後編2(市立敦賀病院編B


9月1-2日
・エアーマット撤去
 [状況]1日は重症患者用のエアーマットが撤去された。ベッドのクッションが悪くなり、痩せこけた背やお尻が痛い。病衣は体を動かしやすいようにと、寝間着からパジャマに替わった。超過密ダイヤながら血圧や体温は安定。
 昨日の血液検査の結果について、新谷医師は「肺の炎症は一般の人の風邪程度」といった。そろそろ喉のパイプ本体を抜いても良さそうとの見通しも示した。
 2日は痰の量、咳込みも少なく、目に見えて回復している。抗生剤を変えた効果が現れているようだ。
 
9月3-4日
 [状況]3、4日とも休む間もなく、決められた作業が進行。この間からときどきお茶を飲んでいるが、量は10ccとか20ccどまり。気管に入ったら怖いので、ごく少量にとどめている。
 リモコンを操作してベッドの背を上げ下げしたり、団扇を使ったり、手の方は少しずつ役立つようになってきた。

9月5日
・喉のパイプ撤去
 [状況]新谷医師が痰を除去した後、喉に埋めていた人工呼吸器のパイプを撤去。しばらくは鼻の管から酸素をいれる。切開の切り口は自然に閉まるという。
 喉のパイプがなくなったので、今後の痰除去は鼻や口からしてもらうことになる。これはかなり苦しい。自力排出できるように頑張りが必要だ。何度も様子を見に来てくれた新谷医師も「本人の頑張りに期待します」という。

 夕刻、訪れた角田看護師長が「死の淵から這い上がった生命力のすごさ。私たちもたくさん学ばせてもらいました」と目頭を赤くした。「皆さんに助けていただきました」と応える自分も涙があふれた。傍らの妻も感謝の涙、うれし涙だった。看護師たちも「おめでとう」を言ってくれる。

9月6日
・不在者投票
 [状況]昨夜はやや不安で寝不足。痰が少なくて助かった。今日も過密ダイヤで忙しいが、体調は良い。咳と一緒に痰を自力排出できている。リハビリで胸の筋肉がついてきたのかも知れない。
 自呼吸が順調なので鼻の管からの酸素がやめになった。鼻には流動食の管があるだけ。ベッド周りは段々すっきり。
 リハビリで横向きになったり、5分ばかり座ったり出来た。尿取りパットの世話になっていた尿も昼間は尿瓶での排出に切り替えた。
 衆院選の不在者投票。先日から文字を書く練習をしているが、手が震えてまだまだ。投じた候補名はミミズ文字だった。
 

9月7日
 [状況]喉の切り口が徐々に締まって、声が出かかっている。
 自主トレの座る練習は15分にのびた。ベッドに腰掛けて足をだらんと下げる練習をしたが、手や足の先端がたちまち紫色に。まだまだひ弱い。この運動は車いすに乗るための基礎訓練。これからも続行する。
 鼻が詰まって寝苦しい。流動食のパイプが原因。

9月8日
・声が出た
 [状況]感激の日。ナースコールで発声テストをしたら「よくわかりますよ」の返事。看護師に通じた。喉を切開してから声のない生活が続き、このまま治らないのではとの不安に駆られたことも再三再四。声が出た!。嬉しかった。
 この日から抗生剤の点滴が1種類に。リハビリは横向きから座る連続動作。車いすに乗るために必要な訓練だが、厳しかった。
 夜の点滴どき、M、I、Aの看護師3人が来て、しばらく談笑。意識もうろうのときに見た夢の話、旅行の話など楽しかった。お付き合いをありがとう。

9月9日
[状況]朝食の後、点滴までの時間に座る訓練をした。背もたれは必要だが、20分以上は座れた。筋肉の衰えを取り戻すのは並大抵のことではない。訓練あるのみだ。
 屈強なプロレスラーでも3か月間寝たきりでいると、筋肉が落ちてしまうそうだ。自分の場合は4か月以上も寝たきり。へなへなになるのは当り前だ。回復までには寝たきりでいた期間の倍、いやそれ以上かかるという看護師もいる。自主トレの重要性をますます教えられた。
 流動食の管を交換。4回目でやっと成功。苦しくてゲーゲーの連発だった。

9月10日
 [状況]スケジュールに追われる。妻が国立病院から市立病院へ移った事情を説明してくれた。国立病院のことも自分が生死の淵をさまよったこともまったく覚えていない。「そんなことがあったのか」。まるで他人事のようだ。
 7月下旬まで意識がもうろうとしていたので、それ以前の記憶が定かでない。夢と現実とを混同して、妻によく笑われる。最近は変な夢を見なくなった。心身共に健全になってきた証だろう。

