後編5(市立敦賀病院編B


12月1日
・間質性肺炎か
 [状況]野坂岳が銀世界に。師走。病院暮らしも長くなった。呼吸器内科・出村医師の診断日。肺に関して講義を受ける。@4月の肺炎が尾を引いているA別の肺炎になったB薬アレルギーによる肺炎などが考えられるという。自分の場合は、原因不明だが間質性肺炎の疑いが濃厚とのこと。来週、肺活量などを調べることになった。

 間質性肺炎は肺胞の壁(間質)に炎症がおきる病気。別名を肺線維症ともいい、びまん性肺炎の形を取ることが多いという。厚生省指定の難治疾患118の1つで、発病率は10万人に5人程度といわれている。
 肺に線維化が起こって肺が固く縮み、ついには呼吸ができなくなり、死に至ることもある病気だとか。えらいことになったものだ。

 午後、一時体温が上がって心配したが、その後は落ち着いた。岸田医師が血液検査の結果、アレルギー反応の数値が高かったと報告。薬アレルギーが考えられるので、4種を1日に3回服用していたが、明日からは朝食後に1回、降圧剤だけ服用することになった。  

12月2日
 [状況]動脈からの採血検査。酸素の吸い込みは少ないが、二酸化炭素はちゃんと排出されていた。リハビリは20、30、40cmと高さを変えた台に腰掛け、そこから立ち上がる訓練が多くなった。今日は45cmのベッドから20回の立ち上がり。息が切れる。
 高めだった体温が夕刻になって38度を超えた。岸田医師も駆けつけ、解熱剤の座薬を入れて急場をしのぐ。夜、発汗してナースステーションに連絡。M看護師がパジャマや半袖下着を交換してくれた。その後の測定では37度台に落ち着いた。

12月3-4日
 [状況]3日は午前中、36度台だった体温が、夕刻になって38度近くまで上昇。氷の世話になった。どうも調子が良くない。
 4日も午後になって、体温が上昇。額に冷たいタオルをおき、脇には氷を入れた。夜中に咳込みあり。
 
12月5-6日
 [状況]5日の体温は36度台をキープ。岸田医師の聴診でも胸の音は良好。杖でリハビリ室を計6周した。
 6日も体温は安定。回診の川端診療部長は「ここまで元気になられて、良かったですね」と言ってくれた。リハビリは30cmの台から立ち上がりを計20回。これはしんどい。息切れしてよれよれの状態だが、大塩理学療法士は「予定より10日は早く進んでいる」と褒め言葉。

12月7日
・肺活量など測定
 [状況]体温、血圧ともに安定。リハビリで初めて病棟の階段を上った。2階までの20段ほど。杖を頼りに何とか上り下りができた。廊下を杖で歩く姿に角田看護師長が「もう、びっくり」と驚いて見せた。
 肺活量測定を担当した技師は「普通の人並みですよ」と喜ばせてくれた。岸田医師が血液検査の結果を「アレルギー反応の数値が少し低くなり、白血球も7200に減少。ただ、食べる量が少ないので、栄養不良気味」と報告。

12月8日
 [状況]8日は呼吸器内科・出村医師の診断日。昨日の肺活量などの測定結果について「あまり悪くはないが、線維質がやられている。これは治らないだろう」と悲観的。
 昼夜、トランクスになってすっきり。泉佐野市のKさんが自宅の庭で採れたカキや和菓子を、また先日は西宮市のMさんが有名菓子店の洋菓子を送ってくれた。2人とも旅を通じての友人。感謝。

12月9日
・肺炎球菌ワクチン
 [状況]肺炎球菌ワクチンを注射。5年間は同じ肺炎に罹りにくいそうだ。
 咳込みや痰が多い現状に、大塩療法士は「この調子で体力が回復すれば、肺も良くなるはず」と慰めてくれる。
 廊下の壁に、1週間以上ベッドで安静が必要な患者を対象にした「廃用症候群」についての注意書きが張り出されていた。
 それによると、脚力は1週間で20%。2週間で40%、3週間で60%という具合に低下する。脚力の低下は身体的ばかりでなく、精神的な機能の低下も招く。「廃用症候群」と呼ばれる現象で、早期のリハビリが必要とあった。
 自分の場合は、意識が戻っていなかった段階から始めてくれたので、順調に回復できたのだろうと喜んでいる。 

12月10日
 [状況]リハビリは20cmの台からの立ち上がりなど。これは厳しい。杖だけで病棟の廊下を2往復。その距離ざっと240m 。われながら「やった」と思う。T看護師が「奇跡が起こった」といった。彼女は最悪の状態を知っているので、その言葉には「よくぞここまで」との実感がこもっている。
 食事の量が少しずつ増え、体にも徐々に肉がついてきた。
 
12月11日
 [状況]体温、血圧とも良い調子。杖で廊下を歩いていたら、小林医師が「もうすぐ、外出ができそうですね」と声をかけてくれた。 
 歩行訓練の際に他の医師とも出会う。「お元気ですね」、「しっかり歩けるようになりましたね」などと言ってくれる。そのひと言で元気百倍、ますます意欲がわいてくる。

12月12日
 [状況]12日も体温は36度台。病棟の廊下を2往復しただけで息切れがした。「順調な回復」、「早い回復」と褒めてくれるが、まだこの程度。持続力のなさを思い知らされた。
 このところ、看護師の訪問がめっきり減った。北病棟の4階には個室が8室、大部屋と称する4人部屋が8室あり、常時、8割方は埋まっている。それらの患者を20人あまりの看護師が3交代で看護している。手のかからなくなった患者に足が遠のくのは至極当然な話だ。

