後編7(市立敦賀病院編B)


2月1-2日
 [状況]1日は小林医師が胸の聴診。まったく問題ないという。リハビリ室からの帰りに5階まで階段を上った。3階で少し休憩しただけで到達。今日も2500mほどは歩いた。
 2日はレントゲン撮影。結果は良好。呼吸器の出村医師は「もう、入院の必要はないのでは。後は外来で」と言った。関節の屈伸などをしていた大塩療法士も「手足は問題ない」との太鼓判。

2月3-4日
・肺活量など検査
 [状況]3日は肺活量などの測定。二酸化炭素を吐き出す力がまだ弱いそうだ。血圧、体温ともに安定を続けて良い調子。もっぱら自主トレに時間を費やした。
 4日は3000mほど歩いた。右足首から下のしびれを気にしないように努めているが、足裏が地に着いていないような不安定さを感じる。末梢神経は治りにくいといわれるので、これも咳、痰と同様に長い付き合いを覚悟しなければならないだろう。

2月5日
 [状況]雪が降り続いている。3日連続だ。日本海側の各地はは何十年ぶりの記録的大雪。妻は早朝の除雪が大変と嘆く。この日も2kmほど歩いた。

2月6日
・退院許可出る
・CTスキャン
 [状況]小林医師から待望の退院許可が出た。「間質性肺炎のデータ数値はやや高いが、都合の良い日に退院してもらってけっこうです」という。
 リハビリの大塩療法士に伝えたら「あれだけの大病だったのだから、完全に治って退院ということはない。いまの元気なら、どこへでも行けますよ」と励ましの言葉。
 いまは積雪があるので、退院は10日午後にと決め、小林医師と角田看護師長に伝えた。「1、2日のテスト外泊を体験してから退院しては」との進言もあったが、歩行訓練での自信があったので、いきなり退院したい旨を告げた。
 午後のCTスキャン結果は、以前と変わりなしだった。 

2月7日
 [状況]退院が本決まりになって妻は大忙し。入院中に使った品々を引き上げたり、退院の日に備えて上着などの衣類を持ち込んだり。看護師たちが代わる代わる「おめでとう」を言ってくれる。453号室は明るいムードに包まれた。
 廊下歩きの際、新谷医師に出会った。退院報告をすると「良かった。良かった。嬉しいですね」と喜んでくれた。午後、麻酔科の岸田医師を訪ね、退院決定の報告と感謝の挨拶をした。

2月8日
 [状況]退院決定の興奮がおさまり、自主トレに励む。血液透析の水口主任にもお礼の挨拶。苦境を救ってくれた恩人の1人。「2度と戻ってこないように」と励まされた。
 内科外来に配転になったK看護師が病室を訪れて「退院おめでとう」をいってくれた。彼女もまた、最悪の頃に世話になった人だ。善意の人々に巡り会えたうれしさがこみ上げてくる。

2月9日
 [状況]最後のリハビリ室通い。大塩療法士から「退院後1週間から1か月ほどは腰が痛かったり、手足が痛かったりする。日常の生活に慣れていないからで心配には及ばない」との予備知識を得た。宮木言語聴覚士にも挨拶。
 角田看護師長が退院日の10日は出張なので、今日のうちに挨拶をと訪れ、若いM看護師は「握手を」といって激励してくれた。角田看護師長は「あれだけの重病で入院し、これだけ元気になって退院できる人は、私の知る限り3例目です」という。昨日、大塩療法士も同じことを言ってくれた。  

2月10日
・退院
 [状況]昨夜は眠れなかった。退院の喜びと生活の不安が交錯、さらにこれまでの出来事が脳裏を駆けめぐって睡魔が遠のいてしまった。
 朝食の後、最後の廊下歩きを5往復。清掃係のAさんが「おめでとう。でも寂しくなるわね」と、また母親の介護を続けるNさんは手作りのアクセサリーをお祝いにプレゼントしてくれた。
 世話になった病室を整理し、普段着に着替えて、後はそわそわと時間を待つだけ。青空になって、白銀の野坂岳が光っている。
 13:00、当番看護師全員の見送りを受けて、296日ぶりに我が家へ戻った。玄関アプローチや階段も上手く上れた。これなら今後の生活もさほど支障なく送れそうだ。

                ◇あとがき◇

 入院296日間を辿って、大変な病気であったことを実感できた。命を救われたのは、市立敦賀病院に転送された直後の初期医療が適切だったことに尽きる。

 小林主治医、血液透析に携わった水口主任らスタッフは、まさに命の恩人。深謝するばかりである。
 角田看護師長をはじめ、看護師たちのアットホームな対応に元気づけられ、中盤以降は大塩理学療法士や宮木言語聴覚士に助けられて、歩くこと、食べることが出来るようになった。

 妻にも大感謝である。生活のすべてを介護専一に頑張ってくれた。監視、激励、叱責がなければ生きる気力を持続できたか、どうか怪しいものである。夫婦の絆の強さを再認識した。
 また、知人、かつての職場の同僚、旅の友達、インターネットを通じて知り合った人たちからも多くの激励をいただいた。その一つ一つが勇気となり、気力となって大病を克服する源になった。

 後日、4階病棟の看護師全員と小林医師の寄せ書きが届けられた。「これからも養生を」、「旅行が出来ますね」など、心のこもった文字が綴られている。大病克服者を祝福してのことであろうが、自分にとっては何物にも代え難い宝物である。
 あとがきを書いていても次から次へと、入院当時のシーンが脳裏をよぎる。そのワンシーン、ワンシーもまた大切な自分史である。

 「生きている」から「生かされている」へ。多くの人たちに支えられて生き返った命を慈しみながら、これからを歩んでいきたいと思う。
 助けていただいた皆さん、本当にありがとう、ありがとう、ありがとうございました。  

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