中編3(市立敦賀病院編A)


7月1日
 [状況]病衣や枕、シーツなどを交換してすっきり。ベッドの柵に固定されたままの両手首を動かすので困る。少し元気になって、苦痛を感じるのだろう。しかし、口をもぐもぐさせて何かを訴えている様子だが、妻にはよくわからない。意識がかなり混濁しているようだ。
 岸田医師と交代した新谷研修医が挨拶にみえた。今日から3か月間担当してくれる。このところ血圧が高めになり、今度は降血剤を使用する。尿は順調、大便も出た。容体は比較的安定している。
 しかし、本人のご機嫌は斜め。昨日は手足を洗うのを拒み、今日は洗髪を拒否した。妻にも何かと当たり散らす。自分が大病で入院しているという意識がなく、自由にならないのが歯がゆいのかも知れない。

7月2-3日
 [状況]2日は16:00までに1600ccの尿。体温、血圧とも高め。お湯100ccを胃に流し込んだ。
 3日も咳込みがひどい。その度に看護師を呼んで、痰を除去してもらう。夕刻、尿袋に2000ccほどたまったので、バケツに移して捨てた。急性腎不全と診断されて以来、初めてのこと。
 床ずれを防ぐために枕を利用しているのだが、最近はそれも邪魔になるらしく、すぐに外してしまう。背中や腰に枕を当てて、ときどき体の向きを左右に代えるが、妻がちょっと目を離すとぽいと外してしまうので困ったものだ。

7月4日
 [状況]夜中に右の鼻の穴から胃へ通している流動食用の管を勝手に抜いてしまったという。左手をくくっていなかったので、悪さをしたらしい。よく咳き込むが、血圧は高め安定。尿の出はまずまず。
 小林医師は「出ている便はこれまでにたまっていたもの。レントゲン撮影の結果、ガスはまだたまっている。しばらく胃を休ませたい」といい、整腸剤を注入した。貧血気味というので注射も。
 加古川市の友人が2回目の見舞いに。Uさんとわかるのかにっこり笑って話を聞いている。「元気になって海外旅行へ」というと、手を振って「もうダメ」のゼスチャーをした。帰りには手を上げて見送る。
 妻は不自由そうな右手や左足を少しでも動かすように促すが、まったく反応なし。「頑固なへそ曲がりめ!」。妻のやきもきは続く。

7月5−6日
・喉のパイプ交換
 [状況]5日は尿、便の出が順調。血圧は上が140-170、下が95-107で推移。咳き込むと胸が苦しそう。腹痛もあるようで、顔をしかめたりする。日中は両手の固定ベルト外して、できるだけ手足を動かすようにする。夕方、リハビリの大塩療法士が来てくれた。
 小林、新谷医師が喉のパイプを交換。岸田医師が様子伺いに来てくれた。
 妻が「昨日、Uさんと楽しそうだったね」と話しかけても、そんなことあったのかと言う顔をしている。まったく記憶にないらしい。
 6日は夕刻に激しい咳込みがあり、血圧はやや高めだったが、平穏といえる1日。喉や鼻に入っているパイプが気になるようで、左手を顔の方へ持って行こうとする。大塩療法士は足をさするとき、下から上へ動かしていた。

7月7日
 [状況]手を動かすことが多く、血圧も測れない。少しじっとしているように言い聞かせても無視する。また、病衣(寝間着)を引っ張ったり、紙おむつを外そうとしたり。訳のわからないことをぶつぶつ。このまま「ボケ老人になるのでは」と妻は不安になる。
 喉のパイプにも手を伸ばそうとしたり、いっときも油断がならない。小林医師は「意識はそう容易(たやす)くすっきりしません」という。介護は辛い。
 咳込みが辛くて疲れているのか、大塩療法士の手も握らなかった。夕刻、人工呼吸器の酸素量を25%に落とした。

7月8-9日
 [状況]8日は顔全体が腫れっぽく、体温も高い。手が痙攣し、うつろな目をしている。大塩療法士は「昨日から反応が鈍い」といい、リハビリを短時間で切り上げた。
 9日も終日、痙攣がおさまらず、時に激しい震え。「このまま治らないのでは…」。命は取り留めたものの、妻の心配は次から次へと泉のように湧き出してくる。
 右肘から肩にかけてと左足の付け根が痛むらしく、苦痛を訴える。頭もぼーっとしているようだ。

