後編6(市立敦賀病院編B)


2006年1月1日
 [状況]「救われし 命の鼓動 年明ける」。心臓が動いている。万感の思いを込めて2006年を迎えた。
 朝食は数の子、田作り、黒豆が添えられたお節(せち)。昼食にはタイのお頭付きや紅白のかまぼこなど。患者にも正月気分をという心遣いが嬉しい。ただし、雑煮はない。喉に詰まらせては大変という心配りからだ。
 T看護師が久しぶりに胸を聴診。「音が以前よりぐんと良くなっている」といった。病棟の廊下歩きは960m。そのうち60mは杖なし。体温、血圧とも安定し、咳込みも少なかった。めでたし、めでたしの戌年スタートだった。

1月2-3日
 [状況]2日は廊下歩きの距離が計1080m。初めて1kmに達した。看護師たちは「背筋がピンとしていて、病人とは思えない」とはやす。
 今月から麻酔科に配転のはずの岸田医師が聴診に訪れた。「胸の音、きれいですよ」の声が聞かれるのもこれが最後。新谷医師にバトンタッチの予定という。
 3日はやや咳込みが多かったが、廊下歩きは3回に分けて計1320mに。加えて階段の上り下りも。息切れは徐々に少なくなってきた。

1月4-5日
 [状況]4日は仕事始めでリハビリ室での訓練が再開。ベッドからの立ち上がりを35回こなし、体重を測ったら62kgで、20日間で1kgだけ増えていた。握力は右17.8、左17.6。自室までの350mほどを歩いて戻った。咳が多い。
 5日は小林医師が胸を聴診。新谷医師は担当を外れて、他の患者を診ることになったらしい。咳と痰がよく出て、一時、体温が38度を超えてひやりとさせられた。

1月6-7日
 [状況]6日はリハビリ室までの350mほどを往復歩いた。部屋の片隅に常駐している車いすもそろそろ返上するときが来たよう。小林医師が血液検査の結果について、問題ないと報告。
 7日は休憩なしで廊下を600m歩けた。この日の歩行距離は1560m。息切れはするし、杖を頼りの訓練だが、確実に進歩している。
 「Nさんには歩いて退院してもらい」と、常々言っていた新谷医師に廊下でばったり。「これだけ歩けたら、もう大丈夫ね。努力が実ったのよ」と喜んでくれた。

1月8-9日
 [状況]8日は720mを休憩なしで歩いた。疲れがひどく、しばらくベッドでぐったり。夕食は胃の具合が悪くて、ほとんどパス。
 9日も食欲がない。頑張って廊下歩きだけは続けた。

1月10-11日
 [状況]10日は内科の川端診療部長が回診し「顔色が良いですね」といった。小林医師は「肺に問題はない」ときっぱり。
 西方岳方面の夕景がきれいだといって、妻が写真を撮って見せてくれた。西方岳にもよく登ったものだ。
 11日はレントゲン撮影と肺の精密検査。肺活量などの数値は前回よりもやや向上したという。リハビリ室間の往復時、少しだけ杖なしで歩いてみた。人が行き交う外来受付周辺はやはり怖い。
 

1月12日
 [状況]出村医師の呼吸器診療。肺活量は普通の人並みだが、喘息の気があるので、朝、夕の2回吸入を続けるようにといって薬を出してくれた。
 天気予報によると、これからしばらく暖かな日が続くという。外泊希望をそれとなく打診したら、出村医師から「家の中は寒いよ。止めた方がいい」といわれてしまった。

1月13-14日
・車いす返上 
[状況]13日は9月23日から借りていた車いすを返上した。廊下歩きが1500mを超えるようになって、必要がなくなった。
 14日は気温15度。妻が旅行会社から毎月届くPR誌やパンフレットを持参した。すでに訪れた国、ぜひ行きたいと思っていた国がきれいなグラビアで紹介されている。「旅誘う パンフに見入る 病の床」。よれよれな我が身のことを忘れて、旅をしたい、との気持ちがむくむくとわいた。
 今日は2km近くを歩き、そのうち120mは杖なしだった。

1月15-16日
 [状況]15日、このところ体温は36度台を保ち、血圧も薬効で安定している。咳や痰は相変わらずだが、肺が痛んでいるのだがら気長に向き合うより仕方がない。体調が良いのでリハビリが進む。杖なしの歩行も距離を延ばしている。
 16日は小林医師が様子を見に来てくれた。体調に大きな変化がないので、来訪が数日おきになっている。