9月11日
 [状況]夜間、パイプ類を抜かないようにはめられていた手首のベルトが外された。意識がはっきりしてきたので、もう悪さはしないだろうとの判断。昼夜とも自由の身になれた。
 W主任看護師が熱いタオルで体を拭いてくれた。長い間風呂に入っていないので、気持ちが良かった。朝から自主トレに頑張り、体調も良い。しかし、咳と痰、足のしびれだけは縁が切れない。

9月12日
・喉のリハビリ開始
 [状況]喉のリハビリが始まった。切開した部分が閉じたので、物を飲み込む訓練というわけ。宮木言語聴覚士が担当。しばらく使っていなかった喉の筋肉は衰えて飲み込む力がないのだ。
 1ccと3ccの水を飲んだ後、「あ〜」と声を発して筋力の程度を確認。本格的な訓練は明日からになる。喉のリハビリが加わって過密ダイヤにさらに拍車がかかった。

9月13日
 [状況]本格的な喉の訓練。宮木言語聴覚士は定規を使って体を起こす角度を測ったあと、小さく切ったゼリーを少しずつ口に入れてくれた。ときどき「あ〜」と発声して、上手く飲み込めたか確認しながら作業が進む。
 くしゃみをしたらゼリーの小さなかけらがポイと飛び出した。気管に入ったら大変と、慎重だった宮木言語聴覚士もびっくり。鼻から通している流動食の管に引っかかっていたらしい。ゴックンとひと口飲み込むのにもかなりの労力が必要で、小さなカップの半分ほどを残してしまった。
 
9月14-15日
 [状況]14日、このところ体温、血圧ともに良い状態が続いている。体のリハビリはベッドに腰掛けて足を垂らす。酸素の測定器のピー音が減った。徐々に慣れてきたようだ。
 15日は落ち込んだり、喜んだり。昨日調子が良かった足のだらり運動でピー音が連発。大塩療法士から「もっと座れるようにならないと、車いすは無理」と言われて、がっくり落ち込む。 その後のゼリー飲み込みは上手くできて、少し気分が良くなる。血液検査の結果は良好。

9月16-17日
 [状況]16日も体と喉のリハビリ。腕を上げるのが辛い。肩の筋肉が固まっているらしい。青リンゴ・ゼリーのカップを平らげた。宮木言語聴覚士は13日のゼリー飛び出しを気にしている様子。このところ痰を出やすくする点滴も行っている。
 17日はリハビリなし。自主トレで座る訓練。新谷医師の聴診は「胸の音はきれい」だった。

9月18-19日
 [状況]18日は中秋の名月。流動食の傍らに「素晴らしい月が見られるでしょうか。1日も早い回復を」とイラスト入りのメッセージが添えられていた。栄養管理室の心遣いだ。昨年は中国で眺めた名月。今夜はベッドの上で天井を眺めることしかできない。体のだるい1日だった。
 19日は窓を開けて爽やかな秋風を入れた。外の風に触れるのは入院以来初めて。咳込みはあるものの体温、血圧は安定。忙しいダイヤをこなす。

9月20日
 [状況]入院5か月目に入った。喉のリハビリで青リンゴ・ゼリーの味がわかった。妻と2人3脚の自主トレが真面目に続いている。手足を触る妻は「少し肉が付いてきたよう」と言ってくれた。

9月21日
・点滴やめる
・吸入やめる
 [状況]特記すべきは点滴と吸入がなくなったこと。点滴は抗生剤から痰を出やすくする薬に代わっていたが、それも必要なくなったのだ。また、妻の仕事だった吸入もストップ。歯磨きや髭そりは自分で出来るようになった。病状は日に日に好転している。
 昨日の血液検査の結果も「9割がた良くなった。肺の炎症はもう少し」(新谷医師)という。新人のM看護師が「こんなに元気になられたのですね」と驚いていた。彼女は重症の間、病室には入れなかった。
 A、M看護師が可愛らしいゴミ箱を作って、ベッドの柵に取り付けてくれた。おかげで痰を拭いたティッシュぺーパーを自分で捨てられるようになった。

9月22-23日
 [状況]22日はリハビリのゼリーがやや大きめに。噛み砕いて飲み込む練習も。明日から3連休。宮木言語聴覚士から「口や舌を動かす自主トレをするように」との宿題が出た。
 23日は少しだが新聞を読んだ。見出しだけの拾い読みから記事を読むまでに1歩前進。
 流動食用の鼻の管はこれからもしばらく続けることになった。病状が改善されたとはいえ、食後には6種類の薬を飲んでいる。これが減るのはいつのことだろうか。
 ハーバード浴決定の知らせ。体調が良いので風呂に入れてあげたいと言っていた看護師たちの心遣いが実った。H看護師が「祝 ハーバード浴決定」のメッセージを届けてくれた。

