立しています。
 煉瓦の赤色と石灰石の化粧漆喰の白色が交互に組み合わされた円柱。いかにもイスラム文化らしいデザインです。円柱のアーチ構造には、メリダにある古代ローマの水道橋建築の技術が採用されたそうです。

●ミフラーブ
 モスクの聖なる場所はミフラーブ。礼拝所のキブラという壁に、聖地メッカのカーバ神殿の方角を示す窪みがあります。金銀のモザイクで飾られた祭壇で、窪みを囲むようにコーランの一節が刻まれていました。
 制作に当たったのは、ビザンチン帝国から呼び寄せたアラブ職人たちといわれ、ミフラーブの前にあるモスクの天井も金銀の幾何学模様で装飾されています。

●マヨール礼拝堂
 キリスト教の聖なる場所は、マヨール礼拝堂です。天井がモスクより高く、メスキータの屋根に突き出しています。聖母マリア被昇天に捧げる聖堂への改修を命じたカルロス1世(カール5世)自身が、異様な光景を目にして嘆いたという曰く付きです。
 アーチ状の柱が支える身廊、祭壇、109席ある聖歌隊席、聖職者席(説教壇)がつくられ、聖体顕示台、パイプオルガン、振り子時計、大聖堂宝物堂なども備えられました。主祭壇の中央に吊り下げられた大きなランプは、直径が1.28m、重さが200kgもあるそうです。

●リサイクル
 円柱の森は、再生の力が宿るパワースポットとして、また、結婚式場としても人気があるそうです。建設当初は1000本ありましたが、聖堂への改修時に一部が取り払われ、現在は約850本になったといいます。
 柱の石材や太さ、柱頭の装飾がまちまちです。「ローマ、西ゴート時代の石材を転用したから。リサイクルよ」。マリアさんは標準語で説明しました。

●免罪の門
 外壁に目を転じると、モスク時代の入り口がかなり閉鎖されていました。かつては19か所もありましたが、大聖堂になって廃止され、現在残るのは免罪の門を含めて5か所だけです。
 メスキーターの観光を終えて出てきたのは免罪の門でした。閉ざされた門にもアラブ風の浮き彫りなどが施され、見逃すのには惜しい場所です。 

●ミナレット
 メスキーターに聳える鐘楼は高さが93mあるそうです。モスク時代はアルミナールの塔と呼ばれ、ムアッジン(イスラムの僧)が日に5回、イスラム教徒に礼拝の時間を告げるアザーンを唱えていたところ。ムアッジンが上り下りした230段の螺旋階段が残されています。
 聖堂に改修された後は、鐘が取り付けられて鐘楼に変身。尖塔は今も昔もコルドバのシンボルです。

●花の小径
 後回しになっていた花の小径をぶらり。入り組んだ石畳の細い路地の両側に小さな窓の家が連なり、その白壁には花の小鉢が飾られて、独特の雰囲気です。
 家の内部はイスラム風。小さなパティオ(中庭)があり、漆喰の壁には幾何学模様の浮き彫りが施されています。とくに、東端の入口にある一角は、女性に人気のある花の小径です。振り向けば大聖堂の鐘楼が見えました。壁の鉢植えは緑一色。「花のない、花の小径だね」とのジョークが漏れ聞こえました。

●マリアさん
 マリアさんの名調子の解説は終わりました。彼女は身重。それも3月に出産予定です。大きなお腹で頑張ってくれました。ときに関西弁が飛び出す彼女の日本語は聞きやすく、日本に関する知識も豊富。しかし、日本へ行ったことがなく、すべて観光客らからの耳学問とのこと。「飛行機、怖いから」と笑っていました。
 スウェーデン人の旦那さんと生まれくる赤ちゃん、そしてマリアさんに幸いあれ、と祈って別れました。
 
●ローマ橋
 後はフリータイム。私たちはメスキータ裏手のグアダルキビル川に架かるローマ橋を渡りました。15年ぶりに眺める橋は、様相を一変していました。古色で風格のある橋でしたが、きれいに修復されて別物に見えます。
 袂に建つプエンテ門も見違えるよう。王国時代は城壁の門でしたが、1571年にフェペリ2世の命で、現在のルネッサンス様式に改造されました。門は橋への入り口でもあります。

●きれいに修復
 修復工事は1400万ユーロと2年の歳月をかけて、2008年1月に完成しました。ローマ橋は建築後、何度も改築や修復が行われてきましたが、21世紀の改修はコルドバ出身の建築家フアン・クエンカさんが担当しました。
 全長233mの橋上もきれいな舗装に変身しています。歩行者天国なので、車の心配はありません。左右の風景を眺めながら、対岸に建つカラホラの塔へ向かいました。

