●「ナマステ」に心和ませて

 人々の信仰が厚いネパール。その国で体験した挨拶のすばらしさについての話です。

 「ナマステ」。道行く人々が手を合わせ、頭を下げて挨拶。おはようございます、こんにちは、こんばんは。1日中、どんな時刻にも通用する挨拶用語です。
 大人は無論のこと、学童も、親に抱かれた赤ちゃんも「ナマステ」、「ナマステ」です。町で、村で目にする光景は礼儀正しい挨拶の洪水といっても過言ではありません。

 見ず知らずの観光客にでさえ「ナマステ」の雨が降ることも再三。2歳にも満たないような幼子が母親の「ナマステ」の声と同時に紅葉のような手を合わせます。登下校時の子供たちは、道を隔てていても声が涸れんばかりに「ナマステ」を叫び、手を合わせてくれます。

 大きな荷を背負った女性、農作業の男女、杖が頼りのお年寄り。観光中、あるいは道中で顔合わせると気さくに「ナマステ」が発せられます。こちらも「ナマステ」のお返し。そこに瞬時の笑顔が生まれ、心が通じ合ったような気持ちになります。

 日ごろ、これほどの挨拶に慣れてないので最初は戸惑いもあります。先方から手を合わされ、頭を下げられて、慌ててお返しをする、といった後れを何度も経験しました。
 それも2、3日だけのこと。「郷に入りては郷に従え」。すぐに慣れて「ナマステ」が滑らかに口から出るようになりました。

 ポカラの郊外にあるサランコットという展望のよい丘に上がったときのことです。頂上の第2展望台を目指す途中、気むずかしそうなおばあさんがいました。顔を合わせてもにこりともしません。むしろ、うさんくさそうな視線を投げつけてきます。これまでとは勝手が違いすぎて恐れをなし、その場はナマステの挨拶をぐっと飲み込んで通り過ぎてしまいました。

 ヒマラヤの連山を遠望しての帰路、再びおばあさんに出会いました。今度はすかさず「ナマステ」を発しました。その瞬間、おばあさんがにっこり微笑んで手を合わせてくれたのです。しわくちゃの笑顔。気がかりになっていた胸底の沈殿物がすーっと払いのけられた、そんなすがすがし気分になりました。
 
 坂を下る帰路の途中でこんなこともありました。1人旅らしい日本の若い女性がガイドを伴って上ってきました。すれ違いざま、「ナマステ」がお互いの口をついて出たのです。後はおきまりのにっこり。それほどにだれもが抵抗なく使える挨拶用語。それがナマステの神髄なのです。 

 旅も後半になると、「ダンネバード(ありがとう)」など、いくつかの言葉が習慣的に使えるようになりましたが、ナマステに勝る挨拶はありませんでした。もの尋ねたり、親切にしてもらった後にも真っ先に口をつくのは「ナマステ」です。「ありがとう」の意味にでも通用する、まったくもって便利な言葉です。

 日本でもかつては「こんにちは」、「こんばんは」がナマステ同様に使われたものですが、最近は頻繁に交わされるのは山登りをしたときぐらい。携帯に夢中のあまり、体当たりしても「すいません」すらない昨今の日本。寒々とする光景にいささか寂しい思いをしていたので、ナマステはよりいっそう新鮮な響きとなって琴線をとらえたのだと思います。

 「ナマステ」。それは人々の心を和ませ、心と心をつなぐネパールの宝物のように思えました。

                 (2003年11月のことでした)