12月13日
・どか雪
 [状況]昨夜から降り出した雪がどか雪に。妻は玄関前の雪除けをし、疲れた体をおしていつもの時間に来てくれた。
 体温、血圧とも安定。池田院長が回診。「歩けるか?。退院はまだか?」の問いに、持続力がないと答えたら、「長い間寝ていたのだから当たり前だ」と言われた。

12月14日
・インフルエンザ・ワクチン
 [状況]雪が降り続き、妻は"長靴出勤”。リハビリは屈伸、回転起きなどの後、病棟の階段を2階まで上り下りした。インフルエンザの外来患者が増えたので、岸田医師の勧めでワクチンを投与してもらった。
 血液検査の結果はおおむね良好だが、相変わらず栄養が不足気味という。
 
12月15日
・体重61kg
 [状況]体重を測ったら61kgだった。入院前よりマイナス14kg。これでも少しは肉がついてきたので、最も痩せていたときはマイナス17kg前後だったろう。「顔をもう少しふっくらさせたい」というのが妻の思いだ。
 呼吸器内科の出村医師から「間質性肺炎のマーカーが出ている」といわれた。次回は採血してアレルギー検査をするという。厄介なことにならなければよいが…。咳き込む度に不安が募る。
 間質性肺炎のことを岸田医師に話したら「片肺だけで普通に生活している人もいますよ」と慰めてくれた。

12月16-17日
 [状況]16日は太陽が久々に顔を出して銀世界を輝かせた。野坂岳も光っている。「もう1度登れるか」などの思いを込めて、しばし眺めていた。夕刻、ひどい咳込みがあった。
 17日も晴れ。病棟廊下の散歩を続ける。散歩中に各部屋回りの看護師たちと会うことが多く、ひと言、ふた言の会話を楽しみにしている。

12月18-19日
 [状況]18日は一時、猛吹雪に。気象庁の長期予報では暖冬だったはずなのに…。今日も廊下歩きの自主トレ。
 19日のリハビリは回転起きや30cm台からの立ち上がりなど。今日は体がだるい。病院の玄関にクリスマスツリーが飾られ、歳末の雰囲気を演出している。

12月20-21日
 [状況]20日から妻の”出勤”が早まった。病院の厨房が大雪で損傷し、仮厨房へ移ったため食事の時間が少しずつ早まった。4:30に起床、7:15には"出勤"。介護も大変だ。
 この日で入院8か月目。歩行訓練は自主トレ任せになった。
  玄関のツリー前で看護師たち出演の患者のための「Xマスの集い」が開かれた。
 21日は血液検査の結果が良好だった。栄養状態もわずかながら改善されてきているという。

12月22日
 [状況]出村医師の診察で「喘息(ぜんそく)の気がある。風邪に注意を」といわれた。レントゲン検査では異常はなさそう。
 病棟廊下を休憩なしで3往復、計360mを歩く。その姿を見た小林医師が「正月は自宅へ帰ってみますか」と、また人工透析の水口主任は「院内は雑菌がうようよ。元気になったら1日も早く抜け出すことだ」と言ってくれた。
 しかし、4月以来、25度の常温生活に慣れきった体。外気温1度、寒風の"シャバ"に出る勇気はない。「風邪が心配。ここで年を越します」と応えた。

12月23-24日
 [状況]23日は大雪。廊下散歩の時、杖なしで短距離を歩いた。ちょっとした冒険心だったが、よろめかずに歩けて自信を得た。
 24日も雪やまず。廊下散歩で岸田医師に会う。「調子良さそうですね」の言葉に、素直にうなずいた。Xマスイヴなので、夕食にローストチキンとケーキがついた。病院もいろいろ配慮をしてくれる。

12月25-26日
 [状況]25日は咳込みはあるが、体温、血圧ともに安定。
 26日のリハビリは苦手な立ち上がり。それも20cm台、30cm台からをそれぞれ10回。厳しい!。廊下の歩行訓練は少しずつ距離を延ばして440m。岸田医師が胸の聴診。きれいな音だった。

12月27日
 [状況]内科回診。川端診療部長の問いに、岸田医師は「リハビリの外泊OKを待っている段階」と説明。
 また、岸田医師から4人部屋へ移ってはとの話も持ち出されたが、個室にこだわったら、すぐに了解してくれた。入院が長引いているので、我が家の財政に配慮してくれたのかも知れない。

12月28日
 [状況]仕事納め。リハビリは今日を最後に当分休み。リハビリ室からの帰り、正面玄関から自室まで歩いて戻った。大塩療法士の肩に手をおき、ぶるぶる震えて立ち上がった、あの日から3か月。ようやくここまでこれた。
 血液検査の結果は、栄養状態も改善されてほぼ良好。体温、血圧も安定。この状態で年を越せたら言うことなしだ。

12月29日
 [状況]院内の公衆電話で、県内外の友人たちに挨拶の電話。「Nです。ご心配ありがとう。良いお年を」。たったそれだけの声に「元気な声だね。おめでとう」と言ってくれる。ありがたきかな、マイフレンドだ。

12月30日
 [状況]最悪の2005年もいよいよ大詰め。正月を自宅で迎える外泊組があって、病棟も静かになった。こちらは黙々と廊下での歩行訓練。
 看護師たちと家庭の話などもするようになり、A看護師は「今日は我が家の餅つき」とにこにこ顔。

12月31日
 [状況]大晦日といっても格別なことはない。廊下歩行を計840m。杖をつかずに歩いていたらH看護師が「杖が浮いている」とびっくり。咳込みは続いているものの、体温や血圧が安定しているので安心して年が越せる。
 20:00の見舞客へのお帰りコールを除夜の鐘に代え、無間地獄からの生還に感謝しつつ、悪夢の2005年を送った。

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