●守護聖人像
 橋の中央にコルドバの守護聖人サン・ラファエルの像が建ち、ろうそくの灯が絶えることがありません。地元の人がその前を通るとき、帽子などのかぶりものをとって礼拝するそうです。
 川の中州には、イスラム時代の水車小屋が見えます。かつて両岸には、粉挽きや水を汲み上げるのに使われた水車小屋がたくさんありました。その後、すべて撤去され、現存の小屋は復元されたものです。 

●カラホラの塔
 橋を渡りきったところに、旧市街地の防衛施設だったカラホラの塔が建っています。コルドバ防衛の監視塔として14世紀に建造されました。カラホラとは「自由の塔」を意味し、現在は博物館に使用されています。
 塔の付近で名作「カルメン」が生まれました。フランスの作家プロスペル・メリメが橋の袂で出会った美しいジプシーの娘からインスピレーションを得て著したといわれます。

●連続アーチ式
 橋が建設されたのは、ローマ帝国初代皇帝アウグストゥスの時代の1世紀。コルドバで本格的な都市づくりを始めたころの遺産です。
 16の連続アーチで支えられた石造り。イスラム時代に補強、キリスト教徒の時代に改修され、2000年以上の歴史を見守りながら、当時を偲ばせています。対岸から眺めるメスキーター。青空に溶け込んで絶景でしたが、カルロス1世を嘆かせたという、聖堂屋根の突起がやけに目立ちました。

●グアダルキビル川
 ローマ橋の下を流れるグアダルキビル川は全長657km。スペインでは5番目に長く、アンダルシア地方では最長です。コルドバやセビリャを流れて大西洋に注いでいます。流域の面積5万6978平方 kmに及び、沿岸の生活を支えてきました。
 現在は支流を含めた各所に、農業用水を確保するためのダムができ、洪水も減少したそうです。上空をカモメが気持ちよさそうに舞っていました。

●勝利の塔
 プエンテ門まで引き返しました。その横に小さな広場があり、中央に聖ラファエルの勝利の塔が建っています。ペストなどの疫病が蔓延したときも聖ラファエルが街を救ってくれたと信じられ、いまではコルドバの守護聖人として、篤い信仰を集めています。
 広場の近く、メスキータの向かいに古風な建物があります。エピスコバル宮殿といい、王国時代の城跡。司教館などに使われ、現在は美術館です。広場のベンチでひと休みして、次に向かったのは、やはりグアダルキビル川沿いのアルカサル。

●アルカサル  
 10分足らずでアルカサルに到着。カスティーリャ王国時代の王宮跡です。アルファソン11世が14世紀後半、メスキータ近くのイスラム宮殿跡に建造。様々な歴史の舞台になりました。現在、一部が一般公開されています。
 観光客が見学できるのは、ローマ時代のモザイクや石棺などを展示している部屋、地下の浴場、庭園、4つある塔のうちの1つです。
 
●塔に挑戦
 入場料4.5ユーロを払って入場。訪れる客が少ないのか、城内の見学者はまばらです。廊下に展示されている石棺などを見て塔に挑戦。あまり息切れもせずに踊り場まで上られました。
 上るにつれて、石造りの建物が眼下におさまり、旧市街やメスキーターのミナレットなども一望できます。

●モザイク
 奥まった部屋の壁に、ローマ時代のモザイクが飾られていました。椅子が並んでいるので礼拝所のようですが、キリスト教の祭壇につきもののマリアやキリスト、守護聖人の像がありません。
 モザイクは人物あり、幾何学模様あり。1959年にコルドバ市内で発掘されたそうですが、なかなか見応えがありました。

●アラブ風庭園
 いったん戸外に出て、庭園をぶらつきました。アルカサルの建設に動員されたのはイスラムの職人たちだったので、王宮もイスラム教とキリスト教の様式が融合したムデハル様式。随所にアラブ風が見られます。
 その代表格が広大な庭園です。高台から低地へと水路や池が設けられ、その両側に糸杉やオレンジの木を配しています。池には鯉のような魚がたくさんが泳いでいました。

●しばし休憩
 きちんと刈り込まれた庭園にも観光客はまばら。花々が咲き、オレンジが実をつけるころの景観を想像しながら、庭園の端まで散策しました。真っ青な空と緑の列柱のコントラストが見事です。苔に覆われた大壺のディスプレーもあります。
 ベンチに腰掛け、羊羹を食べ、日本茶を飲んで休憩。庭園を渡る風が心地いいです。

