●巡礼はホタテ貝とともに


 ピレネー山脈の麓から大西洋に至る北スペイン。カトリック教徒の聖地へ巡礼する人々の話です。

 大西洋に面したガリシア地方の町、サンチャゴ・デ・コンポステーラ。巡礼の人々は、ここに建つ大聖堂めざして世界各国から集まってきます。

 サンチャゴ・デ・コンポステーラは9世紀にキリスト12使徒の1人、大ヤコブ(スペイン語でサンチャゴは聖ヤコブのこと)のものとされる墓が見つかり、一躍脚光を浴びることになりました。
 
 11世紀に大聖堂が着工。エルサレム、ローマと並んで3大聖地としてあがめられ、多くの人がピレネー山脈を越えて訪れるようになりました。
 その道筋に次々と教会が建ったり、宿場が出来たりしてサンチャゴ・デ・コンポステーラまでの「巡礼の道」ができあがったそうです。

 高速道路や立派な舗装道路が建設されても細い地道の「巡礼の道」は、どっこい生きています。地道の要所要所には、徒歩で聖地をめざす人たちのために、ホタテ貝のマーク入り標識が完備されています。高速道路にも十字架やホタテ貝マークの標識が立っています。

  昔の巡礼者はマントを着て、つばの広い帽子をかぶり、手にはホタテの貝殻がぶら下がった杖をついて何千キロも歩いたとのことです。 
 現代の巡礼者は4つのタイプに大別されるようです。大きなザックを背負ってひたすら歩き通す人、自転車に大きな荷物を積んでペダルを踏む人、マイカーの人、手軽なバスツアーに参加する人、です。

 タイプは違っても巡礼者たちが必ず携帯しているものがあります。それは十字架を描いたホタテの貝殻です。
 何故、ホタテ貝なのか。それには諸説があるそうです。例えば、貝殻で聖水をすくって洗礼に用いたから、また大西洋で採れたホタテを土産ものとして売り出されたから、等々です。

 ピレネー山脈の麓から専用バスで西進した私たちは、あちこちで巡礼者たちに出会いました。花の季節を迎えたこの時期は、例年多くの巡礼者がやってきます。

 高速道路に沿って細々と延びる地道を黙々と歩く人々の足もとには、真っ赤なアマポーラの群生や白、紫、黄、ピンクなどの野花が咲き乱れています。きれいな花々に励まされながら一歩一歩、踏みしめているはずです。
 バスの横をマウンテンバイクのペダルを踏んで進む派手なユニフォームのグループもあります。 

 四国八十八カ所巡りでお目にかかる白装束姿のような定番スタイルはありません。まったく自由な服装です。四国巡礼の場合は各札所を回るのが目的ですが、こちらはただ一カ所、サンチャゴ・デ・コンポステーラへたどり着くことが目標です。

 レオンで出会った年配の夫婦は「私たちはアメリカ・カリフォルニアからきました。フランス国境から歩き通し、サンチャゴ・デ・コンポステーラまで頑張ります」といっていました。すでに1000キロは歩き、さらに300キロはあるはずです。
 「どうぞお元気で」と別れましたが、ザックの背では赤い十字架が描かれたホタテ貝が揺れていました。

 ガウディ作の司教館があることで知られるアストルガという町で出会った年配の夫婦はアルメニア人。6年前から1日13キロの巡礼行脚を続けているそうです。「今回でたどり着きたい」と頑張っていました。

 巡礼の道の難所といわれるセブレイロ峠で出会っ男性2人組はオランダ人。2400キロをひたすらマウンテンバイクのペダルを踏んで進んできました。強靱な肉体と精神力の持ち主です。その強さにあやかろうと一緒に記念写真を撮りました。

 また、サンチャゴ・デ・コンポステーラの郊外に「歓喜の丘」という小高い丘があります。ここに立つと彼方に大聖堂が見えます。
 やっとたどり着いた巡礼者は、遙かに大聖堂を臨んで、喜びの声を上げるところから、いつしか「歓喜の丘」とか「喜びの丘」と呼ばれるようになったそうです。

 丘には午前と午後の2回訪れてみましたが、2度とも巡礼者に会いました。
 イタリアの旗を振って喜んでいた男性2人組は大きな犬とホタテ貝をともにしていました。「しんどかった。でもやり遂げた満足感でいっぱいだ」。誇らしげに喜びを語っていました。

 沿道の教会の中には簡易宿泊所を設けているところもありました。粗末な2段ベッドでしたが、男性たちは洗濯をしたり、横になって疲れを癒したりていました。
 ホタテ貝や杖などのグッズを売っている店、救急車が配備された救護所も見ました。

 長期休暇を取って一気にという人、何年もかけてこつこつとという人、チャレンジの仕方はそれぞれですが、人生の最大事業であることに変わりはありません。
 巡礼を大義名分にしながらも、自分への挑戦の意味合いが大きいのではないでしょうか。無宗教の私にはそれ以上のことはわかりません。

 「何故、そんなに辛苦を重ねてまで」。その本心は四国巡礼の人々なら理解できるのではないでしょうか。。
 ともかく、巡礼の道で出会った人々の真摯な姿に心打たれたことだけは確かです。
                    
             
 (2000年5、6月のことでした)