●おしんは今も生きている

 イランは親日家、知日家の多い国。それには「おしん効果」が大いに寄与しているのではないか、そんな感想話です。

 イラン国内の町を歩いていると、ときどき「おしん、ジャパン」、女性には「ジャパンおしん」などと声がかかることがあります。
 それだけではありません。イラン観光でもっともセキュリティーが厳しいといわれている首都・テヘランにある宝物博物館でさえ、日本女性の場合は「ジャパン?おしん」でOK、OKです。厳ついガードマンがにっこり微笑んでさえくれました。

 あちこちで「おしん」、「おしん」と言われる女性たち。やや図に乗って自らを指さしながら「おしん」とやることがあります。
 そんな時、髭のおじさんたちが決まったように「おお、おしん、ジャパン」とオウム返しします。

 この国におしんが登場したのは十数年前。視聴率90%以上という怪物番組でした。革命の父、ホメイニ師が死去した1989年には追悼番組の時間を変更させたほどの人気だったそうです。

 ジャパン、おしんは、なぜこうも人気を博し、いまなお信頼の象徴となっているのでしょうか。いろいろな解説や分析があるようですが、こんな話を聞きました。

 1980年から始まった対イラク戦争が1988年に終結しましたが、双方痛み分けの結果に終わり、国の経済は病弊の極みにありました。国民の間に疲弊ムードが蔓延する中、いじめに耐えるおしんが登場したのです。

 「苦しいといったって、俺たちはおしんほどではない。おしんは気の毒だ」。視聴者の心に弱い者いじめに対する反発心がむらむらとわき起こったのではないか、と。それが大ブームに繋がったのではないか、と。

 理由はともあれ、日本ではとうの昔に忘却の彼方へと押しやられてしまった「おしん」が、イランにはまだ健在でした。

 「おしん、おしん」の親しみは、忍耐を耐え抜いたおしんへの敬意の念でしょうか。それとも同情なのでしょうか。イラン人の心には、どちらのおしんも共存しているように思われました。
 異国の地で思いもかけない「おしん」との再会。そんな心持ちになった数日間でした。

           (2001年4月のことでした)