●様々な歴史
 歴史の舞台としても有名です。カトリック両王といわれたイザベル1世と夫のフェルナンド2世がグラナダ王国攻めの拠点にしたり、コロンブスが新航路発見の航海援助を請願するため謁見するなどしました。庭に謁見の様子を再現した像が建っていました。
 また、血なまぐさい事実も秘めています。カトリックに改宗したと偽るユダヤ人、イスラム教徒らを裁く異端審問所も置かれ、拷問が繰り返されたといいます。

●花の小径界隈
 広大な庭園に感激しながら、メスキータまで戻りました。近くで食事し、コーヒーを飲んで元気回復。しばらくの間、花の小径や周辺をぶらぶら散策しました。
 レストランのパティオをのぞき見させてもらったり、白壁を塗り直す職人を眺めたり。フリータイムならではの気ままな時間を楽しみました。メスキータの観光を終えた人たちも繰り出して買い物や散策。大賑わいです。

●スペイン・タイル
 町を歩いていて、彩色タイルの標識などをよく見かけます。北アフリカのイスラム教徒(ムーア人)が8世紀に持ち込んだ幾何学模様やアラベスク模様の技法と、スペイン独特の鮮やかな色彩が融合して生まれたスペイン・タイルだそうです。
 街角、教会、店の軒先、家々の門や壁、いたるところに使われているので、それを見つけながらの散策も一興かも知れません。

●町の素顔
 いったんホテルへ戻ることにし、脇道をじくざぐ歩きしました。大勢の男女が向かう方へついて行ったら大きな私立の学校。下校の子どものお迎えでした。その横には広場があって、ここにも曰(いわ)くのありそうな塔が建っています。
 教会のような古風な建物、フラメンコショーのバル、教会、ピンクの外観が怪しい大人の店…。町の素顔を楽しんでいたら、テンディーリャス広場まで来ていました。
 
●仮装の子ら
 散策中にレーサー、ローマ兵、お姫様、司祭ら、様々な衣装をきた子どもたちを見かけました。親御さんたちも嬉しそう。カメラを向けると喜んで応じてくれました。バルセロナで見たパレードと同じように、復活祭に関連したイベントがあったようです。
 途中のスーパーで水やミニトマト、野菜サラダ、オレンジなどを買い、15:20、ホテルへ戻りました。歩き疲れましたが、市庁舎の北側にも見るべきところがあるというので、再び外出です。

●灯火のキリスト広場
 ホテル前のアルフォンソ通りを10分ほど歩くと、左側に大きな階段がありました。黒と白っぽい丸石を敷き詰め、きれいに装飾された立派な階段です。上りつめたところにカプチーノス教会が建っていました。
 地図を見ると、灯火のキリスト広場のよう。教会の壁を伝うように裏手に行くと、小さな広場があり、真ん中に磔されたキリストの像が建っていました。像の回りにカンテラが7個。夜になると灯が入るそうで、おじさんが準備中でした。広場は悲しみの広場(カプチーノス広場)とも呼ばれています。

●ビアナ宮殿 
 目的はビアナ宮殿を目ざしていたのですが、右折する道を通り過ぎて、灯火のキリスト広場へ来たのです。女性に道順を聞いて歩き始めましたが、なかなか見つかりません。出くわした観光客も地図を広げて探してくれます。
 2人の青年に尋ねて、ようやく探し当てましたが、またまた右折する場所を間違えたようです。

●12のパティオ
 ビアナ宮殿は、14世紀に建造されたビアナ侯爵家の住居。12もあるパティオ(中庭)がとくに有名な貴族の館です。入場料は3ユーロ。
 順路に従って進むと、回廊の中にシュロのような木がある庭、彩色タイルの壁に囲まれた噴水のある庭、水路がある大きな庭…。中庭にはビアナ夫人、マダム、カペッラ、オレンジなどの名がつけられています。アラブ風、フランス風、様々なパティオが目を楽しませてくれました。
 
●大満足
 今日の観光を終えてホテルに戻ったら17:30近くでした。ドン・キホーテゆかりのポトロ広場へも行ってみたかったのですが、欲をいえば切りがありません。青空の下、フリータイムを有効に使えたので大満足です。
 夕食もフリー。持参した日本食とスーパーで仕入れた野菜や果物で、胃腸の疲れを癒しました。


ページ TOP   10 12 13 14