7月10日
 [状況]10日も抗生剤の点滴、痰の除去、尿の計量など、いつもの"工程"が進む。痙攣はかなり治まり、何もない天井を見つめて、口を動かしている。独り言を言っているつもりなのか。気味は悪いが、表情は穏やかだ。

7月11日
・人工呼吸器で変調
 [状況]15:00に人工呼吸器を取り替えた直後に変調。「危うし」の場面があった。これまでの呼吸器を撤去し、25%の酸素が流れるパイプに変えた。その直後、呼吸が荒く、脈拍数が多くなって赤ランプが2度も灯った。機器に頼っていた呼吸をすべて自呼吸にしたので、慣れないからだという。
 しかし、新谷医師が血液検査の結果、二酸化炭素の量が多くなっていたとわかり、再び元の人工呼吸器に戻す方針という。
 意識は相変わらずもうろうとしている。姪の夫が見舞ってくれた6月18日ごろの方が意識がはっきりし、目つきも良かったように思う。

7月12日
・尿の計量器外す
 [状況]角田看護師長がガラスの尿計量器を外した。尿の出が順調なので時間毎の計量が必要なくなったためだ。川端診療部長が回診。「だんだん良くなってきましたね」と言ってくれた。

7月13日
 [状況]心配していた通り二酸化酸素の量が増え、元の人工呼吸器に戻した。母親の介護をしているNさんが昨夜、苦しそうなうめき声が廊下にまで聞こえていたという。
 それで疲れたのか、ほとんど自呼吸をしない。13:00、機器に呼吸を任せて静かに眠っている。6月28日から自呼吸で過ごす日が多かったのに、元へ逆戻りしてしまった。「これでいいのだろうか 」。妻はまた心配になる。
 新谷医師が「大きく息をするように」と自呼吸を促し、小林医師は動脈からの採血の結果、「二酸化炭素が増えていたが、酸素量もかなりあった」と報告。大塩療法士のリハビリは10分間。 

7月14日
 [状況]鼻から胃に通している管をまた抜いてしまった。入れ直したが、口をもぐもぐさせて落ち着かない様子。管が胃に入らず、口内でどくろのようにぐるぐる巻きになっていた。パイプを抜いたら血が付いていた。「さぞ痛かっただろう」。妻は涙が出た。
 再度入れ直したパイプがまた口内に留まってしまい、出し入れを3度、4度と繰り返す。昨夜苦しみ、今日は再三の管の入れ直し。元気をなくしてしまった。
 小林医師は「管の具合が悪ければ、食物を胃に直接入るように穴を開ける方法もある」と示唆した。X線撮影の後、大塩療法士のリハビリ。「頭がかなり混乱しているようだ」という。妻は「悲しいけれど時間がかかりそう」とメモに記した。
 
7月15日
 [状況]朝方、口の中に管が残っているのがわかり、また入れ直した。なんと5度目。自分の場合は挿入しにくいのだろうか。今度はうまくいったようで、夕刻、ブドウ糖液を入れた。気管切開した部分が赤く腫れて、消毒と塗り薬の世話になった。
 咳込みが続いて苦しそうだが、リハビリでは手に力が入り、足の動きも良かった。明日から3連休。大塩療法士から軽い自主トレをとの宿題が出た。

7月16日
 [状況]咳込みが続くので胸の辺りが痛そう。生気がない。ブドウ糖液を100ccずつ2回注入。血圧は高め。
 日中はリハビリ(自主)のために両手首の固定ベルトを外しているが、妻が帰宅するときはベッドの柵に固定する。自由がきかないので悲しそうな顔をするが仕方がない。
 無意識のうちに口や喉のパイプを抜いたりしたら大変だ。とくに、喉に埋めている人工呼吸用のパイプ本体を抜いたら命に関わる。妻は心を鬼にして毎夜、実行している。
[そのころの夢幻]
 
妻は近くに寺院を構える新興宗教に凝っている。手首のベルトは金色で呪文らしきものがびっしり書かれている。「外して」とねだる自分に、妻は「そんなことしたら罰が当たる」と取り合わない。またまた、夢と現実の混濁。やっぱり頭がどうかしている。