9月24日
・遠来の友3度目
 [状況]加古川市の友人、Uさんが3度目の見舞いに。これまでの2回は記憶になくて失礼したが、今日はしっかり対応が出来た。「これならもう大丈夫」と太鼓判を押して引き上げた。
 妻が熱いタオルで背中を拭いてくれた。いま一番のご馳走だ。昼間は妻がこまごま世話を焼き、自分でも出来ることが増えたので、看護師は定時の血圧、体温測定、週に2回のシーツ交換などの際に姿を見せるだけになった。夜は別にして、ナースコールもほとんどしていない。
 小林医師も新谷医師に任せっきりで、姿を見せることは少なくなった。手のかからない患者に昇格したということだろう。

9月25-26日
・ハーバード浴
 [状況] 25日から6種類の薬が昼間だけ2種類に減った。咳込みが少なく、痰も自分で出した。
 26日は待望のハーバード浴。ベッドで入浴室へ。妻やT看護師が体をこすると、5か月間の垢がぼろぼろ。マットに乗ったまま入浴。ジャグジーの気持ちが良いこと。顔も体もつるつるになった。
 小林医師が血液検査の結果を「肺の炎症がなくなった。これですっきりした」と報告。また新谷医師はレントゲン検査も良かったという。喉のリハビリは体を起こす角度が60度にアップした。嬉しいことずくめだ。 

9月27日
・立つ訓練
 [状況]吸入がなくなって、少しだけ時間の余裕が出来た。その分、自主トレに時間が割(さ)ける。
 大塩療法士の肩に手をかけて立った。膝下がぶるぶる震えて10秒も持ちこたえられなかった。ベッドにどすんと腰を落とす姿は哀れ。あまりのひ弱さに愕然とした。「焦ることはない。ゆっくりやりましょう」との励ましに救われた思い。
 喉のリハビリで飲み込んだゼリーが鼻からの管に引っかかるようなので、29日に管を抜いて試験食に切り替えることになった。心電図や酸素のセンサーを取り外したので、管が取れたら身の回りから医療器具がすべて消えることになる。
 「周りの物がなくなりだしたら早いですよ」といっていた角田看護師長の言葉通りに事が運んでいる。血液透析の水口主任がその後の様子を見に来てくれた。

9月28日
 [状況]立つ訓練。20秒ほど頑張ることができた。最近の血圧は降血剤の効果もあって135-90止まり。痰は相変わらずだが、自分で処理できる。

9月29日
・鼻の管を撤去
・試験食に
・弟夫婦ら見舞い
 [状況]今日はまたまた記念すべき日。煩わしかった流動食用の管が外された。流動食から試験食へ昇格。昼食時、宮木言語聴覚士立ち会いでスタートした。お粥も、うどんも、緑色野菜もすべてミキサーでとろとろに。そのうえ、さらにとろみ剤を混ぜた通称「とろみ食」。
 少量をゆっくり、慎重に飲み込む。「あ〜」と発声したり、聴診器を喉に当てて、上手く飲み込めているかどうかを確認しながら食事は進んだ。今後、日に3回の食事はすべて試験食になる。 
 夕食前に思いもしなかった来客。北海道から弟夫婦と義姉、姪の4人が見舞いに来てくれた。電話でしばしば病状を連絡、昨夜も姪に「良好」の知らせをしたばかり。遠方なので見舞いは断っていたのだが、ひょっこりとやってきてくれた。
 鼻の管が取れてすっきりした姿を見せることが出来てよかった。宮木言語聴覚士が立ち会ってくれた夕食の様子を見て「元気になった」と安心していた。同席していたT看護師は「優等生患者さんですよ」と笑わせた。

9月30日
・車いすに乗る
 [状況]朝食に立ち会うため、妻の”出勤”が早くなった。流動食の時は看護師任せだったが、試験食は自力で飲み込む。万が一、誤って気管にでも入ったらそれこそ大変。宮木言語聴覚士がいないときは妻が代役をする。またまた妻との2人3脚の開始である。
 朝方、弟夫婦らが帰郷の挨拶に。生の喜びを確かめ合い、涙の握手を交わして別れを惜しんだ。
 昼食だけは宮木言語聴覚士が立ち会ってくれる。お粥、卵、ニンジンなどのとろみ食だが、味がわからない。食べ慣れた青リンゴのゼリーだけは冷たくて美味しいと思った。
 大塩理学療法士が車いすに乗せて、4階病棟を1周してくれた。「少し座れるようになったから」と思いがけなく早い乗車。ナースステーションの前を通ったら、居合わせた看護師が「やった、やった」と喜んでくれた。
 お世話になった新谷医師は明日から麻酔科へ移る。感謝の気持ちでいっぱいだ。


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