1月17-18日
 [状況]17日は杖なしでリハビリ室まで歩いた。大塩療法士の許可がないままに始めた杖なし歩行だが、最近は黙認の形。廊下も3往復、360mを杖なし、休憩なしで歩けるようになり、リハビリは順調だ。
 18日、このところ味覚が少しずつ戻り、食欲が出てきた。好物の納豆やチーズは毎朝の常食になった。少しでも体力を付けたいという意欲の表れ、と自分では思っている。

1月19日
 [状況]19日は小林医師が様子伺いに。「自室のトイレは使っているのか」と聞いた。かなり前から使用しているが、耳に入っていなかったようだ。
 リハビリ室への往復を杖なしで歩いた。外来受付の人混みもあまり恐怖に感じない。

1月20日
 [状況]リハビリ室からの帰りに4階まで階段を上った。かなりの息切れ。2階でひと休みしながら、なんとか到達できた。最近にない快挙だ。
 看護師の来訪は血圧や体温の測定時だけ。新聞を読み、旅行のPR誌に目を通し、ときたまテレビを見ても時間をもてあます。「誰か来てくれないかな」が口癖になった。

1月21-22日
 [状況]21日も自主トレに励む。妻は体調の良さそうな日を選んで髪や手足を洗ってくれる。今日は洗髪日だった。
 22日は病棟の廊下を杖なしで7往復。その距離840m 。これも「やった!」の拍手もの。このところ、妻はときどき抜け出して自宅で用事をしたり、買い物をしたり。短時間ながら妻離れも出来るようになった。

1月23日
 [状況]23日はホリエモン逮捕でどのチャンネルも大騒ぎ。K看護師に体重を測ってもらったら62.5kg。身長は171.5cmだった。大塩療法士も「お尻に肉がついてきた」と体重増加を認めてくれた。

1月24日
 [状況]握力を測定。右20.2、左21.7で当面の目標だった20を超えた。まだ女性より低い。それでも、手が震えて50音ボードすら指させなかった虚弱男がここまで回復できたのだ。まさに感無量。
 最近はリハビリ専科のような毎日。咳や痰は相変わらず。肺の方はどうなっているのだろう。ときおり心配が頭をもたげる。

1月25日
 [状況]杖なしでの歩行が当たり前になってきた。リハビリ室との往復、廊下の6往復の計1600kmほどを両手を振って歩いた。M看護師に「杖が必要ならプレゼントしますよ」と冗談を言えるほどの急成長ぶり。われながら拍手ものだ。

1月26日
・ぬくもり相談
 [状況]大塩理学療法士が「いつ退院しても良い状態」と体力回復を認めてくれた。うれしいGOサイン。
 「ぬくもり相談」というのがあった。180日間を超える長期入院になったので、退院後の諸々についての相談というわけ。同席した小林医師にリハビリの退院OKが出た旨を伝えた。
 小林医師は「せっかくここまで回復したのだから、しっかり治してから退院してもらいたい。2月2日に呼吸器の診療があるので、その結果を聞いてから判断しましょう」といってくれた。 
 退院の2文字が現実のものとなって浮上してきた。「お世話になりました」と退院する患者を、どれだけ羨ましく思い続けてきたことか。退院の日を想像するだけで胸がわくわくする。

1月27日
[状況]体温、血圧ともに安定。咳や痰は今すぐにどうなるものではなさそう。これは仕方がない。
 リハビリの際に大塩療法士に小林医師の話を伝えた。「いよいよだね」と笑顔で喜んでくれた。その帰りに4階まで階段を上った。

1月28-29日
 [状況]28日も廊下歩行。病棟の廊下は自分の運動場に化した感がある。ときどきは掃除や看護師の邪魔をすることもあるが、みんな「精が出ますね」と大目に見てくれる。ありがたいこと。「善意に支えられている」との思いを強くする時だ。
 29日もせっせと歩行訓練。いっきに760m歩いても息切れが少なくなった。今日は計2800m近くも歩いた。味覚がだんだん回復し、食欲も十分。おやつが欲しいとねだったりもする。

1月30-31日
 [状況]30日も黙々と歩行訓練。シャワー室は換気扇から冷たい風が吹き付けるのでパスし、妻に熱いタオルで体を拭いてもらっている。
 夜、小林医師が来訪し「インフルエンザの患者が増えているので、十分に気をつけるように」と注意してくれた。
 31日は小林医師がその後の胃の具合を聞いた。いまは問題ない。その際に2月中にCTスキャンを予定してると告げた。自分はもちろんのこと、角田看護師長や看護師も「退院近し」と喜んでいてくれたのに、その日が遠のいた気がして少々がっくり。

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