7月17日
 [状況]妻が持参した鏡でわが顔を見た。はじめは嫌がったらしいが、しぶしぶ応じたようだ。トイレへ行くといってベッドから降りようとしたり、パイプを外そうとしたり、自分が身動きできない病人であることがわかっていない様子なので、なんとか現実を認めさせようとの妻の試みだった。
 喉や鼻に延びるパイプ、切開部分に張られたガーゼなどを見た感想はどうだったのか。「ひどい姿だろう」との妻の声にもまったく反応を示さなかった。やっぱり頭がどうかしている。
 きょうも咳込みが激しくて苦しそう。何かを訴えているが、声が出ないので妻には理解できない。そんな妻に腹を立てて握っていたタオルを叩きつけた。

7月18日
 [状況]胸が痛そう。大きく息を吸おうとするが思うようにならない。新谷医師は「呼吸が浅いので、深呼吸をするつもりで」と促す。
 貧血注射、ブドウ糖液注入があり、看護師たちは痰除去に忙しい。床ずれ防止の枕を外すので困る。妻が何度説明しても聞いているのか、いないのか。一瞬の早業で抜いてしまう。
 妻は今日も鏡を見せて現状認識させようとするが、肝心の頭がぼーっとしている。遠来の友人、Uさんのことも、姪の夫が見舞いに来たこともまったく覚えていない。悲しいことだ。

7月19日
 [状況]咳込みが多くて胸が苦しそうだ。額には汗がにじんでいる。自呼吸が浅いのか、人工呼吸器の赤ランプがたびたび点灯。池田院長の回診。「お大事に」の一言だけで引き上げた。大塩療法士はリハビリの成果が徐々に現れていると評価してくれた。
 夕刻、W主任看護師に睡眠薬がほしいとねだる。声が出ないので、口の動きを読み取ってもらおうと懸命だ。咳込みがひどくて眠られないらしい。妻は今日も鏡を見せた。さまざまな機器にパイプで繋がれていることが、どうも理解できないようだ。
 読むこともできないのに新聞がほしいとか、旅行の際に背負っているザックを持ってくるように催促したり。何を考えているのやら…。

7月20日
 [状況]ハーハーと呼吸が荒い。ゆっくり、大きく呼吸するようにいわれるが、できないようだ。昨日様子を見に来てくれた岸田医師は「胸の筋肉に力がないからだ」といっていた。
 昼どき、ブドウ糖液に代えて栄養剤を注入。妻が足の爪を切ってくれている間に、今度は喉のパイプの先端を抜いてしまった。本人はけろっとしている。昨夜は鼻のパイプを抜いたらしい。元気が出てきたら出てきたで、新たな心配が起きる。
 このところ血圧は上が130-150、下が100-70前後で推移している。尿は1日おきに多かったり、少なかったりを繰り返しているが、問題はなさそう。

7月21日
 [状況]新谷医師が「まだ肺に白い陰がある」といっていたが、まずまず平穏な1日。リハビリで膝を跳ね上げることができた。
 呼吸数が多く、息の吸い込みが浅いのは胸の筋肉が弱いためで、妻も「頑張れ」とはいえないようだ。

7月22日
 [状況]咳込みが激しく、今日も忙しげな息づかい。100の数値をキープすることが多かった酸素量が、一時は94に下がった。しんどさのあまりゆっくり呼吸ができないのだ。新谷医師は「人工呼吸器から送る酸素量を減らしているので、数値が96、97でも問題ない」といった。
 また、喉パイプの先端を抜いた。妻は鏡を見せて、パイプの大切さを説く。意識がはっきりしないのか、北海道・千歳の友人、Kさんから手紙が来たと伝えても反応を見せなかった。
 夜、流動食200ccを注入。その間も咳き込んで苦しそう。妻は「苦しさの頂点のよう」と表現した。
 
7月23日
 [状況]新谷医師が喉に埋め込んでいるパイプを交換。2週間もすると雑菌が付着するので定期的に取り替える。今日から点滴の栄養補給を減らし、流動食で補うことになった。
 痰が多い。除去してもらうときはかなり辛そうだ。疲れきった寝顔を見る妻は「こんなに苦しい思いをしているのだから、なんとか助かってほしい 」と願う。

