●大男運転手の目が潤んだ


 南イタリアはシシリー島。大男のバス・ドライバーが目を潤ませて別れを惜しんでくれた話です。

 私たちがバスのドライバー、ロッコさんに出会ったのは南イタリア旅行の3日目でした。ナポリの近く、ポテンザに住むロッコさんは年齢35−40歳、身長180cm、体重90kgはゆうにありそうな偉丈夫でした。

 赤ら顔で無口。これからシシリー島へ渡るまでの間、お世話になるわけですが、私の第一印象は「取っつきにくい男」でした。

 大男、ロッコさんが運転するバスは、まずソレントから世界遺産のアマルフィへと向かいます。道路はテレニア海に沿った断崖、それもカーブの連続です。運転が乱暴なわけではありませんが、車酔いする人も出ました。
 「この男、運転技術は上等とはいえないな」。第一印象の悪さもあって、早々によからぬ評価を下してしまいました。

 そのロッコさんが時々、携帯電話をします。「あいつ、どこへ掛けているのだろう。もっと真面目に運転しろ」。悪く思うときというのは、一事が万事、こんな調子なのかも知れません。

 アマルフィのレストランでの昼食時。観光の名所ですから昼時のレストランは混雑しています。しかし、私たちが席に着くと、先客を追い越してすぐに料理が運ばれてきました。「なかなか気の利くレストランやな」。待ち時間がなくて空腹を満たせたのは上出来でした。

 ロッコさんのバスは、翌日にはプーリア州南部の小都市アルベルベロへ向かいました。添乗員があらかじめ教えてくれたコースと違う道を走ったりします。そして、昨日同様に携帯電話です。狭い峠道では雪が降ってきました。「大丈夫なのか」。不安が頭をもたげます。

 アルベロベロへは予定よりかなり早く到着しました。添乗員が「ドライバーが近道を選んで走ってくれたおかげです」と言いました。意外や意外です。悪印象の一部がはがれ落ちた思いでした。

 すぐ昼食ですが、早く到着したのでレストランの準備が出来ていないと思ったのですが、すぐに食べることが出来ました。昨日といい、今日といい、レストランには好印象を持ちました。

 イタリアを旅行された人は、食事の待ち時間にいらいらさせられた経験を必ず持っているはずです。それがないのは本当にありがたいものです。

 その後、カストロビッラリを経てシシリー島へ向かったわけですが、昼、夕食ともに待たされることは一度もありませんでした。先を越された先客が不服そうに眺めるのが気の毒に思えるほどです。

 その秘密はロッコさんの携帯電話にあったのです。行く先々に電話して、到着時間などを連絡してくれていたのです。何ごとにも大らかなイタリア人とは思えない緻密さです。無口なことは相変わらずですが、第一印象は次々に塗り替えられていきます。

 こんなことも何度かありました。ロッコさんが地元の菓子やスナックを振る舞ってくれるのです。走行中にガソリンスタンドなどで休憩することがあります。そこには必ずミニスーパーがあり、菓子などを売っています。そこで目に止まった物を買って、みんなに配ってくれるのです。

 走行中に写真ストップすることがあります。そんなときはロッコさんも持参のカメラを持ちだして一緒に撮影します。そんなことを繰り返しているうちに、だんだん打ち解けて来ました。いつの間にか女性たちは「ロッコさん、ロッコさん」と頼りにし、すっかり人気者に変身しました。

 私の第一印象は完膚無きまでにうち砕けかれて、いまでは心優しさに感激の連続です。いい加減な評価ほど怖いものはありません。「相済みませんでした」。心中で深々と頭を下げました。

 お別れの日がやってきました。メッシーナ海峡の先にシシリー島が望める高台のレストランで昼食です。ロッコさんも一緒のテーブルにつきました。そのロッコさんがワインを注文したのです。「運転中に?」と思っていたら、全員に注いで回り始めたのです。

 こちらから感謝しなければならないのに…。これまでにも数多くのドライバーの世話になりましたが、こんな心温まる人は初めてです。

 食後、フェリーで目の前のシシリー島・メッシーナ港に着きました。バスはタオルミナまで走り、坂を上ったところでマイクロバスと交代しました。タオルミナは高台にあって道路が狭く、バスは入れないのです。
 
 いよいよ愛すべきロッコさんとのお別れです。マイクロバスにスーツケースを移し替えて発車です。一人ぽつんと立っているロッコさんを見ていると、ジーンとなってきます。女性たちの目も真っ赤です。ロッコさんはというと、大男の目が潤んでいます。

 今にも大粒の涙がこぼれそうなのを必死でこらえてる様子で、赤ら顔がいっそう赤くなっています。手を振って見送ってくれたロッコさんが目頭に手をやりました。こらえていたものが落ちたのかもしてません。

 ロッコさんにはお嬢ちゃんがいます。途中で人形を買っていました。お土産をもって久々のご帰還です。家族にも、お客にも心優しいドライバーでした。

 こうして雑記をしていても、当時の情景一つ一つが浮かんできて目頭が熱くなります。こんな旅が出来たのは本当に幸運でした。「もう一度会いたい」。心底、そう願っています。

 それ以来、「人は見かけによらぬもの。ゆめゆめ即断あるべからず」が、私の養生訓に加わりました。

                    
             (1998年3月のことでした)