7月24日
 [状況]咳込みで苦しむ。呼吸数も多い。体温は常に37度を上回っている。このところ抗生剤を使っていない。多用すると、良質の菌を殺し、悪質な菌を繁殖させることもあって、見極めが難しいらしい。
 午後になっても、激しい咳込みが続く。「肺の炎症は治らないのか?」、「助かる見込みはあるのか?」。妻のメモには悲観的な疑問符が並ぶ。

7月25日
 [状況]咳込んで呼吸が荒い。人工呼吸器は赤信号の連発だ。これで過呼吸による危険信号は1週間続いている。新谷医師は動脈から採血。貧血予防の注射もする。
 うつろな目で「ザックを持ってきて」とねだったり、流動食の注入中に寝込んでしまったり、頭は混濁し、憔悴しきった感じだ。
 声が出ないうえに、左耳がだんだん遠くなってくる。看護師が意思の伝達手段として「あいうえお…」の50音ボードを貸してくれた。しかし、指が震えて目的の文字を上手く指させない。

7月26日
 [状況]しばらく休んでいた抗生剤を点滴。相変わらず咳込みがひどく、痰の量も多い。睡眠薬をほしがったり、急に寒いと言い出したり、心身ともきわめて不安定。
 流動食後に咳止め、胃薬なども注入しているが、咳込みには役立たないよう。熱もあり、しんどそうなのでリハビリは少しだけ。

7月27日
 [状況]抗生剤を注入し、尿のパイプを交換。やはり咳込みが辛そう。流動食の量が300ccに増えた。妻は鏡を見せて現状をわからせようと懸命だが、3か月以上も寝たきりなので理解が困難なよう。
 午後になっても咳込みと過呼吸が続いて苦しそう。「リハビリで手足は回復に向かっている」との大塩療法士の言葉が、最近にない朗報だった。

7月28日
・CTスキャン
 [状況]小林医師が動脈採血の結果を報告。「肺の具合が良くない。いまの抗生剤を1週間ほど続け、様子を見て別のものに代えるつもり」という。この日も咳込みが激しいが、医師が診察に来るとなぜかぴたりと止んでしまう。咳込みの苦しさを見てもらいたいのだが、ままならないものだ。
 妻は油性ペンを持たせて文字を書かかせた。結果は無惨。手が震えて力が入らない。「ミミズが這ったような文字」にすらならなかった。
 呼吸数が異常に増えることがあり、痰には血が混じって、本人は「今日は最悪」と口を動かした。

7月29日
 [状況]新谷医師が昨日のCTスキャン結果を報告。「肺に炎症があり、水がたまっている。長い目でみて治療をしていく」と告げた。血圧、尿、便などはまずまずだが、咳込み、過呼吸はおさまらない。妻は「ゆっくり呼吸」を呪文のように唱えているが、なかなかいうことを聞かない。
 用事があるときに看護師を呼ぶナースコールの器具をタオルに巻き付けて握っている。目つきが変だ。妻がいるのに何かにおびえている様子。心身ともに不安な日が続く。

7月30日
 [状況]咳込みが激しく、痰の量が多い。絶不調な体ながら昼前に空腹を訴えた。そんな感覚を呼び戻せただけでも進歩だ。リハビリのつもりだろうか、自分で手を動かすことがあった。妻が「私をわかる?」と聞いたらウンとうなずいた。
 明日、病室を替わるので、妻は身辺整理に忙しい。帰宅時、手をくくろうとしたら自分からやせ衰えた細い手を差し出した。今日は良い調子だった。

7月31日
・病室移転
・右足指に痺れ
 [状況]新装の北館4階の453号室に移った。看護師4、5人がベッドを押し、小林医師が酸素マスクを当てての移動。狭い部屋にさっそく機器が取り付けられた。
 この期に及んでもまだ意識がはっきりしない。これまで3か月以上も世話になった病室が1階とばかり思っていたのに実は6階だった。移動の際、妻に隣室にあるパソコンを持ってくるように迫って困らせた。夢をいまだに引きずっている。
 夕刻、50音ボードの文字を指さして「右足が痺れている」と訴える。前からしいが、これまで上手く表現できなかったようだ。妻が帰宅時、ボードで「早く寝なさい」といった。これは理解できたようだ。

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